マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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桐山戸隠神社造営正遷宮

2016年01月08日 09時32分17秒 | 山添村へ
20年前の平成7年3月28日に正遷宮を行っていた山添村の大字桐山。

氏神さんを祀る神社は戸隠神社だ。

現宮司は隣村の奈良市丹生町の新谷忠氏。

前々回の仮殿遷座は昭和50年2月26日。

本殿遷座は昭和50年3月28日であった。

当時の宮司は奈良市丹生町の新谷一氏。

現宮司の父親であろう。

前々回の昭和30年3月に仮殿遷座が、同年4月2日には本殿遷座された印の棟札が残されている。

当時の宮司は前儀一郎の名であった。

それより以前の明治43年12月15日に仮殿遷座。

本殿遷座は明治44年3月7日であった。

社掌の名は谷垣傳重郎であった。

こうした史料から丹生町の新谷家宮司による祭祀に移り変わったのは前回々の昭和50年辺りである。

戸隠神社には遡ること280年前の棟木が残されている。



元文二年丁巳(1737)の棟木に書いてあった神社名。

当時は九頭大明神社と呼ばれていた。

同棟木に「阿闍梨法印宥盛」の名が見られる。

かつては僧侶によって行われていた証しである。

大正四年の宮座調査によれば明治の神仏分離までは隣村の奈良市北野山の明王院住職が遷宮をしていたようだ。

奈良県東部山間では20年ごとに本殿を建て替えるゾーク(造営;式年造替)儀式を行う地域は数多い。

山添村桐山では20年目だが、同村大字広代は10年おきだという。

同じく大字菅生は12年ごとだ。

旧都祁村の上深川では18年。

山添村大字片平も同じ18年周期だ。

地域によって周期が異なるゾーク(造営)祭典には村を出た外氏子も参拝され賑やかになる。

この日は天手力男命を祀る戸隠神社の正遷宮。

翌月4日には造営奉祝祭も行われるので、是非来てほしいと造営委員長らに願われて撮影に入る。



風雨にさらされることのないように建て替えた簀屋根で覆った本殿は天手力男命を主神に春日大神も相殿する。

末社は春日若宮神社、秋葉神社、杵築神社の三社。



一の鳥居や二の鳥居など、鮮やかな朱塗りが美しい。

昨年のマツリにはまだできていなかった玉垣も綺麗になっている。



下遷宮が行われ、一旦は社務所におられた神さんはこの日の夜の正遷宮斎行によって戻られる。



正遷宮神事は、はじめに修祓、斎主一拝、仮殿開扉、仮殿祝詞奏上。

次に本殿遷座祭が行われる。

還幸準備に粛々と氏子が動く。



白い手袋をはめて白いマスクをする。

耳にかける部分はヒモロギ。

予め配られたときに調整をしていたから手際よく進められ、氏子たちは難なく境内に降りた。

社仮殿がある社務所前に設えた神隠し。

白い布で覆ったヒトガキは4人がもつ。



神遷しは社務所などすべての灯りを消す。

足元を照らすのは懐中電灯だけ。

かつては提灯だったと話す。

氏子ら一同が「ヲーー」と警蹕を発声しながら本殿下の拝殿に移動する遷幸の儀式は撮影禁ず、である。

この映像は神遷し前の状態。

神さんは写っていない。

神さんは氏子が持つ白い幕のヒトガキに隠されて遷される。

神職が伝えていた神さんを遷していく際の衣笠。

それも準備されていたが見ることはできなかった。

主神(天手力男命)、春日大神の四柱(茨城県鹿嶋市鹿島神宮/千葉県香取市香取神宮・大阪府枚岡神社<天児屋根命・比売御神>)、末社三神(春日若宮社・秋葉神社・杵築神社)も本殿に戻されてようやく点灯する。



本殿献饌、祝詞奏上、玉串奉奠、撤饌、御扉閉扉、斎主一拝、退下されて正遷宮を終えた。



神さんは本殿に遷られたあとの仮殿には、後日に本殿内に納められる天蓋が吊るされていた。

神事を終えた氏子たち。



いつものように御供モチを押し切り機械の大きな刃で切り分ける。

炭火に火を点けた囲炉裏でモチを焼く。



そこにはこれもまたいつものように大きなサバを焼く。

これらをいただき直会に移る。

来月の4日は「造営奉祝祭」が行われる。

(H27. 3.29 EOS40D撮影)
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