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マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

奇遇な出会いはまさかの我が家の中庭

2020年06月09日 09時04分25秒 | メモしとこっ!
型番はOCV-JX12。

とうとう廃棄処分することにしたソニーパソコン。

長年、愉しませてくれたデジタル画面もそっくり含めて我が家を出ていく。

かーさんが依頼した破棄用品回収古物商奈良クリーンが来られた。

廃棄物は、中庭にある鉄製の物置。

中身は園芸用の道具に使い古しの諸々。

下部の土台は、雨水ですっかり錆びれて斜めに傾いた。

扉はギクシャクして外れたままに放置。

そのうち大風がやってきて扉がぶっ飛ぶ。

ただ、中庭は植物がいっぱい。

梅の木から山椒の木に南天もある。

それら樹木が支えてくれて大事に至らなんだ。

ただ、放置してから何年も経てばえげつない状態になっていた。

力仕事ができなくなった私に代わってスチールパイプ製の棚の分解はかーさんが実行した。

やっかいなことに、分解は途中まで。

ねじ山、ボルト山が潰れてしまい分解はできない。

叩き壊す大きなハンマーもない。

諦めたところに見つけた古物商。記してあった電話をかけてお願いしたらすぐに来てくれた。

中庭でやっさ、もっさしている古物商の顔を見て・・・・・あれぇ、である。

なんとその男性は顔見知り。

なんで、と聞けば、数年前から知人に教わって商売をしている、というKさん。

金属製のねじ山が潰れており、解体不能の物置。

なんとかしたいが、本日は専用道具がない。

取り急ぎ、急がねばならない次の顧客さんへ・・。

午後4時に終わる予定が、延長戦に突入したから本日作業はそこまで。

回収は、明日以降に来ます、と来訪予定と電話で告げたKさん。

これまで当地区の行事写真を撮ってもらっているから、料金無用と・・。

そんなんあかんから、と伝えても・・受け取る気はない、という。

翌日の午後3時半。

ありがとう、と廃棄処分のお礼に柿のプレゼントを玄関前に置いていた。



Kさんの気持ち、むちゃ嬉しいけど、支払いは来月末に行われる大晦日行事のときまでに・・。

(H30.11.19 SB932SH撮影)
(H30.11.20 SB932SH撮影)

打上花火はどこから打上げているのか

2020年05月17日 10時20分33秒 | メモしとこっ!
大阪の取材を終えて奈良に戻ってきた平成30年11月3日の土曜日。

時間帯は午後7時55分。

目撃した地は第二阪奈道路の壱分料金所。

ETC通過の際に左手山の方から花火が打ちあがる。

一時停車は申しわけないが、料金所すぐ傍の膨らみに停めて、大慌てにカメラを取り出して撮った時間は2分間。











ふっと消えるように終わった。

普段なら持ち合わせていないカメラがここにあるから、撮ってみたが、さて打上げ場所ってどこなのか。

帰宅してから地図で探してみるがさっぱり掴めない・・。

ご存じの方、情報あればありがたい

ふと考えてみた。

壱分料金所から見て東の方角から花火が揚がっているように思えた。

地図を広げて東の方角に線を引く。

その先、山越えしたところにある富雄付近の中町にある近畿大学農学部奈良キャンパス。

広い運動場があると思われる大学キャンパス。

勝手な推測だが、そこから打ち上げていたのではないだろうか。

ネットを駆使して探してみたが、結局はわからず、だった。

(H30.11. 3 EOS7D撮影)

2018年6月18日午前7時58分に発生した震度5強地震

2019年12月02日 09時39分32秒 | メモしとこっ!
いつもの通りの起床に目覚めるまでは1時間強も要る。

歯を磨いて布団揚げ。

1時間半前に電源を入れていたパソコン情報に目を通してからゆったり寛ぐトイレタイム。

排便に苦しむ毎日。

きばるわけにもいかなので自然に身を任せているからどうしても時間がかかる。

籠ってから30分。

そろそろ限界に残便もあるが・・・・。

ガガ、、、ガ、ガ。

地震だと思った瞬間に横揺れが激しい。

しかも止まることもなく揺れ時間が長い。

グラ、グラ・・グラグラ・・。

トイレ室の壁がまるで生き物が動いているように見える。

横揺れは目眩、ではなく酔ったような体感に陥る。

リビングに居たかーさんは悲鳴を挙げているが、こっちとて動ける身ではないから大声を揚げて落ち着かせる。

揺れがおさまっても体感した身体は横揺れを感じたままだ。

胸はドキドキ。

落ち着いてはいるのだが、心は動揺したままである。

その横揺れは南北でなく東西方向の揺れであっただけにトイレで座れば北を見るからまさに東西揺れに身体も横揺れ。

酷い船酔いにあったと思ったくらいだ。

ちなみに昔に知った横揺れを計る単位にガルがあったような。

ネットをぐぐってきたらガルは地震の揺れの強さを表す加速度の単位。

1ガルは毎秒1cmの割合で速度が増す加速度を示す。

そういえば阪神大震災時には盛んにガル表記をされていたが、今では報道にガル一つもない。

阪神大震災時のガルは891。

東日本大震災のときは2933ガル。

桁が違う。

熊本地震では益城町で1580ガルだったが、今回の地震はどれくらいだったのだろうか。

排便はここで停止。

いつも通りにシャワーで汚れを落とす。

電気は止まっていない。

お尻を綺麗にしてすぐさま状況を伝える電話に携帯メール。

かーさんは電話を架けたおふくろの安否状態。

ぐっすり寝ていたらしく振動はあまり感じなかったそうだが、目を覚ましたのは奥の部屋の棚に置いてあったものが落ちたガチャンの音だった。

落ち着いてから掃除をしたようで、ガラス製品の落下である。

その部屋で寝ていたら大騒動になっていたかもしれない。

おふくろが寝ている部屋は高いモノがない。

4月まであった背高のっぽの本棚は我が家に運んで私が寝る部屋にある。

今回、倒れはしなかったが、私の頭に丁度の位置にある。

そんなことはおふくろに伝えないが、安心しとき。

そっちの部屋にある建具は低いから大丈夫だと話したらt落ち着いたようだ。

その間、実弟の下の弟から携帯電話が架かったが、受話器をあげたとたんに切断。

こちらから架けなおしても断。

仕方なくメールで伝えた安否状況は「横揺れ激しかったけど大丈夫だ。おかんも電話して大丈夫だよ」だ。

返答にすぐさま到着した「びっくりしたけて電話したけど安心したよ」。

続けて電話した実弟の三男。

ベル音が鳴ったがとらんので、「そっち大丈夫か」とメール送付。

こっちもすぐさま返ってきた「大丈夫やでー」。

もう一人はいつもおふくろのことを気にかけてくれている甥っ子にも安否状況をメールしたら「ありがとう!心配してたから助かりました」と。

その間にかーさんが伝える我が息子の長男、次男。

遠く離れていてもメールで伝えた安否状況に、みながほっとし。

連絡とっている間も数回の揺れがあった。

震度1や2の微弱余震の揺れについ怯えてしまう。

落ち着きを取り戻したのは午前9時ころ。

いつもと同じ味噌汁におかずが1品の朝飯を食べて常用の薬を服用。

そして測った血圧に心拍数。

血圧は替わり映えしないが、普段の朝食後心拍数は40拍ぐらいなのに52拍になっていた。

平静を装っていたが心拍はまだまだだ。

横揺れが激しく大阪北摂のあるマンションに亀裂が走ったと実弟三男が伝えていた。

9時半ころから続々と伝えられる被害状況が辛い・・・。

気象庁(大阪管区気象台)が伝える震源地マグニチュードはM6.1。

大阪の高槻、吹田、茨木、枚方辺りの大阪北摂部が震源地で震度6弱。

周辺地域の十数市町村は震度5強。

奈良県では住まいする大和郡山市だけが震度5強。

加えて長周期地震動の地震であったと発表された。



ケッコーな横揺れやったから、そうだろうと思う震度に我が家の被害は小さいが、あっちこちにあった落下物に観音扉開き。

なんで廊下に土が転がっているんだい。



原因はずいぶん前に物置代わりになっている奥にあった土入り鉢がカーテン越してぶっ飛んだ、ということだ。

私の部屋ではパソコン棚板に置いてあったモノ入れが若干飛び出していた。

リビングでは紙折の鶴も・・。

そっちに気が付いたけどすぐ傍には写真立てが倒れていた。

これらは軽いものだが、他はなんともない。

2階の部屋はどうなのか。

板の間の部屋も落下物があった。

これも軽いモノ。

えっ、と思った書庫の扉が開いていた。



この扉はきしみがあって手で開け閉めしても力が要る。

で、あるのに開放状態。

局所的にあった落下に観音扉開きは和室にも。



着物箪笥の扉が開いて中から飛びだしたモノがあった。

そんな程度だから大したことはないが、各地で被災された皆さま方にお見舞い申し上げます。

ただ、熊本地震のように数日後に発生した地震の方が大きかった例もあるから侮れない。

心しておけよ、ということだが・・。

その後の余震はおさまったかのように思えた静けさは夜中に吹きだした。

就寝してから1時間半後の午前0時半に突然のビビリ。

震度はそれでもないが、ビビリに目を覚ました。

その次のビビリ。

時間は正確ではないが、午前2時半、3時半・・・。

眠りに戻ったときに目が覚めた朝方の5時。

そして起床後の朝7時。

その度に身体が反応するビビリであった。

(H30. 6.18 SB932SH撮影)

風蘭に出合う葛城屋敷山公園の公園まつり

2019年09月20日 09時15分03秒 | メモしとこっ!
突風が吹き荒れる葛城屋敷山公園まつりの日だった。

お日さんは燦々と輝いているのにまるで春の嵐のような強風である。

突然に荒れることもあるからテントもぶっ飛んだと伝えてくれた葛城市職員のNさん。

怪我や事故がなかったのが幸いだったようだが、公民館におられた職員さんは、早く風がおさまってほしいと願っていた。

この日の公園まつりに参加しているとFBで伝えてくれたFさん。

田原本町のたわらもと観光プロモーション大使を務めているFさんとは、未だ直接の出会いはない。

Fさんからメッセージを受け取ったのは平成30年の2月22日だった。

FB機能にあるメッセンジャーからのメッセージである。

尤もFBリクエストに際に送られたメッセージであるが。

この年の2月22日だった。

私が日々アップしているFBにリクエスト要求があった。

ときおりどなたかのFBにコメントを送っておられたFさん。

言葉遣いが非常に丁寧だった。

言葉遣いでわかるその人の品性。

申し分ないと要求に応えて承認した。

返答にあった「民俗をテーマに!好きなので嬉しい・・」とあった。

私からの返答は「私の取材先は“旧村“行事が大半・・・。取材先はメジャーでなくマイナー。特に土着的といえるような習俗取材に・・・」。

その反応に「土着的な行事、古き良き時代を感じます。生まれ育った天理の村もそんな感じでした」。

天理市市内の行事取材は数多い。

平たん部と山間地。北部、南部によっても地域色が違っており、生活文化の学びを感じるが、未だ訪れていない地域もまた多くある。

どれほど多いか、調査、報告、記録を目的に日々書きとめているブログ「マネジャーの休日余暇(ブログ版)」の中から“天理編”を参考までにお伝えした。

当方のブログを見てくださったFさん。

なんと、平成20年9月23日に取材した天理市六条町・三十八神社(みそや)で行われた頭家渡しに出仕されていた方の関係者である、という。

地域は北方(※柳生)である。

生まれ育ったのが北方というので、当時取材した「頭家渡し」について、一つ記念になれば、と思って、平成22年の1年間に亘って産経新聞に連載していた「天理市南六条の頭家渡しと桃尾の滝の」記事をお送りした。

その記事のことは存じていた。

部数は忘れたが代表者に新聞記事そのものを差し上げたことがあるから、それを見られたのだろう。

返答に「実は私の兄が新頭家として写っていたので、実家で額に入れて飾ってあったのです」とあった。

えっ、である。

なんという奇遇なことに正直驚いた。

ただ、お兄さんは頭家務めを受けてから2年後に他界されていたとは・・・。

これもご縁なり、と、云われるが、私の脳裏がその瞬間に取材していたときの情景がフラッシュバックのように蘇った。

奇遇なご縁をいただいたFさんがご自身のFBで伝えていた葛城屋敷山公園の「葛城市公園まつり」である。

Fさんが、お世話になっている方に風蘭を栽培されている親方が居る。

その親方が心を込めて育てた風蘭を当イベントで売り出し、そのお手伝いをする、と書いておられたので、車を西の葛城に向けて走った。

売り子されているならたぶんにお会いできる。

しかも懐かしい風蘭売り。

ずいぶん昔のことだが、山野草店で買ったことのある風蘭。

我が家は不向きな環境であったのか、消滅してしまった。

当時からも育てていたセッコクとは、育て方が違うのだろう。

山野草に限らず、育てる環境が間違ってしまえば、餓死させてしまう。

山取りした野草が一般家庭の庭に馴染まないなんてことは多々ある。

むしろ、どこからか飛んできた種で庭に住み着いた事例が多い。

それはともかく、この年で42回目を迎えた葛城屋敷山公園の「葛城市公園まつり」。

初めて伺うだけにワクワクする。

ただ、葛城屋敷山公園の在地は存じているが、停めたことがないから、駐車場の場所がわかっていない。

うろうろしていると臨時駐車場を誘導してくれた。

駐車場はほぼ満杯状態。と、いうことは会場も満杯。

人気の「葛城市公園まつり」の第一歩は強風吹き荒れる日だった。

天候は快晴であるが、突風には展示会場も泣かされる。

特に危険なのがテント張り。

風に煽られて飛んでしまえば凶器に変質。

飛ばないようにセーフテイ状態に完全確保は必須である。

臨時駐車場からの入場は裏口入場が近い。

距離はそれほどでもないが、なんせ初めての地。

迷路のように思えた。



ぐるりと廻ったそこに売っていた風蘭。

忙しくしていた売り子さんに声をかけたら、あっ、である。

初めてお会いしたFさんが紹介してくださった風蘭の自家栽培家のNさんに教えを乞う。

株分けで増やした風蘭は水をやってはならん、直置きでなく、木に吊るした方が良くなると教えてくださるNさんは度々賞を取る有名人。

風蘭栽培は趣味の世界。

本業は葛城市新庄で営む化粧品店店主。

72歳になられたNさんは、かつて脳血管疾患に陥った。

ところが、2度の脳血管疾患体験を克服したそうだ。

患部は違うが、私は心臓疾患。

500円で分けてもらった”黄金錦”風蘭で元気をもらうことにした。

あれこれ話してくださるNさんが話題提供してくださった地元の民俗行事がある。

1月8日の午後3時に行われる戎講の行事。

現在は少子化で地元子どもも少なくなったが、2、3枚の抽選券を買ってコヨリ籤で当りを貰うそうだ。

昔は大勢の子どもたちがやってきて買っていたという。

祭りの場は、戎神社。

神社近くに地区周辺の7軒が見守る大神宮燈籠があるというからダイジングサン行事もあろうか。

また、新庄中学校の前にある新宮さんと呼ぶ神社がある。

その神社は、葛木御縣(あがた)神社。

4月におんだ祭の行事をしている住吉神社も近くにあるから、行事取材に是非とも来て欲しい、と願われた。

なお、葛木御縣神社行事もまた興味ある。

時間帯はわからないが、7月13日は夏祭り。

おそらく十二振提灯が繰り出されるだろう。

ちなみに本日、購入した”黄金錦”風蘭。

照明のえーとこは、どこと思って置いた場所は障子の前。

風蘭に似合う和風様式に映えたら、と思って撮っていた。



向こう側には藁紐が見える。

これは手前にある祭具の一部である。

祭具の材料はヤブニッキ。

そう、香りの良いヤブニッキの枝木である。

京都・山城町の湧出宮で一年間も奉っていた勧請縄に飾っていたヤブニッキ作りの“矢”は、取材の折りに文化財調査員とともに所在を確認していた行事の祭具。

行事が終われば、その日のとんどで燃やされる。

捨てるモノであれば、いただけないかと与力座の人にもらった。

貴重な祭具は燃えてしまえば何も残らないが、こうしていただいたものは保存、記録。

後世に伝えることがあっても、何であるのかわかるように、“F(エフ)“札に日付け、入手地・行事名・詳細などを記す。

こうしておけば、後年に寄託した博物館学芸員が判断できる、という具合だ。

(H30. 5. 3 SB932SH撮影)

鯖・サバが好き!旨すぎる国民的青魚のすべて記念イベントin大阪・ロフトプラスワンウエスト

2019年09月06日 09時54分42秒 | メモしとこっ!
平成30年の3月12日に全国発売された『サバが好き!旨すぎる国民的青魚のすべて』がある。

著者は池田陽子さん。

出版は山と渓谷社。

編集者は草柳佳昭さん。

ひょんなことから知り合ったお二人が、『サバが好き!旨すぎる国民的青魚のすべて』発刊記念に大阪にやってくるとFBで伝えていた。

知り合ってからすべての交信は電子メールにFBメール。

一度もお会いせずに、黙っておくのは私の気持ちが許せない。

発刊記念のイベントの主役は著者の池田陽子さんにある。

池田陽子さんは全日本さば連合会・広報を担当する美人のサバジェンヌ。

日本各地の漁港から魚屋さんにサバ調理人に顔が広い。

地域活動も幅広く駆けずり回っているようだ。

池田陽子さん
もう一つの顔

薬膳料理家に薬膳アテンダントである。

とにかくお忙しい池田さんと面識させていただきたく会場に出向くことにした。

実は二の足を踏んでいた。

理由はチケット購買である。

記念イベントの会場は大阪・ロフトプラスワンウエスト(2014年オープンのライブハウス)。

大阪市中央区宗右衛門町の美松ビル3階が会場であるが、誰でも彼でも入室できるのではなく、チケット購買を要する有料会場。

生まれてこのかた、チケット購入なんぞしたことがない。

方法、手段がさっぱりわからない。

もう一つの理由は前売りが2300円の当日飲食代が別途の2800円。

奈良からの往復交通費も入れりゃ私の生活費では賄えない。

顔出しだけが精いっぱい。

お会いして、コラム執筆にサシサバ写真を掲載してくださった発刊のお礼を伝えたい。

あわよくば入場でもできれば、と思って電車でやってきた。

久しぶりの夜の街。

大阪の夜の街は何年ぶりになるだろうか。

ビジネスマン時代のころは、淀屋橋で飲んで難波でも。

若いときはなんでもなかった金力、体力。

どちらも随分と衰えたものだ。

会場は午後6時半に開場。

イベントオープンが午後7時半。

早めに到着したいと思って近鉄難波駅に午後45分に着く。

日本橋駅を目指してイベント直線。

地下街の虹のまち(※現在はなんばウォーク)を歩く。

たしかここら辺りで地上に出て・・あそこを曲がってあそこらへん・・。

なんせスマホを持ち合わせていない私が頼りにするペーパ出力マップ。

ウロウロするだけでなかなか美松ビルに出会えない。

ここら辺りだろうと思って2階に上がったら大勢の人たちがいたが風体が違う。

受付もないし、会場を匂わせる雰囲気もない。

間違ってあがったビルを背中にまた歩き出す。

焼肉食べ放題のまんぷく市場でもない。

もしかとすればこの筋では・・・。



アタリである。

それにしてもこの宗右衛門町界隈を歩く人の姿にビジネスマンは少ない。

とにかく多く見られるインバウンド。

ぞろぞろ引くキャスターの音があっちからもこっちからも。

まず間違いなくアジア系のインバウンドで溢れる街になっていた。

美松ビル玄関口にあるフロアー案内。



ホストクラブもあればラウンジなどなどに混ざって文字表記で「サバが大好き!ナイト」。

「国民的青魚のすべてを知って、食べて楽しむ」とサブ表示。

出演は全日本さば連合会の小林崇亮会長サバニストに池田陽子応援サバジェンヌ。

お一人様、1コース2700円で食べられる9品のSPサバメニューも書いていた。

そう、入場料に食事代は別。

当日なら5500円。

飲み放題でもなく別途にドリンク代も、当然要る。

メニューのサバは新作料理もあるとFBで伝えていた。

そのメニューは、島根県浜田のサバ竜田揚げスイートチリソースORブルドック「滋養ソース」に島根県浜田のサバトマト照り焼き、島根県浜田鯖ほぐしと海藻の中華和え、豆腐のっけ・三重県南伊勢おかげ鯖のしゃぶしゃぶ、三重県南伊勢おかげ鯖の焼き串・福井県美浜のへしこと刺身、大阪府の魚庵の金華さば棒寿司、大阪府の魚庵の鯖寿司茶漬け、鳥取県因幡の塩鯖麹漬の9品。

2700円でこれだけのごつっぉに出合えるなんてありえない。

それぞれ何切れずつなのかわからない。

最小の数であっても9品。

舌が肥えてしまうだろうな。

少しノゾキミを、と思ったところに店員さんが顔を出してくれた。

これ幸いに、お願いしたサバジェンヌ池田陽子さんの呼び出し。

用件と名前を告げたら、断られることもなく受け入れてくれた。

呼び出しに声をかけられたサバジェンヌ。

初対面に名前を告げたら、わーぉ。

まさかのここで・・と喜んでくださった。

お話しているときに声をかけてくださった男性。

こちらも初対面になる草柳佳昭さん。

お会いできただけで感動もん。

会話する時間もない忙しさのサバジェンヌ池田陽子さん。



この日はテレビ局の取材が入っていた。

スタジオはいつ来夏客が来ても間に合うよう準備が調っていた。

ギラギラの会場にスポットライトを浴びる。

今からショーでも始まりそうな雰囲気の場で取材に応じていた。



その一こまを記録する草柳佳昭さん。

写真好きの行動派の草柳佳昭さんはときおりFBでとらえた気になる映像を紹介している。

ショーが始まるまでもうすぐ。

申しわけないが、失礼させてもらって退室。



入口にはすでに行列ができていた。

会場を出て通りに出る。

相変わらずというか、さらに増えていたアジア系のインバウンド。

ガラガラ引きずるキャスターの音量もまた多くなっていた。

さらに南下した処に派出所がある。



見覚えのある派出所は大阪府警の道頓堀交番所。

懐かしい同級生の顔を思い出す。

昭和45年に卒業した大阪府立東住吉工業高校のときの同級生であった安藤くん。

剣道が達者だった彼は警察官になった。

高校を卒業してから1年後くらいだったように思えるが定かでない。

私が初めて勤めた就職先は日本レイヨンの宇治工場。

数カ月は寮生でいたが1カ月くらいで退寮。

京阪電車の寝屋川?駅近くのアパート、トイレも風呂もない四畳半一間の住まいで一人住まいして通勤。

やがてそれも負担になって大阪・実家から片道2時間もかけて通勤していた。

それもまた嫌気をさして退職。

自宅でぶらぶらしている日々に覚えた麻雀屋のアルバイト。

このときに覚えた喫煙も平成27年7月の大病で卒業した。

麻雀で稼ぐつもりのなかった息子を不憫と思ったおふくろが頼み込んで受けた就職試験。

日本生命の関連会社になる情報処理会社で勤めるようになった半年後くらいに会社の同僚たちと飲みに来た。

その帰りに覗き込んだ道頓堀交番所に彼が座っていた。

あれぇーとお互いが指さし。

久しぶりの出会いにすっかり酔いが覚めたかな。

公務の邪魔をしてはならないと思ってすぐに立ち去った。



その交番所すぐ傍を流れる道頓堀川。

昭和の時代、水質汚濁によって悪臭を放つどぶ川だった。

さまざまな取り組みによって浄化

一部、報道によれば鮎魚が戻ってきた、というが・・。



奇麗な川になった道頓堀川に大勢のお客さんを載せた観光クルーズ船が行き交う。

ビジネスマン時代の道頓堀川、近くにいてもそんなに臭いの?って、逆に思うのだが・・・。

ただ、ネオンサインはずいぶんと凝ったものになって、眩しいほどのギンギンギラギラに移り変わったけど・・。



懐かしい金龍ラーメンの看板が見えるが、初めて食べたのは御堂筋川。

この道頓堀川店は、当時部長だったYさんが、食べに行こうと誘ってくれた通り。

今ではアジア系の人ばかりが気になるどこかの国かと見間違うような景観である。

(H30. 4.25 SB932SH撮影)

雪積もる朝に目が覚めるも午前中いっぱい待たずに雪は消えた

2019年06月04日 09時02分52秒 | メモしとこっ!
夜、気もつかずにぐっすり寝ていた。

目が覚めた朝も気づかず。

庭に出て新聞を取りに行った家人が「真っ白や」の声にそうやったんや。



声に目が覚めたのか、それとも一面に真っ白になった積もる雪に目が覚めたのか・・。

遠くに見えるお山は生駒山。

ついつい歌いだしたくなる「河内おとこ節」にさぁーても、みなさぁーーま♪おぉそれぇながらぁ・・。

ワイの親父は、いこまーぁやま(生駒山)♪・・と歌うお山に笠がない。



住まいする周辺の屋根はどこもかしこも真っ白であるにも関わらずお山に雪の笠がない。

周辺に降った1年ぶりの積雪は2cm~3cm程度。

表の道に車の轍。

2時間も経てばすっかり消えた。

午前4時ころから降り出した積雪も昼前になればほとんどが消えた。

そうなってからようやく動き出す本日の買物。

正午時間まで澄ましておきたい野菜や毎日に使う小物類。

3軒回って戻ってきた。

すっかり雪が解けた道路はすいすい走った。

今回の積雪は奈良からみれば西の大阪湾から流れ込む冷気が東にある生駒山を越えて平坦部に積雪をもたらしたようだ。

明日もまた同じように大阪湾から西寄りの風にのった雪雲が流れ込み、奈良県北部は大雪になるおそれがあると夕方の天気予報で伝えていた。

(H30. 2.12 SB932SH撮影)

人気のレインボーラムネが入手できるカフェ

2019年05月12日 09時38分07秒 | メモしとこっ!
えっ、ここのお店、2カ月前はこのような看板は見なかったが・・・

数か月に一度は必ず通る通院日。

駐車場までの道沿いにあるカフェである。

看板を見て驚いた。

あの有名な生駒のレインボーラムネがここのお店で販売中とある。

とにかく入手がとても難しい大人気のレインボーラムネである。

看板に書いているようにケンミンショーでも取り上げられたレインボーラムネ。

生駒市のふるさと納税の返礼品に指定されたようだ。

(H30. 1.23 SB932SH撮影)

ブレンドコーヒー1杯を無料にする年賀はがき

2019年05月06日 09時58分49秒 | メモしとこっ!
ブレンドコーヒー1杯を無料にする年賀はがきが届いたのは元日の朝の配達だった。

我が家に届く年賀状は親族、友人、知人などさまざま。

一年に一度は、近況を伝えてくれる年賀状。

もっとも一般的な文言は圧倒的に多いなか、数文字でコメントを書いている人も少なくはない。

毎年のように「お元気ですか」を伝える知人も居る。

それらに混ざって我が家に関わった業者さんからの年賀状もある。

中でもこれは、と思ったのがブレンドコーヒー1杯を無料にする年賀はがきだった。

謹賀新年の文字があるさかい、年賀状には違いないが、「このハガキ持参でブレンドコーヒー1杯を無料プレゼント」と表記している。

どこから出状されたのか・・。

書いてあった送り主は市内下三橋にあるローソン下三橋店。

併設するガソリンスタンドで補給する場合もあるが、ローソン店は何度も、というわけではない。

むしろ入店は買い物用事でもない限り入店することはない。

この日は国道沿いにあるカメラのキタムラ奈良南店の用事もあったし、国道向かいのイオンモール大和郡山店のお買い物もあった。

ついでではないが、ガソリン補給もある。

なにかと慌ただしく小刻みに動き回る。

ほっとしたい時間も欲しい。

そう思って店員さんに差し出したコーヒー1杯プレゼントハガキ。

「これってお店で使えるのですか」と手渡せば、受け取る。

不思議そうな顔をした女性店員さんは物も言わずに、扉を開けて奥に入った。

声は聞こえないが、ベテランの店員さんに尋ねているようだ。

そして戻ってきた店員さんはホットですか、アイスにしますか、だった。

疲れている頭をアイスで冷やすことにした。



寛げる時間はそんなにないが、コーナーで一服。

と、いってもタバコは辞めている。

スマホも持っていないから時間つぶしができない。

2/3のブレンドコーヒーを飲んで車に乗った。

ところで、我が家にローソンから届く理由がない。

宛先面を見れば「店舗近隣にお住まいのみなさまへ」となっている。

配達地域指定」で届くんだ。

(H30. 1.20 SB932SH撮影)

私がとらえた大和の民俗―水―打上の宴in旬味和膳季乃庄

2019年04月06日 08時15分32秒 | メモしとこっ!
平成28年10月29日から12月11日まで開催していた奈良県立民俗博物館企画展の「私がとらえた大和の民俗」写真展。

今回で6回目になったテーマは「住」

手ごわいテーマにカメラマンたちが実力を発揮し、それぞれが選んだテーマは多岐に亘るバラエテイな結果になったのはたまたまであろう。

博物館の仕事の関係で多少の遅れがあった二人の学芸員。

宴の前にしたかった打ち合わせ資料の整備に時間がかかった模様だ。

ご苦労さんなことだが、これも仕事のうち。

やむを得ず欠席された方は3人。

なにかと事情があるわけだ。

宴の料理である。

飲み放題の特別会席コース料は5千円。

なんとなく前年にいただいた料理と同じように思えるのだが・・・。



お通しの器に盛った3品。

お造りは品数の少ない5種盛り。



豚バラ肉の枚数が増えたような気もする陶板焼き。

厚揚げ、タマネギ、カボチャ、パプリカ、ニンジン、モヤシにカイワレ大根は味噌タレで食べる。

おっと、これは・・。



グロテスクな魚はソイ。

油で揚げたカリカリのソイの身は淡白で実に美味い。

決して外道ではありませぬ。

もう一品は鍋料理。

これは鮟鱇だな。

白菜、菜っ葉にシメジ。



煮えた食材はポン酢でいただく。

前回とは違っている料理なんだが、何年か前もこんなだったような気もするが・・・。

美味しい料理に生ビールがぐいぐい進む。

縁もたけなわに時間を忘れるのはいつもと同じ。

おかげさんで中生ジョッキは5杯も飲んでいた。

宴会終わりごろに地区の代議士を務めているK氏と出会う。

この場で話すこともできないから頭をぺこりと下げるだけ。

幹事が支払う今夜の宴の料理は飲み放題で一人5千円。

季乃庄が現金支払いしか受け付けてくれないのが残念だ。

みなと別れてから乗り込んだバス帰り。

仕事帰りのHさんとも出会った今夜の宴に、写真道に入った動機は・・・、カメラを持ちたいから始まるなんていうのはおかしいとか・・・、何かを撮りたいからが写真道の動機と言い張るが、私は・・動機なんてなんでもいいでしょと思うだけ。

で、次回のテーマ案である。

Sさんがポツリと云った。

「葬送」の儀礼。

そのことに反応した私は「送る」。

「贈る言葉」なんていう有名な唄がある。

「私がとらえた大和の民俗」写真展は今回で7回目。

目標は10回目の記念に写真家がとらえた大和の民俗を描く民俗写真の“本”を発刊する。

集大成でもある。

10回で10年。

事業会社やスーパーなどの店舗でも開店十周年記念事業、或いはイベントがある。

一区切りの〆に出版本。

それは当初、始めたときに鹿谷さんが描いていいた“夢”でもある。

実現するかどうかは、県立民俗博物館の存続もあるが、写真家の継続力もある。

目標感が定まれば10回目のテーマはどうするか。

私の考えは、一旦は幕締めして次世代を継ぐ写真家に繋ぐ。

行事でもそうだが、後継者に繋ぐということだ。

そういう意味を込めて私は次世代に送るということで「送」にしたい。

充てる漢字は「伝」、或いは運ぶという意味もある「便」でも良いし、「廻」も・・・。

さまざまな意見が飛び交って、仮決定した次テーマは「火」。

ただ、ローソクの火ばかり30枚もずらーっと並ぶのだけはやめてくれ、といいたい。

「火」そのものを扱う、或いは必然的に道具として登場するローソクばかりになっては、なんという体たらくな写真家と云われたらおしまいだ。

ただ、「足元を照らす」テーマで伝えるものならば・・。

或いはダイナミックに「火の粉」の様相を伝える行事であれば、と云いたいところだが、そればかりの写真では“民俗“にストーリーは薄っぺらい。

自宅に戻ったこの夜は夢の中でざわめく。

ストレートな「火」を描くのではなく、「くすぶる」とか、「燃えカス」、「火煙」・・から連想した「煤」がある。

「煤」とくれば「竃」である。

或いは「トーシミ」、「燭台」である。“火のない所に煙は立たぬ”である。

私は前回テーマの「住」に対して「火廼要鎮(火の用心)」を挙げた。

防火に住まいを守るというテーマであった。

消防バケツをもって住まいする町を守るということだ。

二匹目のドジョウを挙げるわけにはいかないが・・・今回は町を守る「火消し」にしたい。

「消防団」はどういうところで活動しているのか。尤も防火を目的とする自警団。

いざという時のために何をしているのか、である。

そうであれば、とんど火の後始末や火消しの道具がある。

消防車や消防ポンプの手入れとか消防用水場の検分などもある。

先日、お会いした村の役員が云った。

どこの誰なのか知らないが、村の貯水場の上に車を停めた人がいたので注意した。

駐車禁止の表示もしている防火用水槽の蓋の上に停めていた件であった。

火災類焼に繋がる行為は絶対にしてはならない。

村であっても町であっても駐車禁止にしているのは消防署の真ん前に停めることである。

真ん前の一般道路には停止しないように区切り表示をしている。

例え、信号待ちであっても、その区域は停めることならず、である。

テーマは決まったが、訴えるような写真になるかどうかは別問題。

ただ、意識しておれば、自然とシャッターを押すことになるだろう。

今回は仮であるが第8回目のテーマが「火」に決った。

開催月は11月になると想定できるが、出展の締め切りは7月。

7カ月も前に決ったのだから、チャレンジ期間は長目。

いつも早くテーマ決めをしてくれと云われるが、こんなけの期間があれば大丈夫だろう。

それとも締め切り間際になって“お尻に火がついた”ってことはないようにしてもらいたいものだ。

(H29.12.22 SB932SH撮影)

民俗話題が広がる懐かしい二人の再会

2018年12月06日 09時49分15秒 | メモしとこっ!
京都府の南山城村高尾の民俗調査を終えて帰路につく。

カーナビゲーションにセットしたのは大和郡山市の自宅まで。

高尾からの戻り道を指示するルートは柳生経由の奈良市内行き。

初めて通る道にワクワクする。

ほんの2kmぐらいだろうか。

開けた地に出たところは三叉路。

左右を走る道路は広くなった。

ここはどこ。

カーナビゲーションが表示した地名は奈良市邑地町。

えっ、ここに出て来たのか。

邑地町といえば水越神社の宵宮を取材したことがある。

当時は取材の細かさは聞き取りできていないが、宵宮に奉納される翁の舞や袖を触るジンパイやふんどし姿で神さんにささげる神事スモウがある。

平成17年の10月8日の状況であるが、未だに翌日の昼間に行われる本祭は見たことがない。

第二日曜日は無理なこと。

諦めの気持ちである。

撮らせてもらった写真に著書の『奈良大和路の年中行事』も献本させてもらった村である。

目と鼻の先に繋がっていた奈良の邑地町と京都の高尾の距離に驚いたものだ。

その先を示したカーナビゲーションは右へいけ、である。

指示にもう反逆するつもりはない。

奈良市内に向けて、GO(ゴー)である。

見覚えのある史跡が右手に見ながらカーブを曲がり切る。

その直後に現われた民家が数軒。

一番手前にあったお家の玄関に注連縄があった。

もしかとすれば、もしかとすれば、と思って急停車。

道路脇に停めて表札を見れば、ここであったのか、と嬉しさがこみ上げる。

興ヶ原町在住のTさんだ。

80歳はとっくにクリアーしている元宮司。

地元興ヶ原町では天満神社の宵宮を取材させてもらったことがある。

平成24年10月15日だった。

その年は宮司の務めをしながら当家も務められた。

宮司は2年前に引退された。

退任および宮司引継ぎを伝える封書をいただいたのは平成28年の4月7日。

宮司職を退職されたのはその年の3月末だった。

その宮司後任に指名されたのは甥っ子の奈良市阪原町に住まいするO宮司。

先代の親父さんも存知している親子である。

O宮司とは前年の平成28年12月4日

引き継がれた山添村大西の稲荷神社の新嘗祭に出会った。

そのときの話題は神職を引退されたTさんのことだった。

通知も、Tさんからの直接の電話も貰っていたから、できる限り、早めにお会いしたいと思っていた。

家に帰れば住居番地はわかるが、なければ聞かざるを得ない。

そう思っていた日々。

いきなり現れたTさんが住まいする家に思わず呼び鈴を押す。

屋内から出てこられたのはTさん。

おおーと云いながら顔合わせ。

何年ぶりにおあいするのだろうか。

たぶん平成24年の天満神社の宵宮が最後だったように思える。

そのときの行事の状況は調査報告書に残された。

その日の基調講演に登場した吉村旭輝さんが天満神社の宵宮を調査されていた。

平成28年11月15日に行われた「農とつながる伝統祭事フォーラム」に基調講演をされていた吉村さん。

神社行事の翁舞を調査された報告書は『奈良県の民俗芸能-奈良県民俗芸能緊急調査報告書-』にある。

詳しくは平成26年3月末に発刊された調査報告書を読んでいただければ幸いであるが、販売はされていない。

最寄りの図書館に置いてあるはずなので是非探してもらいたい。

なんでも大西でお会いしたO宮司から私のことを聞いていたようだ。

甥っ子になるO宮司の父親に嫁いだのがTさんの姉。

O宮司はTさんのことを叔父と云っていたので、親族繋がりがやっとわかった。

高尾の民俗調査の発端は南山城村の北大河原の産直販売店。

その売り場で聞いたカンセンギョ・・・の言葉に反応されたTさん。

それなら我が家でもしているというのだから、これまた驚きである。

今は名誉宮司になられたが、Oさんに引き継いだ兼社は17カ所。

山添村が多いらしいが、宮さん行事以外にカンセンギョの言葉がTさん直々に話してくださるのは光栄である。

供えるところを案内してあげる、といわれてくっついていく。

川沿いの道路に沿って東に数百メートル。

大きな木がある。

その木は太くなったフジツルが絡んでいるカシの木。

その下に大岩があるという。

昭和2年に拡張された道路によって大岩の頭の部分が動いたらしい。

大岩には由来があるというTさんは昭和4年生まれ。

現在88歳である。

道路格闘時代はまだ生まれてはいないがその由来とは・・。

なんでも豊臣秀吉の時代になる。

大坂城築城の際に地方から寄進された大岩は城造りの石に利用された。

秀吉から命令がきた興ケ原町はそうしたか、である。

秀吉を命令を避けるためには大岩が動かないことを示したい。

それが理由にした地蔵石仏に転化した。

地蔵さんであれば命令に背いたことにはならず、動かせないという理由にしたのである。

結局は運べという話しは消えた。

その地蔵さんはカシの木の下にあると云って案内する。

どこをそう探っても地蔵さんの姿は見えない。

Tさんがいうには深彫りの地蔵さん。

線刻であれば、見つかり難いが、深彫りであれば・・と思うのだが、見つからない。

そういう結果であったが、カンセンギョに供える場には違いない。

大寒の日になるのか、覚えておられなかったが、家族の何人かが膳に盛ったアブラゲメシを供えにいくというから、是非とも、である。

ちなみに稲荷講に属しているT家であるが、講中の皆がそこへ供えることなく、T家だけの特有の祭り方である。

稲荷講は真言宗御室派安楽寺に属するようだが、寺行事ではないカンセンギョが行われると想定される日が近くになったころにお電話をさせていただくことにした。

ちなみTさんが出仕していた山添村の各村。

今年の1月のオコナイを取材させてもらった鵜山もあれば、葛も、である。

両村とも実は三重県に同名の村がある。

いずれも明治時代になってから分かれた村である。

T家を離れて再び街道に戻る。

ここから次の村が柳生である。

橋架かりに信号機がある。

ここまで来れば通り過ぎるわけにはいかない。

これもまた何年もお会いしていないI家がある。

Iさんは現職宮司。

なにかとお世話になってきた宮司家の前を通り過ぎてしまったら罰が当たる。

運転するハンドルが意思を伝えてくれて右に切る。

目の前にI夫妻がおられた。

運転席から手を振ったら、気がつかれた。

Iさんも、先にお会いしたTさんも賀状のやりとりをしている。

短い文で私の病いのことを伝えていたから、自ずとその話題になるが、こんなに元気になった顔に二人とも喜んでくれたのが嬉しい。

話題開口一番は奈良交通が動いてくれる神社巡り団体参拝ツアー。

ツアーコンダクターがなんと、なんとの南都銀行ではなく、奈良交通社勤務のTさんであった。

TさんがIさんも存じている写真家Nさんと写真で繋がっていたことを知って、どこでどう繋がっていくやら・・と驚いておられた。

久しぶりの顔合わせにやはりのIさんが出仕されている地域の行事話題。

中ノ川町の行事はIさんのおかげで宵宮を取材したことがあるが、近隣になる東鳴川町は未だに行けていない。

場所も知っているが、地区の長老とお会いできていなくて、そのままになっている。

Iさんが云うにはお供えにシトギ(粢)がある。

シトギの原材料は粳米の殻付き玄米。

その殻を除去するには板擦り作業がある。

板に挟んでゴシゴシ。

取れた殻は口で吹いて飛ばす。

まるで唐箕のように風起こしで殻を飛ばす。

奇麗になった玄米は粉挽きする。

米粉にしたら練りに入る。

練りに使う水分はお酒である。

アルコールは蒸発してしまうというシトギ作りは、それで終わりでなく、厚さが数センチの丸型に広げて出来上がり。

もう一つの特徴は重箱詰めの手造り料理である。

重箱は三つ。

一つは煮た捻りコンニャク。

二つ目に白菜のおひたし。

三つ目のお重は細い姿の酢ゴボウ。

これらお供えは下げて直会でいただく。

お重の料理は味付けしているからすぐ食べられるが、シトギは電熱コンロで焼いて食べるそうだ。

その行事日は第二日曜日。

諦めるか、それとも・・。

(H29. 9.19 SB932SH撮影)