マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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豊井町豊日神社ケッチン

2013年05月01日 06時50分46秒 | 天理市へ
かつては当家座の営みによって祭祀されていた天理市豊井町の豊日神社は天神口に鎮座する。

小字ハラガタニ(原ケ谷)のテンジンヤマ(天神山)にあった日枝神社の土手が崩れたことによって脇立の2社、神武さん、広田さんと呼ばれる八社を天満宮に合祀したと伝わる。

境内燈籠の多くが「天満宮」の名であることからかつては天満宮と称されていた豊日神社である。

昔の豊井町は50戸~60戸の旧村であったが、現在は新町を含めて80戸。

地区は東西を貫く旧街道は布留郷丹波市より豊井を経て東山中へ抜ける道。

布留川に沿って内馬場、滝本、仁興、苣原から龍王山付近が源流にあたる。

行き交う旅人が多くあった旧伊勢街道の一つである豊井町には下から下ノ茶屋(上、下)、中ノ茶屋(上、下)、上ノ茶屋の小字名が現存している。

当時の面影を今は見ることはないが上流に二本松垣内、小字ハラガタニ下に西垣内、東垣内の8垣内。

それぞれの垣内には伊勢講、愛宕講、庚申講があるそうだ。

垣内の当番の家でご馳走をよばれる講中。

喰い講とも呼ばれていたと話す。

現在の豊井の街道は奈良交通の定期バスが運行する。

天理駅を出発して豊井、二本松、滝本、長谷口、仁興口、苣原、福住を経由して旧都祁村の針インターである。

今年の成人の日に降った大雪で立ち往生していた定期バスを思い出す。

豊井町は当家座(当家講とも)と呼ばれる宮座があった。

かつての座中は多く30軒で回っていた。

当家を決めるのは二十歳前後の成人。

希望者が多くあったが一代当家とする長男だけが担う当家。

一生に一度の大役はフリアゲで決めていたが、時代の流れとともにいつしか頼みの当家になった。

昭和30年頃にしていたフリアゲ。

広げた扇にトーヤ籤を置いて祓えの幣をさぁーと流すように移動する。

幣をぱぁぱぁと振る。

そうすれば一つのトーヤ籤が上がってくるフリアゲは社殿で行っていた。

上がったトーヤは神意が下った証しである。

成人になって座中に入った。

座中入りした順に一老、二老・・・・四十老以上もおられた座は改革の話しが出ていたが、時代を経ても当家制度を継承してきた。

戦後間もない頃は3升の祝い酒、親戚じゅうからは祝儀を持ってきたほどの親が誇りにする目出度い祝いの当家であった。

平成20年に解散した宮座は村当家制度に移した。

その年以降は区長がトーニンを勤めることなった。

当時はドロイモとおひたしのダイコバ(大根の葉)の膳があったことからイモドーヤとも呼んでいた座があった。

座中は一老から八老までの八人衆。

モチは一老取り、二老取りがあり、豊日神社の八社に配ったそうだ。正月前には門松を八つ立てる。

八社の燈籠それぞれに立てる。

除夜の鐘が鳴ってから若水で沸かして炊いた雑煮を木皿で供えたことがあると話すM氏。

この日は豊日神社のケッチン行事である。

公民館にあつまった村役員はごーさん札を版木で刷る。

「天神 國神」の版木である。

お札にご朱印を押す。

ごーさんの寶印は明治初年に廃寺となった真言宗豊満寺(ほうまんでら)。

かつて鎮座していた日枝神社の神宮寺になる豊満寺は新西国三十三番観音霊場の番外札所になるそうだ。

ごーさんのお札はネコヤナギの木に巻きつける。

稲穂に見立てた芽吹きのネコヤナギである。

もう一つのお供えである松苗も作った。



それらは神饌とともにホッカイに詰め込んで神社へ運んだ。

長方形のホッカイは二人がかりでオーコを担いでいたと話すO氏。

30年も前の頃は40本もあったというだけに重たいホッカイ。

当時は一老家の家人が担いでいたらしい。

座中の一老、二老、三老が行っていた現在のケッチンは村役員が勤める。



豊日神社に到着すれば神事を始める。

祓えの詞を述べるのは一老である。

社務所に神饌や御供を置いて祓えをする。

同席する参拝者へも祓う。

そうして始まったケッチンの神事は再び本殿下の拝殿へ。



ケッチンの祝詞を奏上する。

祝詞の詞の中には「結鎮」があると話す役員たち。

ケッチンを充てる漢字は結縁ではなく結鎮だと話す。

豊満寺の寶印から推定するに豊井町ではかつて同寺で行われていたと思われる正月初めの初祈祷。

いわゆる修正会の行事であったと考えられる。

「天神 國神」の寶印書は鎮守社の日枝神社。

かつては僧侶とともに宮座の社守が斎主となって行っていたと思われる神仏混合の行事であろう。

数日間もかけて村の安穏や五穀豊穣を祈願する。

その間中にはごおう加持祈祷される。

ごおうは牛王である。

村中で行われる修正会はオコナイと呼ばれることが多い。

丹波市の宮座記録の年中行事に正月二日、五日、十九日にオコナイの結鎮祭、二月一日オコナイの牛王(玉とも)加持があった。

市座神社と神宮寺の善住寺における年中行事である。

ケッチン或いはケイチンと呼ぶ他村がある。

これらもオコナイの一つになる作法である。

一般的にケイチンと呼ぶ行事は弓打ちである。

室生染田では鬼を弓矢で射る行事をケイチン。

鬼鎮の字を充てている。

天理市上仁興荒蒔では鬼的打ちをケイチンと呼ぶ。

田原本町の阪手では弓打ち行事を華鎮(かちん)祭と称する。

奈良市押熊では鬼的打ち行事を卦亭(けいちん)の字を充てている。

奈良市都祁南之庄町大野町でも鬼的打ちをケイチン或いはケッチンで結鎮の字を充てる。

ケイチンの行事名でなく弓打ちをオコナイと称する地域は数多い。

弓打ちは村内から悪霊を追い出す作法である。

豊井町ではその弓打ちは見られないが、ごーさん札があることからオコナイの結願の日であったかも知れない。

今では農家も少なくなってネコヤナギは4軒分。

松苗は希望者もあることからこの年は6本程度であった。

行事を終えた村役員は公民館に戻って直会。

その後においてネコヤナギと松苗を農家に配るそうだ。

GW過ぎの頃には苗代を作る。

その際にネコヤナギと松苗を水口に立てる

豊作を願う農家のあり方である。

ネコヤナギに巻きつけていたお札といえば「成り木にくくんねん」と話すO氏。

正月の雑煮を神社に供えたと云うM氏も「成り木」をしているそうだ。

成り木は果物などの実が成る木。

ウメやミカンの木に括りつけるという。

山添村で聞き取りしたナタで伐り口をつけるという方法とは異なるが「成り木責め」の風習の一例だと考えられるのである。

(H25. 1.19 EOS40D撮影)
(H25. 1.19 SB932SH撮影)