マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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瀧倉の華参り

2015年02月24日 08時20分07秒 | 桜井市へ
8月1日から始まる瀧倉の華参り。

一老は1日、二老は2日・・・・五老は5日、六老は6日に毎日交替する瀧ノ蔵神社のお勤めである。

7日はお礼参りだと云って一老が勤めている。

10年ぐらい前までは7日以降の毎日を勤めていたのは下の六人衆であった。

七老は7日、八老は8日・・・・・十老は11日、十一老が11日、十二老は12日。

それぞれ6人が毎日交替していたが、若い衆でもある下六人衆の仕事はサラリーマン。

平日に当たることが多く、どうしても仕事を休むことはできない身。

毎日を勤めることは無理があると意見がでて廃止したそうだ。

そういうことがあってお礼参りの7日で終えるようになったと云う一老は〆の役目だ。

華参りは朝6時と昼ごろ。

神さんにサカキを奉ってローソクを灯す。

そして、太鼓を打って般若心経を唱えるのである。

この日参られた一老は太鼓をドン、ドン、ドンと三回打ち。

これを12回打ち続けると云う。

昨年に話してくれた二老の話しによれば、瀧倉ではこれを「華まいり」或いは時を告げる「華の番」と呼ぶそうだ。

「昔、昔のことだ。長谷寺でしていることを瀧倉でもせよ」と云われて続けてきた行事だと話していた。

本来は陀羅尼経を唱えるのであるが、簡単にということで明治時代からは般若心経になったと云っていた。

13日はオショウライサン迎えだ。

おそらく盆が始まる日・時を告げる役目だったのでは・・・と思ったのである。

この日は朝6時に来て太鼓を打って一旦は家に戻っていたと話す一老。

昼前にやってきてツイタチゴハンに般若心経を唱えていた。

それからしばらくして12時ころにご飯を食べて、昼寝をする。

これをお籠りと云う。

起きて太鼓を打つ。

一人でするから般若心経は太鼓打ちを終えてからだと云うのだ。

ツイタチゴハンをされた四老の奥さんが帰るころには一老の奥さんがお籠りに食べる風呂敷に包んだご飯を持ってきた。

奥さんは嫁入りしたときからの毎朝。

欠かさず米・塩・水を供えていると云う。

雪の日や大雨の日ではお参りはしない。

「日課ですが、無理をせん程度にしています」と話すのが奥さん。

ついこの前に股関節の手術をして退院したばかりの身体である。

足をあげるのも苦痛であるが、リハビリを兼ねて杖をついてやってきた。

それは「おかちゃんの意思で参ってるんや」と云ったのは旦那の一老だ。

85歳の一老の朔日参りも欠かせないが、奥さんの毎日の参り方には頭が下がるのである。

おもむろに太鼓を打ちだした一老。

ドン、ドン、ドンと三回打つ。

これを繰り返すこと12回打ち続ける。

後ろの席についたのはおかちゃんだ。

一老も何年か前に腰に鉄板を入れる大手術をした。

歩くのも困難な身であるが、おかちゃん同様に杖をついてやってきたのだ。



おかちゃんは持ってきたご飯を供えた。

オニギリ、玉子焼き、焼いた魚肉ソーセージにギョウザ。

生姜の塩漬物も盛っている、あり合わせの家の食事だと云う。

摘みたてのトマトも供えてローソクを灯す。



そうして般若心経を三巻唱える。

何度も来ている瀧倉であるが、おかちゃんも一緒になって唱える一老の姿は初めて見た。

夫婦が揃って拝殿でよばれる昼籠りの食事。



おかちゃんが優しい眼差しで見つめていた。

ところで、二老の作法は夕暮れにもしていると話していたので、それぞれの老中によって異なるかもしれない。

お礼参りと云って7日にも参られる一老は〆の太鼓を打って般若心経を唱える。

奉ったサカキは6日間で12本。

華参りを済ませたときにはすべてのサカキを捨てると話していた。

(H26. 8. 1 EOS40D撮影)


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