20年に一度の造営奉祝祭が行われた山添村の戸隠神社。
先週の3月29日に行われた正遷宮もそうだが、雨が降るやもしれない週刊天気予報を大きく覆して晴れ間になった。
桜が咲いた絶好のお天気日和になったのだ。
天が認めた神さんのお住まい。
朱塗りの本殿が美しく眩い。
村人らが神社に登って来る前の時間帯。
神饌を予め本殿や末社に供えていたのは宮司とオトナだった。
造営奉祝祭に相応しい弓・矢は両側に建つ朱塗りの鳥居辺りに括り付けていた。
これがあれば否が応でも造営祭典を意識するのである。
奉祝祭の主役は秋のマツリにウタヨミやオドリコミをされる5人の渡り衆だ。
烏帽子被りの素襖姿で登ってきた。
桐山の全戸数は20戸。
20年に一度の造営奉祝祭に参列する外氏子が150人にもなると話していた。
受付を済ませた内・外氏子は家族揃って氏神さんに拝礼される。
その様相を参籠所から温かい眼差しでみるオトナに渡り衆。
ハレの日に相応しい絶好の天気になったので嬉しさがこみ上げてくる。
しばらくして始まった奉祝祭。
オトナに続いて渡り衆も拝殿に登る。
祝いの祭典に祓えの儀が行われる。
それから行われた氏子幣を奉献する奉幣神事。
渡り衆の弓矢の儀に続いて槌打の儀が行われた。
棟梁が幣を大きく揚げて「せんざい とー」と掛け声をかけて幣を下に降ろして打つ。
その作法に合わせて渡り衆は「おー」と云って槌を打つ。
次は「まんざい とー」。
同じように合わせてトンと槌を打つ渡り衆。
最後に「えいえい おくとー」でトンと打つ。
棟梁の親父さんであるオトナ最長老の一老が玉串を奉奠して祭典神事を終えた。
造営奉祝祭を終えたら直会に移る。
場は境内である。
奉納された弓矢が見守るなか始まった直会の場。
参籠所どころか境内にブルーシートを敷いて家から持ってきた座布団に家族それぞれが座っていく。
雨天であれば公民館と考えていたがその必要はなくなった。
造営委員長の乾杯で顔はほころび、桜が咲く場に笑顔が咲く。
県内事例のいくつかの造営を拝見してきたが、このような場面は初めて見る。
まるで「レンゾ」を思わせるような情景になった。
パック詰め料理の膳もあれば家で作った栗入りセキハンを食べる家族もいる。
直会の場では宴を盛り上げる落語(笑福亭由瓶)もあれば、布目和太鼓演奏も、だ。
参籠所屋内からもこれらを拝見して楽しんでいた。
参籠所が建つ場は山影。
満開のサイシンスミレも祝っているように思えた。
撮影を依頼された造営委員会のご厚意で取材人も膳があると運ばれたパック詰め料理。
料理の膳は東鮨調製。
どれもこれもお味がよろしく、とても美味しくいただいた。
造営奉祝祭の直会にカラオケ大会がある。
内氏子に外氏子が揃って村の祝いに余興が弾ける。
宴を〆るのは桐山の「ウタヨミ」。
秋祭に奉納される場は本殿前だ。
氏子たちは見ることもできない場である。
これだけ集まった外氏子に見ていただこうと渡り衆が披露されるが、姿は礼服になっていた。
扇子のようなモノを見ながらの「ウタヨミ」。
壱番は「やっとん とんとんとん」、「おうまへなる おうまへなる(囃子 ワッ) 鶴は鶴(囃子 オッ) 亀は亀(囃子 オッ) 鶴こそふれて舞いあそび(囃子 オッ) 鶴の子のやしゃまごはそらとうまでも 所は栄えたもうべき(囃子 ワオッ) 君が代はかねてこそ久しかるべき 住吉の(囃子 オッ) 松やにゅうどうーー」で右回りに拍手喝采。
カンニングペーパーは祝いの箸に書いてある造営記念の披露はたいそうな盛り上がりになった。
神社奥にそそり立っていた大杉は伐採されて本殿などの改築に利用された。
余った材木は箸にされた20年に一度の贈り物になった。
弐番、参番と続いて外氏子も参加して中締め。
座布団を抱えて帰る老母は顔が弾けていた。
数分後には小雨が降りだした造営奉祝祭に委員はほっと安堵した。
(H27. 4. 4 EOS40D撮影)
先週の3月29日に行われた正遷宮もそうだが、雨が降るやもしれない週刊天気予報を大きく覆して晴れ間になった。
桜が咲いた絶好のお天気日和になったのだ。
天が認めた神さんのお住まい。
朱塗りの本殿が美しく眩い。
村人らが神社に登って来る前の時間帯。
神饌を予め本殿や末社に供えていたのは宮司とオトナだった。
造営奉祝祭に相応しい弓・矢は両側に建つ朱塗りの鳥居辺りに括り付けていた。
これがあれば否が応でも造営祭典を意識するのである。
奉祝祭の主役は秋のマツリにウタヨミやオドリコミをされる5人の渡り衆だ。
烏帽子被りの素襖姿で登ってきた。
桐山の全戸数は20戸。
20年に一度の造営奉祝祭に参列する外氏子が150人にもなると話していた。
受付を済ませた内・外氏子は家族揃って氏神さんに拝礼される。
その様相を参籠所から温かい眼差しでみるオトナに渡り衆。
ハレの日に相応しい絶好の天気になったので嬉しさがこみ上げてくる。
しばらくして始まった奉祝祭。
オトナに続いて渡り衆も拝殿に登る。
祝いの祭典に祓えの儀が行われる。
それから行われた氏子幣を奉献する奉幣神事。
渡り衆の弓矢の儀に続いて槌打の儀が行われた。
棟梁が幣を大きく揚げて「せんざい とー」と掛け声をかけて幣を下に降ろして打つ。
その作法に合わせて渡り衆は「おー」と云って槌を打つ。
次は「まんざい とー」。
同じように合わせてトンと槌を打つ渡り衆。
最後に「えいえい おくとー」でトンと打つ。
棟梁の親父さんであるオトナ最長老の一老が玉串を奉奠して祭典神事を終えた。
造営奉祝祭を終えたら直会に移る。
場は境内である。
奉納された弓矢が見守るなか始まった直会の場。
参籠所どころか境内にブルーシートを敷いて家から持ってきた座布団に家族それぞれが座っていく。
雨天であれば公民館と考えていたがその必要はなくなった。
造営委員長の乾杯で顔はほころび、桜が咲く場に笑顔が咲く。
県内事例のいくつかの造営を拝見してきたが、このような場面は初めて見る。
まるで「レンゾ」を思わせるような情景になった。
パック詰め料理の膳もあれば家で作った栗入りセキハンを食べる家族もいる。
直会の場では宴を盛り上げる落語(笑福亭由瓶)もあれば、布目和太鼓演奏も、だ。
参籠所屋内からもこれらを拝見して楽しんでいた。
参籠所が建つ場は山影。
満開のサイシンスミレも祝っているように思えた。
撮影を依頼された造営委員会のご厚意で取材人も膳があると運ばれたパック詰め料理。
料理の膳は東鮨調製。
どれもこれもお味がよろしく、とても美味しくいただいた。
造営奉祝祭の直会にカラオケ大会がある。
内氏子に外氏子が揃って村の祝いに余興が弾ける。
宴を〆るのは桐山の「ウタヨミ」。
秋祭に奉納される場は本殿前だ。
氏子たちは見ることもできない場である。
これだけ集まった外氏子に見ていただこうと渡り衆が披露されるが、姿は礼服になっていた。
扇子のようなモノを見ながらの「ウタヨミ」。
壱番は「やっとん とんとんとん」、「おうまへなる おうまへなる(囃子 ワッ) 鶴は鶴(囃子 オッ) 亀は亀(囃子 オッ) 鶴こそふれて舞いあそび(囃子 オッ) 鶴の子のやしゃまごはそらとうまでも 所は栄えたもうべき(囃子 ワオッ) 君が代はかねてこそ久しかるべき 住吉の(囃子 オッ) 松やにゅうどうーー」で右回りに拍手喝采。
カンニングペーパーは祝いの箸に書いてある造営記念の披露はたいそうな盛り上がりになった。
神社奥にそそり立っていた大杉は伐採されて本殿などの改築に利用された。
余った材木は箸にされた20年に一度の贈り物になった。
弐番、参番と続いて外氏子も参加して中締め。
座布団を抱えて帰る老母は顔が弾けていた。
数分後には小雨が降りだした造営奉祝祭に委員はほっと安堵した。
(H27. 4. 4 EOS40D撮影)