明日は立春。旧の新年を迎える。
その前日は節分で一年間の天候を占う行事が野依の白山神社で行われている。
社務所にやってきた総代、区長に一年当番の大頭と小頭。
氏子たちもぞろぞろとやってきた。
炊事場を預かるのは両頭の隣り近所。
お茶やお菓子、お酒の接待に追われる。
座敷にどんと置かれたのが鉄製の火鉢。
錆具合が年代を現しているが記銘は見られない。
火起こししたクヌギの炭が燃えている。
ここが占いの神事の場となるのである。
区長の挨拶で全員は本殿の前に座った。
灯明の明かりだけが怪しく揺らぐ。
黒豆や大豆の他野菜など神饌を供えて始まった。
白山神社に神職は存在しない。
集まってきた人たちだけで般若心経が唱えられる。
暗闇のなかに聞こえる氏子の唱和。
心経は3巻唱えられた。
社務所に再び座った氏子たち。
そろそろ始めようかと火鉢に炭が加えられる。

炭の投入、炭火をじっとおこす二人は火鉢から離れられない。
真っ赤に燃えた炭火は高温の色になってきた。
火鉢周りにまんべんなく火がおきた。
そうして三方から選び出された黒豆は12個。
火鉢に橋渡しされた鉄製の皿に乗せられる。
それは火箸を折った一片である。
側はくるりと変形しているから豆は転がらない。
これからが長い時間を要するのだ。

氏子たちは酒を飲み交わして豆が焼けるときを待つ。
なんでも数時間後に豆が焼けて白い灰と黒い灰が出現するらしい。
それの出現具合で天候を占うというのだ。
白い灰は晴れ、黒いのは雨天だ。
判定は総代を区長が行う。
それによって作物のできに影響を与えるというのだから判定は責任重大。
昨年の結果は社務所に公表している。
1月は雪が多い月だった。
それはまさしく当たっている。
例年、6、7割は当たっているという。
黒豆を置く位置は決まっている。
恵方に向けて2月、3月・・・・1月の行列なのである。
節分の月に行うのだから2月から始まって1月までの一年間である。

今年の恵方は南南東。
じわりじわりの炭火が燃える。
しばらくすると豆から水分というか油のような液体が出だした。
三十分ほどすると豆は黒光りになった。
「もっと継ぎ足さんと焼けんで」と長老から指示がでる。
火力を検分しているのだ。

せかしたらあかんが、何度も何度も炭を入れて継ぎ足す。
その火の温もりが室内に充満するが、酸素もついでに不足するから玄関は開放している。
両頭はほっぺが真っ赤か。
身体全身がほてる。
ストーブにあたっていた氏子たちは寒いという。
それもそのはずプロパンガスが切れたのだ。
それはともかく1時間半を経過したころだ。

一列に並んだ黒豆に炎があがった。
一斉に燃え上がったような感じだ。
焼け付く温度に達したのであろうか。
炎がでたらぼちぼちやという。
そのときだ。黒豆は白くなった。
全部ではない。ところどころだ。
その状況を確かめにくる氏子たち。
視線は火鉢の黒豆に集中する。
それからしばらくは焼ける状況を見続ける。
変化が見られなくなったら豆の検分が始まる。
およそ2時間が経っていた。

総代と新区長が覗き込んで判定する。
台紙に書いた丸い形。
そこに鉛筆で仮の線を入れる。
あとで黒い部分に墨をいれるのだ。

こうして節分の豆占いを終えた。
かつては24時から始めていた。
サラリーマンも多いことから翌朝の出勤に支障がでるということで徐々に開始時間を早めた。
当時は朝方までかかったそうだ。
江戸時代から続く豆占いは天候に左右されやすい農業の祈りでもある。
晴れの日も雨の日も重要である。
5月5日はハレの節句オンダの行事日。
それまでに植え付けしなくてはならない。
雨が降り続ければ田植えの日程も崩れる。
晴ればかりなら田んぼの水も心配だ。
農作業を営む人にとっては重要な行事。
不思議とその年の天候結果が現れる。

神前に供えた黒豆は持ち帰って神棚に供える。
「雷が鳴った時には豆を一粒食べると神さんが守ってくれるので安心します」とご婦人はいう。
年越しの豆を喰えば鬼が嫌がる。
その鬼は雷としてとらえられた。
雷は鬼となれば雷に豆。
豆を食えば怖い雷(鬼)は落ちてこないと信じてきた。
雷が落ちないように豆を食う。
いわゆる雷除けのまじないとされてきたのであろう。
このことはなにも野依に限ったことではなく全国的にある魔除けの風習(ことわざ)のようだ。
(H23. 2. 3 EOS40D撮影)
その前日は節分で一年間の天候を占う行事が野依の白山神社で行われている。
社務所にやってきた総代、区長に一年当番の大頭と小頭。
氏子たちもぞろぞろとやってきた。
炊事場を預かるのは両頭の隣り近所。
お茶やお菓子、お酒の接待に追われる。
座敷にどんと置かれたのが鉄製の火鉢。
錆具合が年代を現しているが記銘は見られない。
火起こししたクヌギの炭が燃えている。
ここが占いの神事の場となるのである。
区長の挨拶で全員は本殿の前に座った。
灯明の明かりだけが怪しく揺らぐ。
黒豆や大豆の他野菜など神饌を供えて始まった。
白山神社に神職は存在しない。
集まってきた人たちだけで般若心経が唱えられる。
暗闇のなかに聞こえる氏子の唱和。
心経は3巻唱えられた。
社務所に再び座った氏子たち。
そろそろ始めようかと火鉢に炭が加えられる。

炭の投入、炭火をじっとおこす二人は火鉢から離れられない。
真っ赤に燃えた炭火は高温の色になってきた。
火鉢周りにまんべんなく火がおきた。
そうして三方から選び出された黒豆は12個。
火鉢に橋渡しされた鉄製の皿に乗せられる。
それは火箸を折った一片である。
側はくるりと変形しているから豆は転がらない。
これからが長い時間を要するのだ。

氏子たちは酒を飲み交わして豆が焼けるときを待つ。
なんでも数時間後に豆が焼けて白い灰と黒い灰が出現するらしい。
それの出現具合で天候を占うというのだ。
白い灰は晴れ、黒いのは雨天だ。
判定は総代を区長が行う。
それによって作物のできに影響を与えるというのだから判定は責任重大。
昨年の結果は社務所に公表している。
1月は雪が多い月だった。
それはまさしく当たっている。
例年、6、7割は当たっているという。
黒豆を置く位置は決まっている。
恵方に向けて2月、3月・・・・1月の行列なのである。
節分の月に行うのだから2月から始まって1月までの一年間である。

今年の恵方は南南東。
じわりじわりの炭火が燃える。
しばらくすると豆から水分というか油のような液体が出だした。
三十分ほどすると豆は黒光りになった。
「もっと継ぎ足さんと焼けんで」と長老から指示がでる。
火力を検分しているのだ。

せかしたらあかんが、何度も何度も炭を入れて継ぎ足す。
その火の温もりが室内に充満するが、酸素もついでに不足するから玄関は開放している。
両頭はほっぺが真っ赤か。
身体全身がほてる。
ストーブにあたっていた氏子たちは寒いという。
それもそのはずプロパンガスが切れたのだ。
それはともかく1時間半を経過したころだ。

一列に並んだ黒豆に炎があがった。
一斉に燃え上がったような感じだ。
焼け付く温度に達したのであろうか。
炎がでたらぼちぼちやという。
そのときだ。黒豆は白くなった。
全部ではない。ところどころだ。
その状況を確かめにくる氏子たち。
視線は火鉢の黒豆に集中する。
それからしばらくは焼ける状況を見続ける。
変化が見られなくなったら豆の検分が始まる。
およそ2時間が経っていた。

総代と新区長が覗き込んで判定する。
台紙に書いた丸い形。
そこに鉛筆で仮の線を入れる。
あとで黒い部分に墨をいれるのだ。

こうして節分の豆占いを終えた。
かつては24時から始めていた。
サラリーマンも多いことから翌朝の出勤に支障がでるということで徐々に開始時間を早めた。
当時は朝方までかかったそうだ。
江戸時代から続く豆占いは天候に左右されやすい農業の祈りでもある。
晴れの日も雨の日も重要である。
5月5日はハレの節句オンダの行事日。
それまでに植え付けしなくてはならない。
雨が降り続ければ田植えの日程も崩れる。
晴ればかりなら田んぼの水も心配だ。
農作業を営む人にとっては重要な行事。
不思議とその年の天候結果が現れる。

神前に供えた黒豆は持ち帰って神棚に供える。
「雷が鳴った時には豆を一粒食べると神さんが守ってくれるので安心します」とご婦人はいう。
年越しの豆を喰えば鬼が嫌がる。
その鬼は雷としてとらえられた。
雷は鬼となれば雷に豆。
豆を食えば怖い雷(鬼)は落ちてこないと信じてきた。
雷が落ちないように豆を食う。
いわゆる雷除けのまじないとされてきたのであろう。
このことはなにも野依に限ったことではなく全国的にある魔除けの風習(ことわざ)のようだ。
(H23. 2. 3 EOS40D撮影)