江戸時代の村の絵図に迹見(とみ)池の痕跡を留め、古図には堤の跡もはっきりかかれていたという大和郡山市池ノ内町。
当時、堤だった南の端には農僕の身代わりとなった奉公牛の伝説が残されている牛の宮塚がある。
朝日が昇るころ自治会役員が集まってくる。
今日は少子化となった現在でも続けられているしんこ喰いの日。
別名、牛の宮参りと呼ばれるもので、数え年16歳になった男児を地区で祝う元服式でもある。
男児がいる施主は、牛の宮へお参りしてしんこ団子とワカメの酢和えを食べるのだが、対象者がいない場合は、いい伝えを継承するため役員がその代行をする。
かっての池ノ内では6月末ころ田植えを終えると野休みに入る。
飼っていた牛は預け牛になって天理の福住にもっていったという。
子供の頃の記憶は鮮明に覚えていて、道中は長く急坂を登ったりするので草鞋三枚が必要だったという。
柔らかい足の牛は守ったらなあかん、大切な家族の一員だった牛にも草鞋を履かせていたんじゃとおっしゃる。
秋冬は福住で育って、春に引き取りにいったらまるまる肥えていたと回想する会長さん。
年季のはいった牛は博労が仔牛を連れてきて追い賃を払って交換したそうだ。
そんな農耕文化も昭和30年代後半には耕運機に変わっていったという。
(H20. 5. 5 Kiss Digtal N撮影)
当時、堤だった南の端には農僕の身代わりとなった奉公牛の伝説が残されている牛の宮塚がある。
朝日が昇るころ自治会役員が集まってくる。
今日は少子化となった現在でも続けられているしんこ喰いの日。
別名、牛の宮参りと呼ばれるもので、数え年16歳になった男児を地区で祝う元服式でもある。
男児がいる施主は、牛の宮へお参りしてしんこ団子とワカメの酢和えを食べるのだが、対象者がいない場合は、いい伝えを継承するため役員がその代行をする。
かっての池ノ内では6月末ころ田植えを終えると野休みに入る。
飼っていた牛は預け牛になって天理の福住にもっていったという。
子供の頃の記憶は鮮明に覚えていて、道中は長く急坂を登ったりするので草鞋三枚が必要だったという。
柔らかい足の牛は守ったらなあかん、大切な家族の一員だった牛にも草鞋を履かせていたんじゃとおっしゃる。
秋冬は福住で育って、春に引き取りにいったらまるまる肥えていたと回想する会長さん。
年季のはいった牛は博労が仔牛を連れてきて追い賃を払って交換したそうだ。
そんな農耕文化も昭和30年代後半には耕運機に変わっていったという。
(H20. 5. 5 Kiss Digtal N撮影)