大和郡山市本庄町の八幡神社と熊野神社の二社を祭祀している宮座。
神社の祭り日は時勢に影響されることなくかたくなに守っている宮座は8軒。
宮座の当家を勤めるのは二人。
一人はアニと呼ばれる年長者で八幡さん。
出雲系だとされる熊野神社は年少のオトウト当家が勤める。
それぞれの分霊神さんを家で一年間も祀る。
9月20日は分霊遷し。
マツリの宵宮は10月14日で、翌日の本祭は和装でお渡りをする。
オーコと思われる棒に担ぐのは根付きの稲束だそうだ。
マツリの日程は揺らぐことなく決まっていると話す宮座総代のU氏。
平成23年5月に荒れていた八幡宮を整備された本庄町。
鳥居の建之、二基の大燈籠、拝殿の改築、手水舎などである。
明治3年の築造の本殿を140年ぶりに改築されたのである。
前年の平成22年には境内地の整備もしておいた。
神社の西燈籠には「嘉永五年(1852)二月吉日建之」の刻印が見られる。
他にも文化六年(1809)や寛政八年(1796)の記銘も見られる燈籠がある。
鎮座地の小字は宮ノ坪。
北隣にある天井町の神社の南側は宮ノ前だ。
本庄町の神社庁登記は八幡神社としている。
杉町の八幡神社は本庄町の八幡さんを分社したという。
天井町の八幡宮には延寶六年(1678)に建之された燈籠がある。
その頃であったのかどうか、断定できる史料は残っていない。
なお、八幡神社側の狛犬の台座には「人足中」とある。
寄進者の名だが人足とあるのは珍しい。
この日は座の夏祭り。
筒井菅田神社の二宮宮司と若槻町の巫女さんを迎えて神事が執り行われる。
神事の際には二神とも祓われたそうだ。
かつての巫女さんは城下町内の堺町に住む女性だったそうだ。
引退されたのかどうか覚えてないが、止められたことから若槻の巫女さんに頼むことになった。
それは50年も前のことだと話す。
それを終えれば場を移して境内へ。
斎場には新しい釜を設えている。
沸かす火はプロパンガス。
この点においては効率化が進められている。
御湯の作法は近隣旧村の天井町、杉町、丹後庄町と変わりない。
湯を清めて四神を本庄町に呼び起こす。
お釜の回りを取り囲むように立つ座中と農家組合の人たち。
夏の災いを除けて健康で村中が安穏であるよう祈る御湯の神事。
笹をお釜に浸した湯をかぶるように立ち並ぶ。
清らかな湯で身体堅固。
夏祭りの御湯はこうして終えた。
座中は拝殿に登ってささやかに営む直会。
供えたコンブ、スルメ、マメ(フライビーンズ)を口にしてお神酒をいただく。
祭り後に拝見した神社は三つ巴紋の軒瓦だ。
鬼瓦には三つの牛玉宝印があった。
改修されるにあたって瓦は新しくなったが、古い瓦は大切に残されている。
それにもあった牛玉宝印彫り。
神宮寺が存在していたのではないだろうか。
境内はこんもりとした盛り土がある。
塚のようだと話す一角に「黒照大神」の石碑がある。
村とは直接関係はないが、城下町の岡町で生業していた女郎らが参っていたと伝わる。
(H24. 7.28 EOS40D撮影)
神社の祭り日は時勢に影響されることなくかたくなに守っている宮座は8軒。
宮座の当家を勤めるのは二人。
一人はアニと呼ばれる年長者で八幡さん。
出雲系だとされる熊野神社は年少のオトウト当家が勤める。
それぞれの分霊神さんを家で一年間も祀る。
9月20日は分霊遷し。
マツリの宵宮は10月14日で、翌日の本祭は和装でお渡りをする。
オーコと思われる棒に担ぐのは根付きの稲束だそうだ。
マツリの日程は揺らぐことなく決まっていると話す宮座総代のU氏。
平成23年5月に荒れていた八幡宮を整備された本庄町。
鳥居の建之、二基の大燈籠、拝殿の改築、手水舎などである。
明治3年の築造の本殿を140年ぶりに改築されたのである。
前年の平成22年には境内地の整備もしておいた。
神社の西燈籠には「嘉永五年(1852)二月吉日建之」の刻印が見られる。
他にも文化六年(1809)や寛政八年(1796)の記銘も見られる燈籠がある。
鎮座地の小字は宮ノ坪。
北隣にある天井町の神社の南側は宮ノ前だ。
本庄町の神社庁登記は八幡神社としている。
杉町の八幡神社は本庄町の八幡さんを分社したという。
天井町の八幡宮には延寶六年(1678)に建之された燈籠がある。
その頃であったのかどうか、断定できる史料は残っていない。
なお、八幡神社側の狛犬の台座には「人足中」とある。
寄進者の名だが人足とあるのは珍しい。
この日は座の夏祭り。
筒井菅田神社の二宮宮司と若槻町の巫女さんを迎えて神事が執り行われる。
神事の際には二神とも祓われたそうだ。
かつての巫女さんは城下町内の堺町に住む女性だったそうだ。
引退されたのかどうか覚えてないが、止められたことから若槻の巫女さんに頼むことになった。
それは50年も前のことだと話す。
それを終えれば場を移して境内へ。
斎場には新しい釜を設えている。
沸かす火はプロパンガス。
この点においては効率化が進められている。
御湯の作法は近隣旧村の天井町、杉町、丹後庄町と変わりない。
湯を清めて四神を本庄町に呼び起こす。
お釜の回りを取り囲むように立つ座中と農家組合の人たち。
夏の災いを除けて健康で村中が安穏であるよう祈る御湯の神事。
笹をお釜に浸した湯をかぶるように立ち並ぶ。
清らかな湯で身体堅固。
夏祭りの御湯はこうして終えた。
座中は拝殿に登ってささやかに営む直会。
供えたコンブ、スルメ、マメ(フライビーンズ)を口にしてお神酒をいただく。
祭り後に拝見した神社は三つ巴紋の軒瓦だ。
鬼瓦には三つの牛玉宝印があった。
改修されるにあたって瓦は新しくなったが、古い瓦は大切に残されている。
それにもあった牛玉宝印彫り。
神宮寺が存在していたのではないだろうか。
境内はこんもりとした盛り土がある。
塚のようだと話す一角に「黒照大神」の石碑がある。
村とは直接関係はないが、城下町の岡町で生業していた女郎らが参っていたと伝わる。
(H24. 7.28 EOS40D撮影)