奈良市長谷町では庚申さんを祀る庚申講がある。
峯出、清水、西谷、奥ケ谷、垣内それぞれの5垣内である。
新暦の閏年の初庚申の日には5垣内の講中がそれぞれの庚申石などに参る。
今年はその年にあたる。
4年に一度の庚申参りには塔婆を用意する。
その場所といえばヤドの家。
垣内を除く4垣内は初庚申にあたる2月29日に参るというが、実際は講中が集まりやすい29前後の日曜日のようだ。
講中が話すには清水と奥ケ谷は中旬に済ませたそうだ。
その名残が清水垣内の庚申塚にあった。
杉葉付きの塔婆を横に立て置いて中央には鳥居と花立てである。
ローソクを灯した痕がある。
4軒の講中が参ったとTさんは話す。
古い塔婆は傍らに捨ててある。
新しくした塔婆には文字が書かれている。
上のほうには梵字が五文字。
専門家でない私は判読できようがない。
その下に書かれていたのは「奉顕供養者為青面金剛庚申講中 家内安全五穀成就祈攸也 長谷講中」であった。
5垣内で用意した杉の塔婆は揃えて十輪寺の住職に書いて貰って祈祷したそうだ。
それゆえ全ての塔婆は同じ書であるという。
Tさんの話では塔婆の杉は植えてから5年ものがいいという。
太さがそれぐらいで丁度いいそうだ。
ちなみに昔は「ならまち」の庚申さんに参ったそうだ。
厄年のときは松尾寺にも参った。
随分前には簪(かんざし)も売っていたが、それはなかったという。
どうやらお店がなくなったようだ。
それはともかく、本来は旧暦の閏年に行われる庚申参り。
3年、2年、それとも4年間隔でやってくる旧暦閏年。
ややこしいから新暦に替えたそうだ。
今年は旧暦と新暦が重なった閏年であるだけにややこしい。
事情があって前月に行うことができなかった垣内の垣内。
9軒の講中の営みである。
かつては12軒だったそうだが、10軒になってとうとう9軒に減ってしまったという。
この日は昼過ぎにヤドの施主家に集まった9人。
手分けして庚申塚に奉る鳥居と花立てを作る。
前回に奉られたものを参考にしながら作っていく。
太い竹を切断して見本通りの長さにする。
サシガネで測ってノコギリで切る。
花立てはそうでもなかったが鳥居は複雑なだけに組み立てが難しい。
微調整をしながら2時間かけて作られた。
一息つけて山の上のほうにある庚申さんに向かう講中。
その場所はN家の奥のほう。
一人だけでは迷いそうになる山道だ。
「南無青面金剛」の文字がある庚申塚に立てた鳥居に花立て。
傍に塔婆も立てる。
洗い米、塩を供えてお神酒を注ぐ。
ローソクに火を灯して最初に参るのはヤドの施主だ。
場所が狭いだけに一人ずつ交替して手を合わせる。
こうして閏年の庚申参りを済ませた。
庚申塚には供えた鳥居、花立て、塔婆はそのままにしておく。
清水垣内もそうであった。
戻る道中に見つけたローソク立て。
そこには小さな藁束があった。
N家が毎年の12月31日に行っている「フクマン」の痕だ。
正月を迎える直前の24時ころ。
ここで「フクマン」をするという。
ローソクに火を点けて「フクマン」を呼ぶ。
ドグラ(土蔵)の扉を開けて「福」を呼び込むのだ。
昨今は危ないからとローソクをせずに懐中電灯が替りを勤めるそうだ。
その「フクマン」、清水垣内のT家では門やの前辺りで藁松明に火を点ける。
ここでは「フクマン」と呼ばずに「フクマロ」と云う。
「フク」は「福」だ。
「福」を迎える作法の呼び方があるという。
その場で「フクマルコイコイ」と3回呼ぶのだという。
家によっては細かな部分が異なる県内東山間等で見られる「フクマル」。
服忌のときはしないとTさんは言った。
ひと月遅れで閏庚申を参った垣内の垣内では伊勢講もあるという。
ヤド家に掛け図を掲げて行う伊勢講。
6月と12月にしているそうだ。
(H24. 3.17 EOS40D撮影)
峯出、清水、西谷、奥ケ谷、垣内それぞれの5垣内である。
新暦の閏年の初庚申の日には5垣内の講中がそれぞれの庚申石などに参る。
今年はその年にあたる。
4年に一度の庚申参りには塔婆を用意する。
その場所といえばヤドの家。
垣内を除く4垣内は初庚申にあたる2月29日に参るというが、実際は講中が集まりやすい29前後の日曜日のようだ。
講中が話すには清水と奥ケ谷は中旬に済ませたそうだ。
その名残が清水垣内の庚申塚にあった。
杉葉付きの塔婆を横に立て置いて中央には鳥居と花立てである。
ローソクを灯した痕がある。
4軒の講中が参ったとTさんは話す。
古い塔婆は傍らに捨ててある。
新しくした塔婆には文字が書かれている。
上のほうには梵字が五文字。
専門家でない私は判読できようがない。
その下に書かれていたのは「奉顕供養者為青面金剛庚申講中 家内安全五穀成就祈攸也 長谷講中」であった。
5垣内で用意した杉の塔婆は揃えて十輪寺の住職に書いて貰って祈祷したそうだ。
それゆえ全ての塔婆は同じ書であるという。
Tさんの話では塔婆の杉は植えてから5年ものがいいという。
太さがそれぐらいで丁度いいそうだ。
ちなみに昔は「ならまち」の庚申さんに参ったそうだ。
厄年のときは松尾寺にも参った。
随分前には簪(かんざし)も売っていたが、それはなかったという。
どうやらお店がなくなったようだ。
それはともかく、本来は旧暦の閏年に行われる庚申参り。
3年、2年、それとも4年間隔でやってくる旧暦閏年。
ややこしいから新暦に替えたそうだ。
今年は旧暦と新暦が重なった閏年であるだけにややこしい。
事情があって前月に行うことができなかった垣内の垣内。
9軒の講中の営みである。
かつては12軒だったそうだが、10軒になってとうとう9軒に減ってしまったという。
この日は昼過ぎにヤドの施主家に集まった9人。
手分けして庚申塚に奉る鳥居と花立てを作る。
前回に奉られたものを参考にしながら作っていく。
太い竹を切断して見本通りの長さにする。
サシガネで測ってノコギリで切る。
花立てはそうでもなかったが鳥居は複雑なだけに組み立てが難しい。
微調整をしながら2時間かけて作られた。
一息つけて山の上のほうにある庚申さんに向かう講中。
その場所はN家の奥のほう。
一人だけでは迷いそうになる山道だ。
「南無青面金剛」の文字がある庚申塚に立てた鳥居に花立て。
傍に塔婆も立てる。
洗い米、塩を供えてお神酒を注ぐ。
ローソクに火を灯して最初に参るのはヤドの施主だ。
場所が狭いだけに一人ずつ交替して手を合わせる。
こうして閏年の庚申参りを済ませた。
庚申塚には供えた鳥居、花立て、塔婆はそのままにしておく。
清水垣内もそうであった。
戻る道中に見つけたローソク立て。
そこには小さな藁束があった。
N家が毎年の12月31日に行っている「フクマン」の痕だ。
正月を迎える直前の24時ころ。
ここで「フクマン」をするという。
ローソクに火を点けて「フクマン」を呼ぶ。
ドグラ(土蔵)の扉を開けて「福」を呼び込むのだ。
昨今は危ないからとローソクをせずに懐中電灯が替りを勤めるそうだ。
その「フクマン」、清水垣内のT家では門やの前辺りで藁松明に火を点ける。
ここでは「フクマン」と呼ばずに「フクマロ」と云う。
「フク」は「福」だ。
「福」を迎える作法の呼び方があるという。
その場で「フクマルコイコイ」と3回呼ぶのだという。
家によっては細かな部分が異なる県内東山間等で見られる「フクマル」。
服忌のときはしないとTさんは言った。
ひと月遅れで閏庚申を参った垣内の垣内では伊勢講もあるという。
ヤド家に掛け図を掲げて行う伊勢講。
6月と12月にしているそうだ。
(H24. 3.17 EOS40D撮影)