goo blog サービス終了のお知らせ 

マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

組立式簡易ロールマットレスの解体、移設、再設置

2022年02月08日 08時50分28秒 | むびょうそくさい(おかん編)
3カ月前の3月13日に購入。

楽天市場を通して買った組立式の簡易ベッド

ガーデニング工房製の脚付きロールマットレス。

UNITEシリーズセミシングルボンネルコイル-レド-。

サイズはSSサイズ。

長さは195×80。

高さが34.5。

空間長は15.5からなるコンパクトサイズ。

色はネイビー色。

この簡易ベッドは税込み8890円で買ったが、送料は2000円だった。

重量もあるから送料が有料に納得し、躊躇いもなく購入した組立式簡易ロールマットレスは、おふくろが済む大阪・住之江の団地階に設置した。

ベッドの体感を喜んでくれた。

ところが、住之江の居住地で利用したのは、たったの2週間。

寝床は良かったが、3度目の圧迫骨折に緊急入院

退院の時期は、未だ確信がとれない病院内での闘病にリハビリ。

退院したとしても、現状のコロナウイルス禍では大阪に戻れる状況は・・・。

見通しは暗い。

尤も、身体そのものが以前の状態に戻れるだろうか。

戻らない身体状況に、決断した数か月後の予測。

奈良に住む我が家に生活をともにする一時的な仮同居。

元の生活に完全復帰は無理だとしても、できうる限りのリハビリ生活に移すこと人なるだろう。

ならば、組立式簡易ロールマットレスは我が家に・・・

遅かれ早かれ、移動しなければならない簡易ベッドの引っ越し。

組立が簡単なら、解体もできるだろう。

初めての組立には実弟の三男に応援を願ったが、かーさんと二人で運べるだろう。

たぶんに難儀するのは、団地の階段。

解体した簡易ベッドを背たろぉてでも下ろしたい。

なんとかなるだろう。

今日の目的はもう一つある。

入院期間中にリハビリするのは専門の医師。

いわゆる理学療法士に作業療法士。

本来なら居住地の状態・状況に合わせたリハビル目標・計画を立て、実施しなければならいが・・。

医師に、その生活環境がどのような状態にあるのか、知ってもらいたく生活する団地の階段、室内のあらゆる場所の段差や幅を伝えたい。

映ポイントとなる場の高さ、段差、幅などを計測に、そこがどういう具合であるのか・・・

動画であれば、立体空間がわかりやすいが、わざわざ視覚してもらうには無理がある。

いつでも見ることができる、ブック形式の形態に、一枚一枚にコメントを付加する静止画像で理解できるようなモノを提供したい。

そう思って撮っていた携帯写真の映像は、さまざまな角度でとらえた。

トップに、団地の市営住宅階段。


5階建てにエレベータはない。

居住地の階段は、入居してから幾年か経ったころに据え付けてくれた補助の手すり。

若いときは、まったく気がつかなかった介護の用具。

1階部分に手すりはあるが、数段上ってから初めて触れる手すり。

上り初めに気になる手の届かない空間に戸惑い・・・



中2階、2階へもすべて補助する手すりがある。

途中でなんどか休憩する階段上り。



ようやくたどり着いた住居の玄関口に僅かな段差がある。

玄関右手に手すりを取り付けもらった買い取りの介護用具。



靴脱ぎ、靴履き用に据えた中高椅子。



駆け上がり口の高さは5cm。

玄関上がった場から和室に入る敷居の段差は3cm。



玄関から眺めた左側にトイレがある。



両サイドに据えた手すりも買い取りの介護用具。

中央の炊事場からベランダ出入り口にも買い取りの手すりを設置。



ベランダ出入りの敷居は高く、要介護3の身では、跨ぎが難しい高さ16cm。



ベランダから炊事場に出入りする敷居の高さは16cm。

敷居幅は28cm。



狭いから両手で支えられる。

炊事場裏が浴室。



要支援2のときは、入浴ヘルパーさんの支援を受け、入浴していたが、現況の要介護3の身では浴室に移動、跨ぎ動作は・・・

浴室~着替え室への移動も跨ぎ。



その段差は14cmに、幅は18cm。

その動作に補う介護用具が数点ある。

測れば測るほどに独り暮らしは難しいと感じる築後47年(※入居年は昭和52年)になる市営住宅から搬送、移動する組立式簡易ロールマットレス。

マットレスそのものは柔かい。

ゆえに、ぐにゃっと曲げて半折りできた。

強い弾力にすぐ戻る。

そこらにあった着物の帯紐みないなもん。

それで縛ってばーん、と戻らないように縛った。



肝心かなめの土台を半折するには・・・・。

数カ月前の組立作業を思い出し。



そうだ。

中央にあるこの部分だけのネジを外せばいいんだ。



中央の脚を緩めて外し、必要な箇所だけのネジを抜く。

こうしてできた脚も半折。

マットレス、そして土台を1階まで下ろす。

マットレスは意外と大きい。

ときおり、階段の壁に当たって擦れる。

少々の擦りきれはやむなし。



箱型軽バンに軽々載せて搬送した。

わが家に戻って再組立。

中央の脚を据えてマットレス敷き。



木製の土台と一体化させるマットレス・ファスナーを締めてできあがり。

私が主にしているパソコン部屋の片隅に据えた。

ラクラク解体、ラクラク運搬、ラクラク再設置の組立式簡易ロールマットレス。



買物した“楽天ROOM”に、「解体ラクラク、搬送もラクラク、再組み立てもラクラク、介護の身のおふくろもぐっすり寝れる。こりゃいい。」とコメントを入れて3枚の画像をアップしたら、いいね!が十数人もしてくれた。

無事、退院し、わが家で療養・リハビリまではもったいないから、私が・・・と云いかけたら、ベッドに凹み、形がつくから・・・と、却下された。

(R2. 5.22 SB805SH撮影)

ふり返る令和2年4月の介護まとめ

2022年01月06日 10時07分46秒 | むびょうそくさい(おかん編)
この月もおふくろの介護の関係で大阪・住之江に行くこと度々。

記憶は記録。

ふり返る際に思い出したい事項は書き記しておく。

1日の経緯は・・・二度あることは三度あると云われていたとおりになった圧迫骨折に緊急入院

入院翌日の2日。

面会謝絶につき受付に申し出。

東棟担当介護士に物品預かりをお願いした。

この日の預かりもんは、午前中にアピタで買ってきた着替え。

写真家のMさんが撮った風景写真カレンダー。

ある年から楽しみにしている和みの景観にうっとり。

奇麗な月ヶ瀬情景のミニカレンダーが良いですね、と介護士さんの言葉。

もう一枚は、私が撮った行事写真。

百均に売っている額縁に収めた「阿田の流し雛」写真を見られた介護士は、ここはどこですか、と関心を寄せてくれた。

4月1日にしている五條市・阿田の伝統行事。

着物姿の可愛らしい女児が、そっと川面に浮かべて流す“流し雛”です、と伝えた。

入院した病室は暗い。

西棟と違って外の景色は見られないから、気持ちだけでも明るくしてあげよう、と思って持ってきました、と伝えたら、そりゃぁ、喜びはりますわ、と・・。

交換に汗をかいた洗濯物の衣服とともにお願いした。



介護士がいうには、おふくろは元気だそうだ。

元気なのは、口でしょ、と云ったら笑いはる。

便秘気味なので、よく看てほしいと伝えたら、排尿排便があればチェックしていますから、と・・。

昨日の緊急入院時、テレビ台の引き出しにお菓子を入れておいたので伝えてください、も伝えた。

戻った介護士さんがナースステーションに報告されたようで、自宅に戻ったころに鳴った電話。

病院側の話によれば、院内食事は塩分など、食事制限しているので、今度来られたときにお返しします、と云われた。

4日、面会謝絶・受付申出対応に、眼鏡かけた丸顔が可愛い東棟担当看護師のYさん。

昨日の金曜日。

機械入浴後の着替えに交換以外は月曜と水曜は身体拭き洗いにも着替えは発生するので火曜・木曜・土曜にもってきてくれたら交換する。

大便は一昨日・昨日に排便できた。

排便はオムツを外して移動式簡易トイレに移乗したときは、痛みがあったがなんとか排便できている。

I医師は、2週間は絶対安静の状態だからベッドで排泄するが、N医師はその点、緩やかに簡易式トイレを採用されている、という。

松嶋眼科処方の目薬2種に、大阪まで出かけるのも不憫なのでT病院で成分を検証してもらい、代役目薬の適用(指定薬剤の自分薬局でも・・)を指示してくださるか、7日の火曜にまた来るのでそのときに目薬瓶を預かりたい、と伝えたらそうしましょう、と。

おしゃべりもよくする食欲もある。

また、歯を磨きたいとおふくろの要求を受けて口腔外科から家族さんに費用別になる。

別途に同意をとらないとケアはできないので、と云われてすぐにハイ、同意しますと伝えたら明日以降に口腔外科から直接ご自宅に電話が入ると思いますと伝えられた。

額縁付き花の写真②に都祁小山戸町の桜樹をお願いしますと伝えたら、①のお稚児さんに菜花の写真がとても素敵で喜んではって、息子さんを写真家アシスタントと紹介してくれましたって、ありがたいよな。



院外の景色が見えない病室なので、写真は大いに役立っており、私ら看護師も楽しませてもらっていますって云ってくれるのが何より励み。

午後6時10分前、おふくろからの携帯電話がうちの電話にかかってきた。

物は試しと思って押したらかかったって・・・。

面会謝絶だけにそりゃ良かったけど、病室ベッドからの会話やから同室の患者さんに迷惑かけるし、とつたえておいたが、実際、入院時には、同室患者さんが携帯電話していたけど・・。

5日、朝9時ころに携帯電話をかけたワケは目覚まし時計が欲しい、と・・

そうだよね。時計がないと今の時間が見えないから困るよな。

持ち込んだ時計は、Y看護師に預けた。

Y看護師が、調べてくれた点眼薬はたっぷりあるらしく、またT病院で処方が可能なようで・・・。

もう一つの目薬はヒアルロン酸。

ですからドラッグストアで買えそう、と教えてくれた。

6日、夜8時に携帯電話が鳴る。

おふくろの依頼は、リンゴとバナナは食べても良い、と許可が下りたので明日もってきて・・・

7日のT病院。



駐車場の数台分を解放し、そこに医療用テント設営した救急車配置。

大勢の職員さんたちが、玄関外に集まり、事務連絡をしていた。

S介護士さんが洗濯用の着替えを受取。

許可が下りたバナナとリンゴを手渡し。

プラスティック型海苔の佃煮もお願いしたら、お元気なお母さんはパクパク食べておられてますよ、と。

内臓の病気ではないので許可します、ということだった。

購入した冷蔵庫用テレビカードも手渡した。

夜7時前にもかけてきたおふくろの携帯電話。

主治医のN医師は現状具合を確かめにベッドに腰かけて優しくいたわるような話し方だった、という。

痛いですか、の問いに痛くない、と答えたらしい。

8日の朝も、おふくろからの携帯電話。

テイッシュペーパーが不足しているので、頼んます、と・・。

着替え交換にりんごを手渡す。

動けない患者さんは金曜に機械入浴。

火曜が身体拭きだ、と伝えてきた。

入院は長期間になる。

居住地の住之江市営住宅も不在期間が長くなる。

自治会費の支払いが滞るから、知人のAさんに電話する。

新班長さんの居住地を教えてもらいたく、電話をかけたら、新班長さんに伝え、領収印を捺すカードをポストに入れておくよう連絡しておきますから、と返事をもらった。・

10日の朝。

いまや定番になった電話で伝えるお願い事項。

夕方の午後6時半の電話は、し、替えとひざ掛け汚したから交換してほしい、バナナもほしい・・・

晩食後にぽつんと口を開いたかーさん。

介護施設に入所してもらったら、1カ月に一度はお迎えし、大和郡山に来てもらおう、と思っている、と・・・。

現在契約中のアロンテイアクラブは、そういう対応をしているのかどうか知らんし、と返答したら、答えになっていなかったのだろう。

11日。先日に持参した2箱テイッシュ。

1箱目がもう底ついた、という。

口を拭くのに使うし、汚れたときもテーブルを拭き取るなど・・。

なんせ使用頻度が高いから、消耗度合いが早い。

次回に訪れる水曜日には、3箱にします、と看護師のKさんに伝えた。

12日は午後5時前。

おふくろの電話の声が、もやもやしている。

そのワケは入れ歯を外して喋っているからだった。

朝食も上手いこと食べられへんかってん、という。

おかしいな、と思い入れ歯を取ってみたら歯茎が腫れていた。

看護師のHさんに伝えたら、今日は休みやけど、口腔外科の先生に連絡して診てもらいますから、と・・・。

ただ口腔外科治療は有料になりますから、と・・。

ちゃんとした先生が診てくれはるから、安心しときや、と伝えておいた。

13日の電話は午後1時。

今日の昼ごはんは肉じゃが。

ほうれん草など、みな美味しくいただけた、と喜びの伝言。

今朝一番に、歯科医が来てくださり、診てもろうたけど・・・。

昨夜の腫れは、収まっていたので、その確認にまた診に来ます、と・・。

昨日までの喀痰は青色やったが、今日は無色になってなぁ、食事も美味しい、と・・・。

ここでは大きな声で云えんけど、先週金曜日の入浴は寒かった。

身体が冷えて咳き込んでいたらしい。

今朝、汗をかいたので着替えさせてもらったからさっぱりした。

気持ちいいから明日に着替え持ってきて、と伝えてきた。

買物に度々どころかしょっちゅう出かける買い物先。

コンビニのレジはビニールカバー対策を実施。

先行するコンビニに続いて、中小スーパーも対策を始めている。

ハッスル5郡山店、サンデイ小泉店もレジ周りに透明ビニールによるカーテン型の覆いを設営した。

業務スーパー大和郡山店は、今まさに設営中だった。

14日の電話は、午前9時。

テイッシュペーパーがもうないから、早く持ってきて、と訴える。

買い置きしていた4箱にアピタで買い足しした着替え、洗濯した着替えも持参した。

向かいのお家のNさんにもらった筍を炊いた筍ご飯も、看護師のHさんに預けたら・・・。

コンビニレジを保護するビニールカバー対策。

大型ショップのアピタもレジ周りに、覆いの透明ビニールカーテンを設営していた。

午後6時40分の電話は、筍ご飯。

食べきれんからどうしようか、というから、看護師さんに相談し、冷蔵庫に入れてもらうよう、お願いしぃや。

前回の退院時にアピタで買った靴が履きにくい。

だから、T病院内のコンビニエンスストアで買った大きめの靴をもってきてほしい、というので、玄関鏡台の奥から出てきた花柄靴も、今度持っていくから、と伝えた。

16日、着替えもっていったら看護師のY看護師が通り過ぎる。

えっ、マスクが大きくて顔がわかりませんでした、といって笑う。

たしかにかーさんが自作したマスクはでかい。

苺を持ってきました、と伝えたら、どうぞ、どうぞ・・と。

病室に、ずっと籠ったままだから気分転換になるらしく大いに歓迎された。

で、冷蔵庫のカードはなかったような、というから、7日に冷蔵庫用テレビカード購入し手渡していたんですが・・

いえば確認しておきます、と・・

18日の午前8時。

電話で伝えるお願い事項。

昨日は暑くて、暑くて汗かきに上着の着替え。

ほぼ毎日がそんな状態なので、足らない、と訴える。

かーさんは、下着2枚を持参し、他パジャマの着替えに筍ご飯を・・。

O看護師に手渡したが、汗かきの原因は別のところにあった。

寝しなに寒いから、寒いから・・・と、いって首にスカーフを巻いている状態に汗をかく。

そういうことである。

T病院も受付コーナーのすべてに透明ビニールカーテンを覆った。

20日の午前11時。

今日初めてベッドから離れて4階のリハビリ室にKリハビリ療法士が車椅子で連れてってくれた。

横になったベッドで軽い運動をしたが・・・・イタタタ。

まだある痛みを訴えて10分で停止。

今頃であれば痛みがないと思われたが、まだやな。

回復が遅いな、とKリハビリ療法士。

着替えにゼリー。

おまけに③山辺山を背景に鯉幟が泳ぐ写真を持参した。

21日の午前11時の電話は、介護用具事業者のバラの木。

担当のUさんから電話があった。

新型コロナウイルスが蔓延する状況に、バラの木ユーザーの現状の声を聴きたくて電話したという。

実は、ときりだす現在入院中のおふくろの状態。

今年の正月明けの1月4日に、こちら大和郡山で入院した圧迫骨折治療。

3月16日に晴れて退院し、大阪に戻った。

通所サービスは1日。

ヘルパーさんに来てもらったのも1日。

それから数日後に再び圧迫骨折で入院した4月1日。

面会謝絶の入院に、昨日はベッドを離れて車椅子移動にリハビリ室。

この新型コロナウイルスに、大阪はたいへんでしょう、といえば、間引き対策している、という。

こちらは入院中の身。

大阪に居るよりかは安全で保護されているので安心できますが・・・。

バラの木さんで世話なっている介護用具。

買い取り用具に助かっている、と伝え、またこちらで買った移動できる立ち上がり補助具はDCMダイキに売っていたので助かります、と伝えた。

必要とする介護用品がDCMダイキに売っているので、ほんと助かっています、と伝えた。

22日、午前11時の電話はおふくろ。

なんでか知らんけど、入浴は今日の午後になった。

トイレは4回もしたけど、その際看護師さんからいっぺん自分でしてみる?と云われて下着を下す。

あげるも含めて立つのもみな一人でできた、と喜ぶ報せ。

今朝は4階のリハビリ室行きの運動ができたから、気持ちいいけど、コルセット装着は痛い。

いつまでするのですかとKリハビリ療法士に尋ねたら・・・8月まで。装着しはじめてから5カ月間。

長いよね。

優しく柔らかく伝えるT看護師に、着替え交換をお願いし、入浴曜日を聞いた。

車椅子に移乗できるようになり、入浴は週2回の水曜と土曜に移った。

時期は未定であるが、回復期リハビリテーション病棟の西棟に移る予定・段取りできたら移るらしい。

バナナとチューブ入り海苔の佃煮を冷蔵庫に・・。

冷蔵庫カードは19日間ももつらしいから、安心できる。

23日。



買物ヘルパーさんに家の食材を買ってもらっていた大阪住之江のスーパーサンデイ。

仏花はスーパーサンコー。

両店舗ともレジのビニールカバーは未設営だった。

サンコーは、独自掲示に買い物はおひとりで、とお願いしていた。

大阪住之江の大和川団地自治会費。

今年の4月から9月までの会費は、6カ月分支払い。

班長さんは、Yさん。

お仕事に出ていたAさんに、かーさんは直接に携帯電話入れ。

指示された通りに現金入り封筒を、ポスト投函。

帰宅後にかかったAさんから電話。

ベランダに出ていたので、ドアを叩くノック音に気がつかなかったそうだ。

ちゃんと受け取りましたよ、と連絡してくださった。

運動靴、ひざ掛けに冷蔵庫収納してあったキュウリや奈良漬け。

その他に食べさしのご飯などはゴミ処分として回収し、我が家に持ち帰るが、ここで丁度のお昼時間に・・。

テイクアウトしてきたはま寿司購入のGW特選にぎりセットとまぐろサーモン丼

おふくろの居ないお部屋で食べた。

帰路に就いた午後3時前。

T病院地域連携相談員のUさんから電話があった。

ケアプランデイア1・ケアマネジャーのFさんから依頼のあった要支援2の区分変更に至る調査員派遣の段取り日程の連絡である。

5月1日の金曜日。

午前11時若しくは5月7日のいずれかに選択。

所要のない5月1日を選び、奈良市社協が決定連絡を受けた。

調査員とも体温計検査した上、東棟3階窓解放?。

カンファレンス室にて対面質問をする。

UさんはT病院の老健施設の話題をしてくれるが、現在待ち状態で入所は難しい。という。

大阪は新型コロナウイルス対応でやはり難しいようだと・・。

前回は住之江に戻ってすぐまた圧迫骨折し、今に至るが、前々回は初めてのことなので一旦は郡山のケアマネージャーを通じてウエルネスに通所してもらったが、入所はしていないと伝えたら、そうでしたか・・と

24日、着替えが大量。

孫からの誕生祝いもありますから、と男性のY看護師に手渡す。

午後6時半ころも今日の午後6時半の電話は一方的にありがとう、こちらが声を揚げてもその言葉に反応せずに通話をきる・・

なにかあったのか、いままできちんと返答するのにと心配するかーさんに私は病院のベッド。

同室者に気を遣ってお礼を早く伝えてそれで用件を済ませるんではと・・

その後の午後8時の電話は持参した孫からの誕生祝いは洋菓子に和菓子。

プラス住之江住居の冷蔵庫にあったカツオのしぐれ煮をパックに入れたものも誕生祝いと誤解した模様など会話ができたようだ

25日、T病院秘書部のYさんから病室移動の連絡があった。

電話で受けた移動日は、4月27日の月曜日。

目出度くも、おうくろの誕生日に、リハビリ病棟の西255室に移る。

別件であるが、五百羅漢龍王山妙徳寺から無縁墓地皆無に基づき、あらためて契約書交わすことになった墓地使用規定正統相続人誓約書交付が届いた。

5月1日は再認定調査日。

その際に立ち合い可のおふくろに口頭で伝えた誓約書記入、捺印。

将来、やんごとがあったときは、私(眞人)が使用人相続し、12000円を支払うことに・・。

さらなる将来については、息子夫妻のK・Mに打診。

妙徳寺を継続とするか、近代的な住まい近くの寺院に移すか、どちらか二人で決めてもらう、とし、従兄のTちゃんについて、たまたまの電話に、それでえーか、と打診する。

かーさんも同じ考えに同意した。

26日、T病院、Y看護師にお願いした着替え交換。

お菓子にバナナ2本。

おまけに奈良漬も。

トイレ車椅子への移乗は問題なくしており、食欲もあるし、痛みもない、と・・・。

人口涙液型タイプの目薬ならドラッグストアに売っているそうだ。



5月1日より着替えの交換時間帯は午後2時から5時まで。

接触する時間帯はしぼられた。

駐車場に設営していたテントは・・・・。

体温異常を検知した来院者は院内に入れず、テント内に居てもらい、医師の診察によって結果がわかるまで、滞在。

陽性と判断されたケースは、現在まで検出者された人はゼロのようだ。

いずれはコロナPCR検査をする可能性もある、という感染者抑制体制・・。

午後7時20分、おふくろからの電話は、外せる差し歯は、コップに入れて洗浄した方がいい、と看護師さんから伝えられた。

この50年間に、初めてのアドバイスに困惑している、と伝えてきたおふくろに、かーさんが返答した。

明日は、病棟・病室が移るからその棟の看護師さんに相談したら、どう・・・

27日の午後9時。

おふくろからの電話は、今日、急にMRI検査が入ったから病室移動は取りやめ。

明日の検査結果では特に問題ない、でしょう、と・・・

28日の午前10時半。

T病院のT看護師より電話があった。

お母さんは、今朝に発熱。

37度もあったから、、病室移動は明日29日に持ち越し、になりました・・と。

29日、午前9時半。

T病院より電話があった。

本日予定していた病室移動は、発熱が37.5度になったために中止。

翌日30日に延期する、と・・・

看護師のOさんが受け取った着替え交換。

その際に確認したおふくろの発熱症状。

詳しく聞けば、日中は36度であるが、夕方或いは夜になったら、37度半にもなるが、翌朝には平生状態に・・・。

この状況は、過去何度も繰り返す傾向にある。

明日30日に医師が出勤するので、その判断は西病棟に委ねられることもある。

また5月1日は介護再認定調査が入っているが、日延べする場合、また調査員のスケジュール確保が難しくなる。

認定調査日を日延べすることによって退院日程にも影響が出る。

間に合わないケースも考えられ、地域連携相談員のUさんらと協議。

決断し、電話を入れるよう伝える、と云われた。

おふくろの携帯電話の音量が、どうも低いので見たい、と伝えたO看護師が、調整に・・・

駐車場を出てすぐにかかったおふくろからの電話。

その音量は高くなっていた。

O看護師は、携帯電話のカバーを開け、内部設定の音量を5にした、結果である。

午後4時半にかかったおふくろの電話。

日中と夜間の体温差は人間にみなそうなるもんやから安心しぃ、とかーさんに伝える。

このときもおふくろの声ははっきりしており、平常でしんどいと思わないという。

30日、午後7時までT病院からの連絡を待ったが、連絡はない。

予定通りの病室移動の実施。明日の調査は続行、と判断する。

かーさんは、おふくろの誕生祝いに病室が明るくなるようなお花を・・・。

朝日町にあるフラワーショップのフローリスト堀内で買ってきた予算額3000円フラワーアレンジメント。

大きさがちょっと大きかったようで・・・。

午後5時、ケアプランデイア1・ケアマネジャーのFさんからの電話。

再認定関連の仮認定証の発送手続きを失念したので、申しわけない、と云われるが・・・。

4月6日に到着しており、22日はT病院の地域連携相談員のUさんから、奈良市社協調査員が5月1日午前11時に調査入りしますよ、と伝えた。

介護センターから直接届いているなら申請却下しなければ続投されるようです、と伝えた。

なお大阪では新型コロナウイルス対策にたいへんな様子のようだ。

Fさんは、自宅を事務所替わりに動いている。

稀に事務所へ行かざるを得ない場合は、自動車若しくは自転車移動。

患者さん対応にも相当な苦労があるらしい、というFさん。

他にも通所施設やヘルパーさんのことも聞きたいが、忙しく動き回っているFさんに長話は無用と思い、電話を切った。

(R2. 4.1~30 記)

大和川団地の春の花

2021年12月28日 09時48分59秒 | むびょうそくさい(おかん編)
おふくろの骨折治療は長引く。

これまで2回も起った圧迫骨折。

絶対安静から退院してもまだ外せないコルセット。

医師が許可する期間は3カ月間。

4月1日に入院したから早くても6月末まで我慢しなきゃならない。

苦しいだろうが、過去2回も耐えてきたおふくろ。

退院できたとしても元の住処に戻れるかは、4月8日に発令された緊急事態宣言解除次第。

通所サービス施設にヘルパー介護も非常事態。

例年のインフル感染対応は慣れてはいるものの新型コロナウイルスではレベルが大きく異なる。

介護してくださる方たちは、まさに3密(密閉、密集、密接の3要素の総称)状態が現場だけに・・。

とにかく向こう3カ月間は確実に戻れないとわかっているからしなくちゃならないのが自治会費である。

前期の3月分までは徴収してもらったが、そのときの班長さんとはまた替わりになった。

以前、同階段におられたAさんに携帯電話でお願いした。

班長さんの所在はわかったが、不在であった。

そこでAさんのご指示をいただき、6月までの3カ月分の自治会費を封筒に入れて当該のポストに投函した。

そんな状況の大和川団地に春の花が咲いていた。

例年が楽しみな桜樹である。

団地は何十棟もあるが、ここだけに桜樹がある。

1本の桜ソメイヨシノ。

咲き終わった桜花は散って葉っぱだけであるが、もう1本にはまだ桜の花が咲いていた。

それも上の方ばかりに咲いていた桜樹。

白い花はやや小型。

品種わからず、八重桜でもない桜は遅咲きの桜としておこう。

その桜の下に咲く花は躑躅。

街路樹にも植樹されている躑躅。

鮮やかな色から淡い色まで。

そういえば大和中央道沿いにも植樹されている躑躅はあるが、今年はまだ見ない。

台地の通りを行けば、色とりどりに咲くチューリップに白花系のジャーマンイリスも咲いている。

この時季に咲く花に癒される。

棟は違うが、向こうに見える淡い色で咲く花の行列は、1階ベランダ下の陰地付近。

ヒトリバエで広がったと想定できる園芸種の花がびっしり並んでいる。



米国・ミズーリー州からテキサス州、それにメキシコ原産の帰化植物の昼咲き月見草に今年も癒された。

(R2. 4.23 SB805SH撮影)

2度あることは3度あると云われた圧迫骨折はまさに・・

2021年12月10日 08時36分40秒 | むびょうそくさい(おかん編)
やまね耳鼻科医院に行く予定でやって来た大阪・住之江の居住地。

部屋に上がるなり、左の腰が痛くて、痛くて動かれへんねん、と訴えるおふくろ。

玄関ドアの解錠も、難儀したほどの痛み。

トイレさえもいけないほどの痛み。

腰痛は左から右へ行ったり、来たり・・・

ぐるぐる回っているような気がする、というからこれまで2度も発症した圧迫骨折の状況とまったく同じ症状その状態に、思わず発した「あっぱくこっせつやー」と、叫んでしまった。

判断は、医師の判定を待つしかないが、とにかく圧迫骨折の可能性も否定できない状態に救急車を大阪でコールするか、それとも何とかして4日に退院後診察を控えているT病院にするか。

ケアプランデイア1・ケアマネジャーのFさんの判断を仰ぐ。

4階から階段くだった1階まで行けたらT病院。

無理ならここで救急車をコール。

運ばれた場合は、すぐに病院を伝えて欲しい。

その間にかーさんが連絡した耳鼻科医院。

今日の予約診察はキャンセル。

部屋を出るまでも難儀な容体。
動く都度に、移動式手すりを動かす。

炊事場にあって助かった、と喜ぶ。

座椅子まで少し動いて、しんどい。

ちょっと休めに座ることを繰り返すおふくろ。

なんとかして、やっとこさ漕ぎついた玄関。

高椅子に座ってから、新しく買ったオレンジ色の靴を自力で履いた。

この靴、履きやすいわ、と喜んでいる。

問題は、階段を下れるか、である。

階段下りは、4回ほどの休憩があった。

階段下りに高椅子があれば、休みやすい。

そう思っておふくろの移動とともに高椅子も移動・・・

停まったその都度に座った高椅子。

うまく利用できた。

下りの階段は、これまでと同じように、両手で階段手すりを支える。

一段ずつ、一段ずつ慎重に下りきってほっとしたが、外は雨。

降る雨にできる限り、濡れないように、右杖に左手。

かーさんの介助に支えてもらって、軽バンに乗り込んだ。

濡れた踏み台にも滑らず、なんとかして乗車した。

今朝、到着したときの痛さにこりゃぁ、もう無理では、と思っていたが、なんとか乗できた。

かーさんはT病院に状態を伝える。

その間、私は安全運転走行。

二日前の3月29日に開通した阪神高速湾岸線鉄砲町入り口から一直線

西名阪高速道のまほろばインターまで突っ走った。

インターからは北に4㎞の距離。

もうすぐ着くT病院までの40分、二日前に開通した供用区間。

阪神高速湾岸線鉄砲町から河内松原の三宅西(大和川線)・松原ジャンクションまでが直結され、ほんまに助かった。

病院に到着し、すぐの車椅子移乗もなんとかできた。

総合受付前に特設の受付コーナーも設営されたT病院。

つい2週間前に退院したときよりも、物々しい雰囲気になった玄関付近。



11時半過ぎにレントゲン検査。

12時20分にMRI検査は、入れ歯を外し、頭にしているピン止めも外す。

20分ほどのMRI検査実施。

11時55分ころ、お腹が空いたからうどんを食べたくなった、というおふくろ。

いやいや検査に、今度は診察があるから、お昼はまだや。

退院時までの主治医。N医師の診察まだやし、と伝えたら、そうかって・・・

検査の結果は、腰椎第5節圧迫骨折。

前回の1月4日の入院時は第3節に半分が黒かったが、今回は前回より酷くなっている。

真っ黒だという、レントゲン画像は見ていないが、診断にどうされますか?って、そりゃぁ、先生。

病院でまた安静加療にリハビリしてもらうしかないでしょ。

骨折が第3節に近いなら、こちらの治療に落ち度とも言えないが、第5節であれば生活習慣範囲内で発症することが多い。

再入院は決まったが、アロンティアクラブのリハビリ運動は、以前より緩めてもらった。

翌日の朝起きたときだから、寝返りか、起きかたに問題がある生活習慣に気をつけていても、なんせもうすぐ94歳になる年齢は、なにがおきてもおかしくない、と云いながら、頭を抱えるN医師。

コルセットは、位置的に問題はないから継続使用する。

そういえば、おふくろが車に乗っていたときに、ふと漏らしたひと言である。

3カ月ぶりに復帰した通所サービス。

また、お世話になったアロンテイアクラブのWリハビリ療法士。

戻ったおふくろにたいそう喜んでくれたのだが、その場で伝えた「圧迫骨折は2度あることは3度ある」と・・・。

予告は大当たりの結果である。

午後2時10分、静脈血栓予防タイツ着用同意書に家族代理サインするとともに診察室で横になってもらっている間に病室を用意される。

お腹が減った、と訴えるので地下1階にあるディリーストアで購入しようとしたが、うどんもなく、たぬき蕎麦買ってきた。

買ってきたら、いらん、というおふくろに、これならどう、と渡した赤飯おこわ。

病室ベッドに横たわりながら食べた。

かーさんは、まぐろ山葵の手巻きおにぎり。

私は、二人からいらんと返されたたぬき蕎麦。

これが旨かった。

受け入れ病棟は東303。

K看護師に確認の上、問診票に介護要支援2を記入。

新型コロナウイルス感染症拡大対策のため、基本、面会は禁止に。

これまでと同じように検温、手指徹底消毒、マスク着用。

許可された面会であっても、少人数、短時間の面会遵守。

無接触取扱い。入院患者さんの衣類交換は、患者さんと直接手渡す接触手段は禁止。

ケアプランデイア1・ケアマネジャーのFさんに電話した。

入院したと、伝えたら状況が変化したから、再度再認定にかけるそうだ。

実弟三男にも、緊急事態措置になった入院経過を伝えた。

午後4時45分、抗菌薬使用問診票同意書に入院診療計画書(※推定入院期間は、ここ東病棟では1ヶ月で、西病棟に移ったら、またそこで計画書をたてることに・・)、転倒アセスメント、転倒転落防止対策、入院生活上安全対策説明承諾書にサインに押印をしていたら

Aリハビリ療法士とばったり出会った。

そうか、また入院されたのですか・・と、病室ベッドに居たおふくろに声をかけてくれた。

当面は、金曜日の器械入浴。

歩行器に移った場合になれば、週2回の水曜日と土曜日を担当する。

若い男の子のTくん。受持看護師はSさん。

当分は、顔を合わせられないから、寂しいと思うが、新型コロナ対策に仕方ない。

携帯電話、充電して満杯やから電話してや。

何でも構わんから看護師さんにしてもらわなあかんこと遠慮しなや、と握手して病室を離れた。

院併設の駐車場に停めた時間は、午前11時30分から午後2時42分まで。

このときの駐車は、緊急入院のために・・。

2度目の駐車時間は、午後4時36分から午後6時4分まで。

このときは、お腹が減った対応に買い物、院内病室で食事を摂っていたからだ。

長丁場の入院対応。

帰宅してから・・・

かーさんが云った3度目の圧迫骨折。

今度の場合は、たぶん大阪には戻れない、と思うから奈良の我が家で介護するか、ホーム入所の決断を考えるときがきた。

私も同じ判断だけにそう思っている。

奈良であれば、目が行き届くが、介護の地が奈良となれば住居変更に籍も移すことになる。

居住地の大和川団地を清算、引っ越し、ケアマネージャーの移転手続きなどがある。

煩雑に、動かないといけないだろう。

住之江であるなら、実弟三男もまだ行きやすいが・・・

奈良と中間地点もある。

私の考えは、ケアマネージャーもリハビリ療法士も、おふくろの状態を知っているから入所施設は住之江にしたい・・・

(R2. 4. 1 SB805SH撮影)

ふり返る令和2年3月の介護まとめ

2021年12月09日 09時59分00秒 | むびょうそくさい(おかん編)
この月もおふくろの介護の関係で大阪・住之江に行くこと度々。

記憶は記録。

ふり返る際に思い出したい事項は書き記しておく。

2日。午前中に入浴。

午後3時にリハビリ室での運動を終えて戻ってきたAリハビリ療法士に身体状態を尋ねた結果は、どうなの。

正座状態から、なにかを支えに立ち上がれる。

47段の階段に手すりを持ち、身体を支えながらスムーズに登り降りできている。

車の乗り降りもできるでしょう。

外泊に歩行器は不要。

杖つきで構わないが、そっと手を支えるだけでいい。

小刻みな歩き方になっている傾向があり、最初の一歩を膝あげ歩幅を広げるのが筋肉を遣うので、その方が望ましい。

退院するときに、家族さんからそう教えてあげるとクセを治しやすい。

自力入浴はまだできないので監視を要する。

自宅は現在介護用品の入浴椅子に浴槽手すりに浴槽踏み台を設置し、入浴ヘルパーについてもらっている。

介護認定は要支援2なので大阪のケアマネジャーさんと相談し、介護支援施設利用を週2回にセッティングしてもらう予定にしている、と伝えた。

介護支援専門員のIさん。以前、お世話になった大和郡山市のケアマネージャー。

Fさんは、今もケアマネしている、と教えてくれた。

Iさんにも伝えた大阪の居住地の手すり。

部屋と行き来する間に垂直手すりがあり、布団から起き上がる際はそばにある低床型椅子に掴まり、一旦座って垂直手すりに掴まり、炊事台に手を添えて、トイレ柱角の手すりを掴んで移動。

炊事台の端の柱にも手すりがあり、それに掴まってベランダ移動。

手すりは、おふくろの手が届く範囲内。

お要所、要所ごとに設置した。

ストレスで心神閉じこもりが長引けば、たいがいが認知症になる要介護者。

ケアマネジャーさんもそういう。

痛みから解放されてからは見違えるほどのV字回復に驚いている。

ずっとリハビリに集中してくださったAリハビリ療法士のおかげ。

心配していましたが、ほっとしつつ安心しました、と云ってくれたが・・・・。

「以降リハビリは順調ですが、珠に血圧が170に心拍数が40。両足とも浮腫みがみられる。運動不足が原因のひとつ。心臓負担も考えられる」ので退院後は、当院の内科医師に相談してください、ということだ。

明日の外泊にかっぱ寿司に行く。

美味しいまぐろの夢でも見ててや、と声をかけたら喜んでいる。

明日は久しぶりに髪の毛をちゃんとしたい、と要求する。

ならば、南都銀行向かいにある美容院に連れてっていくことにした。

外泊の件、ならびに今後の対応についてケアプランデイア1・ケアマネジャーのFさんに電話相談。

要支援では施設入所はできない。

通所サービスは受けられるが包括契約を一旦終了とし、大和郡山のケアマネと包括契約に介護支援施設契約など煩雑な手続きが発生する。

これまで通りの寝起き食事など日々の動きについてはほぼほぼできるのであれば、これまで通りアロンティアクラブに。

ただ、土曜日は開けてまっている、という。

また週2回目の曜日は具体的になれば対応できるよう昨年末にアロンティアクラブにお願いしているからと・・。

ありがたい言葉が嬉しい。

その復帰に通所可否についてのアロンティアクラブ指定の医師の診断書をそちらに送るから、退院が明確になった段階に入院先のT病院に依頼。

手続きが早くできるよう迅速に進めて行きましょう,と・・.

3日。朝のトイレに行ったとき、腰が痛くなった、という今日は外泊迎えの日。

午前11時にでも痛いから横になって寝ていた、という。

気になる症状でもあるが・・。

上衣がロッカーにないから持ち帰ったんやわ。

パジャマから外出着に着替えは自力不可。

だから、かーさんの支度支援に時間がかかる。

用意ができたら看護師さんから薬を受け取り。

ベッド離床は難なく立てた。

病室から廊下。

総合受付前の椅子に座るまでの歩行は、始めちょこちょこだったが、歩幅広げて、声をかけたら大股歩き。

いや、そうじゃなくて、もう少し歩幅を狭めて、と伝えたら丁度いい具合の歩幅。

リズミカルに歩くすたすた歩きがいい感じ。

思わず拍手したくなるくらいの歩き方。

軽バンの乗り降りは、これまでと同じ状態に、弱さはまったくみせない。

あとに望むのは自力入浴だけだな。

病院の来院駐車場を出た時間帯は午前11時22分。

直ちに向かったかっぱ寿司の柏木店

タブレット注文したお寿司はパクパク食い。

いつも食べていたかけうどんの味に満足感。

トイレ行きたい、と申し出に十分な排便があり、喜んでいるが、下着・パンツの上げ下ろしは自力不可。

トイレ内でかーさんが手伝ったそうだ。

髪の毛のお手入れは、プラージュ美容院郡山店。

はじめてのお店に、介助のかーさんも就く。

理髪美容院では仰向けができずに髪染めはできなかったそうだ。

だがカッコいい整髪に思わず宝塚やと口に出た。

我が家に戻って、ゆっくり腰かけた座椅子。

座ったときはなんともなかったが・・・

それが‥。

夕方の5時。

トイレに行きたい、と座椅子から離れ、これまで通りの同じように身近な場所にあるテーブルとか、台に手を添えて立ち上がり。

廊下の壁をつたってトイレもなんとかいけたが・・・。

午後6時半過ぎ、パソコン作業していた私を呼ぶ緊急な事態。

椅子に座ってかーさんと談笑していたおふくろがさぶいと、敷いているホットカーペットに座り込んだ。

直にお尻を、そして足も温めたい、とテーブルに手を支えながらお尻を下ろしかけたそのときだ。

イ、タ、タ、タと痛みに声を揚げた。

下げるには痛すぎ、下ろす途中に停止。

どうも朝に痛みをもった同じ部位のようだ。

このままでは無理。

体制に痛みを無視させて座椅子に座らせたらマシ、という。

この容態では夜中に、1人でトイレにもいけなくなる。

すき焼き食べたかろうが緊、急措置を取るしかなく・・・・。

外泊するときに看護師さんが伝えたこと。

何事か起これば病院に電話を・・に、それしかないと判断し、緊急電話をかけた。

かけた総合受付は、医師の判断を伺うから少しお待ちを・・・・。

返答は直ちに外泊は中止。

すぐさま病院に戻ってください、と云われたが、無理無理・・。

この状態では車移乗が難しい、と判断し、救急車を手配した。

サイレンに気づいた隣家のNさんとKさんに事情説明。

外泊から救急棟。救急診療に、昨日のレントゲン状態にぎっくり腰もしくは筋肉痛。

右腎臓がやや大きいのは腫れか?。

H看護師が迎えにきた。

そのときに伝えられた尿管結石の可能性あり。

排尿は少なく数回。

実際は5回。

水分を多くとってください、指示がでた。

明日、医師の指示で検査すると思いますが確保は・・・

午後の遅い時間帯なら原因はつかめているでしょう、と伝えられて家族はいったん院外に。

停めた病院の来院駐車場は、午後7時29分から8時19分まで。

緊急な晩めしにコンビニエンスストアのローソン外川店に。

330円の金シャリおにぎり入り弁当に110円の鶏五目おにぎりを買って再びT病院に。

容体を確認して病院を出た。

その間の駐車時間帯は、午後8時35分から51分まで・・。

4日。朝8時半の電話はおふくろからだ。

今朝のごはんを食べ終わったから電話してん、という。

昨日はずいぶん世話かけて、痛みが消えたという、お礼の電話のようだ。

午後4時の面会。

看護師のMさんの説明によれば、朝にトイレで尿検査。

その検査結果ではまったく問題は見つからなかったようだ。

外科医師と内科医師の診たてに、Aリハビリ療法士の説明は、筋肉と筋肉の間にある筋膜に痛みが走ったもよう。

椅子から床敷に直接移乗するには、まず片足を先に、膝をついて安定させてからもう一方の足の膝を曲げて座る。

そういう訓練をリハビリ室でしていたが、環境の変化に対応認識せず、早く座りたいと思う気持ちが、焦りに繋がり、気持ちだけが早まり、いきなり腰を下ろそうとして筋肉に負荷がかかった、と考えられるそうだ。

自宅環境面から手元に掴める介護用品やベッドも必要とするもうすぐ94歳の骨。

筋肉状態を、本人が理解認識した上でケアマネジャーと相談し、実施してくださいと‥‥

一方、H看護師からは、息子さんの家で世話になったらえーのに、と云われそうだ。

5日の午後6時半。

おふくろが電話してきた携帯電話の目的は・・・。

シャンプー・リンスがもうないから持ってきて、というお願いだ。

そのときに呟いた独白は、まだ痛いねん。

痛みの位置は、今月3日の発症と同じ右側。

身体を動かしたときに痛みがあるという。

先生に、看護師のみなさんに痛いと訴えたそうだ。

午後7時過ぎに、またもや電話。

その内容といえば・・・。

トイレに行きたいから看護師さん呼んで介助してもらったときに痛いねんと訴えたら、田中さんだけでなく外泊した患者さん、痛み再発で戻ってくるケースはなんぼもあるから、田中さんだけが特殊なことでないから心配しないでね、と云われたそうだ。

その返答に、そうやなとしか云えなかった。

6日の朝も、また電話。

痛くないねん、痛いねんと電話で訴える。

その状態は、起き上がりに痛いねん、と訴える。

しかし一旦立ち上がったらなにも痛くない、という。

一昨日は痛い、痛い、いうて介護士さんに入浴拒否したけど、昨日はOKして入った。

日によっていうよりも、起き上がりに痛みがでるからや。

レントゲンを撮った結果。

外泊前も、救急で戻ったときと同じ。

骨に異常がないのに痛いって、もうわからんわ、と2回もAリハビリ療法士がもらしたため息。

そのことを何度も口にするおふくろ。

だったら、なにがってことが理解できないおふくろ。

自宅なら、起きて座椅子両手で支えて、身体を持ち上げて支柱型手すりを掴まったら立ち上がれる。

自信をもっているが、場というか、環境が替わればその通りにしなくても痛いと・・・。

2年前、自宅に戻ってからも時折痛いねん、と云ってたおふくろ。

いつしかまったく言わんようになったの覚えているか。

肘つき椅子の場合は肘支えに。ない場合は両足をしっかり手で押さえて斜め前に力を込めたらすんなり立ち上がれる。

歩行器で戻ろうとしたとき、そのことがすっかり抜けて肘つきを支えやんと前のめりになって歩行器の腕支えに行こうとする。

これ、なんぼ云うてもそうするのは焦り。

焦りが事故を起こす。

慌てやんでえーからゆっくりしてえーねんで、と気持ちを和らげたが・・・

7日。食後の朝8時半にかかった電話は、今日は痛くないで・・。

心配させたくないように、と思う電話に朝食は・・の問いに返答した・・

談話室に食事したいが、意に反する行動・奇声がいややから行かへんって・・

午後4時に本日2度目の電話は、病院が用意してくれていた面会用マスクが不足しているから自前のマスクを用意してくださいということだった。



8日。今、履いている靴だったらトイレで滑るから危ない。

履き替えた方が望ましいとAリハビリ療法士から指摘され、院内地下にあるコンビニエンスストアに売っている千円くらいの介護用品靴を買った。

履き心地確かめて気に入った黒色。

病室で履き替えた介護用下履き靴。

これ履き心地えーわって・・・

昨日の夕方は、右足の膝が痛たかってん。

起きられへんかった。

股関節を撫でてたら治ってん、と喜ぶ声。

外泊は、もう1回してから退院したいか、それともいきなり退院したいか、おふくろの意思を確かめる。

ただ、いきなりというが、現状の入浴が機械浴なら自宅戻って家の浴槽に浸かることはできひん。

施設アロンティアクラブも無理やん。

着替えも自力でできないからとてもじゃないが無理。

看護師、主治医、リハビリ療法士からその点については話しがない。

H看護師は、息子さんのお家で入浴すればいい、という見立てやけど・・・

9日。午後5時50分に電話に出たら明日に話すとしか言わない。

これはなにかトラブルでもあったのだろう。

病院内に違いないが、相手はダレ?。

よほど悔しいことに巻き込まれた事件と察知し、緊急面会に顔を合わせた驚く顔のおふくろ。

今日は午後2時になっても風呂に入れてくれない。

順番待ちという介護廻し。

午後5時になって、今日の入浴はもう済んでるという。

そんなことはない。

下着も着替えてないから乾いている。

シャンプーは新品やから、と訴えても入っているとばかり・・・・。

疑いの眼で見た名前はN。

入浴していたのを見ていましたから、と云い張る。

入浴状況の調べでも、入浴済になっている、と・・・

2カ月間も入院していたらボケたんや、と思っていたら、なんとH看護師がちゃんと調べてくれてはった。

原因は院内のチェックが誤っていた、とお詫びしてくれたけど・・・悔しくて、悔しくて電話した。

悔しいから泪が止まらない。

話しを聞いてもらっても悔しさは消えない。

H看護師がいうには、病院の配置換えに慣れてないし、顔も覚えていない、いわば新人レベルのN。

だが、ご本人は、はなからおふくろを認知症としか見てないのではないだろうか。

業務を引き継いだ3人の看護師。

H看護師の他、日ごろ優しく接してくれているTさんに眼鏡が特徴のOさんら看護師は誰ひとり、田中さんが認知症になっていないと・・。

そう云ってくれても悔しさは消えない。

10日。昨日の悔しさはなんだったんだ、と思うくらいに今日は晴の顔。

悔しかったことは微塵も見せず、食後の午後に入浴してもらってすっきりとした顔になっていた。

面会が終わってからはリハビリになるらしいから院から退出した。

我が家に戻ったかーさん。

夜のトイレが不安だから、といっておふくろにポータブルトイレを奨めるが、外泊期間中の昼間に何度か行き来するし。そのときの状況を看てからでも遅くない。

午後5時の携帯電話。確認をとったAリハビリ療法士から外泊の奨め。

本日のリハビリ運動が、実に順調。

階段の上り下りは苦にならないから外泊したい、と申し出たおふくろ。

試験外泊日程は、3月12日に決めた。

外泊日の午前中に入浴してもらってから、午後に外泊。

明日の面会時に看護師に伝えることにした。

11日。Y看護師に記入した試験外泊届けを提出。

午後2時に退出するので、今後のことを考えて入浴は自力(※今は身体がふらふらしているので安全上機械入浴中)でできるよう、Yさんが介護を看守って、入浴済ませておきますと・・

また、退院する際は現在通所している介護施設のアロンティアクラブ指定診断書に主治医の診断を書いていただくようお願いした。

試験外泊を終えて、病院に戻ってくるのは夕刻。

晩は病院食を食べたいから、というので13日の午後4時に設定した。

Aリハビリ療法士からの注意指示は、座り方。

お尻は座敷の床に、直接おっちんしないように気をつけてください、ねと‥

12日。2度目の1日試験外泊。

介護支援専門員のIさんもAハビリ療法士も・・。

また救急車で戻ってこんように、くれぐれもお尻をおっちんして座らないように、と念押し。

迎えに行ったら、まだパジャマ姿に唖然。

着替え支援に、かーさんは病室行きの許可をもらって入室。

看護師さんに試験外泊と伝えたら、1日分の薬を用意するのでお待ちください、と言われて待っていた。

H看護師が用意してくれたのがカバンの中にあるわって・・おふくろ、早く云ってよ。

看護師さんが2人がかりで、袋詰めをしているのに・・・

アロンティアクラブ指定の医師診断書発行について、M看護師に伝えたら、総合受付にお願いしたら退院のときに渡す、ということだった。

念のためAリハビリ療法士に云えば、介護支援専門員のIさんに、ということになったそうで・・・。

診断書は、お預かりになった。

その際、本日届いた請求書に入院費用を支払う。

なお本日の入浴は、介護士2人が脇から支援するような行動に立った。

倒れないように介助手前のやり方。

M看護師の話によれば、ほぼほぼ大丈夫だったと、いう自力入浴だったそうだ。



軽バンに難なく乗り降りできたのに‥‥

我が家に据えた玄関座椅子。

座ったまま、足をあげてリビングに向かおうとするが、足を前に投げ出したままでは無理。

座椅子をもってきて掴まり立ちも無理。

時間をかけて説明もするが、膝曲げもしない・‥

環境場所がかわると、リハビリで運動に教えてもらったのが、すっかり消える。

この状態ではあかん。

こういうときが来るであろうと、思って残しておいた産経新聞の折り込みチラシ。

籐製の立ち上がりサポート用具の見本を示して説得したら、お願いします、という。

かーさんも、購入に賛成した買い物行き。

はじめに見たのは、玄関上り口用の足おき台。

プラスチック製の安価な製品。

軽い製品はあるが、重みのある木製の方が幅広い。

これなら、買いだろ思って見本を運ぶ。

見本なら、お安くなるのでは、と期待し、店員さんをコールしたが・・・・最後の一品でしたらねぇ・・・

その店員に、これも買いたいと案内した介護用具売り場にあった一品。

気に入ったので少しまからんか、とお願いしたベテラン女史店員さん。

私には権限がないのでと売り場コーナー長に連絡してもらった。

これだけですが、と値段交渉のありがたい返答。

以前も最後の品物やからとそうしてくれたのがさすがのダイキさんだ。

でもね、この製品台・・グラグラやからこれでは介護の身のおふくろが使用したら危ないから、よう使わんと、いうやろな、とぽろっと声を洩らしたら・・・そこにネジ孔が‥‥

よく見れば六角レンチ式の固定棒がある。

一つは内部に埋もれていたので取り出せたがもう一つはレンチ孔がない。

どうやら逆さまに無理やり入れたもよう。

誰かわからんが、素人的対応になんとか外してくれた若手店員さんにベテランのOさん。

若手のOくんの素晴らしい対応に感謝、感謝であった。

自宅に戻ってすぐさま対応した床上がりの台乗り。

とてもラクになるわと喜ぶおふくろ。

下駄箱の引き出しを広げて空間つくり。

手を入れて掴めるようにして設営したサポート用具

玄関あがりに置いた設営した立ち上がりサポート用具。

これえーわ、とえらく気にいったおふくろ。

色も風合いもブラウン塗りに落ち着く用具。

対応が、スムーズだったのが嬉しくてありがとう、と手を合わせるおふくろ。

ところで介護用具を買う前に動いた我が家でのトイレ行き。

難なく移動できたが、移動は廊下だけでなく、リビングルームにも・・。

ということで持ち運び、移動が可能な立ち上がりサポート用具。

あちこちの位置に、それぞれの箇所に、その都度運べば、十分以上に使える。

トイレ行きは廊下の壁つたい。

用足しに下着の上げ下ろしも難なくできた。

リビングルームに戻るのも難なくできる上々の結果。

あとは夜間の独り行動だけが、どうするか、だ。

この日の晩。

午後10時から11時半までにしたおふくろの動きを、練習する。

敷いた布団から起き上がり。

立ち上がりサポートまで手は届くが、膝立ちせずにどうしても足を伸ばそうとするクセがある。

なんとか立ち上がって戻ってきた布団。

女座りができずに足は伸ばしたまま。

何度も身をもって、こうしてするんだよ、と伝えてやっとこさの女座り。

寝床に横になったはいいが、捲った布団が手元にない。

上布団あげは三角型になってしまう。

何かあったときのために携帯電話は枕元に近いところに。

ペットボトル茶も、テイッシュもゴミ箱もすべて枕に近いところに。

また座椅子もより近いところに寄せて・・。

この状態が続く限り住之江住居は低床型ベッドの世話にならざるを得ない、と告げたが‥反応はない

13日。夜のトイレも、朝に目覚めてからの立ち上がりは、手すり支えに歩きが難なくいけた。

昨夜は心配させたが、起床してからも一切が痛みなし、にもう帰りたいと訴えるようになった。

ちと早すぎるんじゃないの。

尤も、今年の1月4日に入院して以来、ずっと奈良の病院生活。

無理ないと思うが・・・。

昨夜の状態では、今後の居住地の独り暮らしが心配される。

新聞ちらしにあったダイキに良さそうな安価なベッドはどうや、と話したらそうやな。

かーさんも賛同したから外泊戻りはにダイキ立ち寄って見てみるか、と伝えたら頷いた。

その気持ち、考えが消えないうちに、一気に進めたいベッドの購入。

かーさんがネットで探しだした巾80、長さ200の組み立てベッドが楽天市場に見つかった。

寸法を測って、早速注文した。

出かけたダイキの見本ベッドコーナー。

入口から、とにかく遠い位置にある。

歩きに、途中3回も休憩するが、しんどくはない、という。

休んで、歩いて、休んで、歩いて着いたベッドコーナ

その状態なら往路も大丈夫やろ。

午後4時に戻った病院。

試験外泊を終えて病室戻り。

外泊時の身体状況ならびに動きから判断して買った介護用具の使い勝手。

大阪の居住地に戻りたい、というおふくろの気持ちを汲んで、退院の意向を申し出た。

介護支援専門員のIさんに相談したら、本来が「手の外科」が専門のN主治医に報告されたら、希望する15日に決まった。

退院は、食事に入浴を済ませた午後2時に決定した。

なおアロンティアクラブ指示の診断書は1100円。

支払いしたら発行されるが、間に合うかな。

間に合わなくても大阪の耳鼻科が午前11時だから9時頃までなら間に合う。

また西病棟担当看護師にリハビリ療法士からのお手紙も渡します、と。

次回の通院は1ヶ月後。

継続服用処方箋も対応する。

それより、もし大阪の外科医院に紹介状もできますが、と‥。

レントゲンデータであれば時期遅れますが、どうでしょうとの問いに、いつ再発症するや予測もつかないだけに、預かる対応でお願いした。

午後6時、ケアプランデイア1・ケアマネジャーのFさんに電話かけて退院決定を伝えた。

2度にわたる試験外泊になった状況も伝えた。

で、ケアマネ相談あ3月16日の午後2時以降にしたいと申し出た。

明日にヘルパー契約のハート介護責任者とアロンティア責任者にも来てもらい。

今後の取り組みを協議しましょうと・・

三者のスケジュールを調整して、また連絡しますと‥

14日。

T病院の介護支援専門員のIさんより自宅に電話があった。

預かっていた診断書は主治医のN医師に記入してもらった。

有料と伝えていたが、本資料は保険請求に対する診断書でなく介護施設指定のリハビリテーション治療における情報提供書、またリハビリテーション治療を主とする西棟入院患者であることから、非有料と判断され、退院時に手交とする連絡だった

15日は退院の前日。

あの日、私らが帰ってから腰が痛くなったようだ。

あるリハビリ療法士に診てもらって少しはマシになった。

で、今日の午前中にAリハビリ療法士にリハビリしてもらったから、今は痛くない、と状況を聞いているときに、Aリハビリ療法士が、病室に来られた。

3月2日付けのリハビリ実施計画書をもっての報告に、自立度は半分の7に要監視準備。

入浴だけが、4の一部介助である。

ただ、現在はほぼ自立状況。

昨日に腰が痛くなったのは、ダイキに出かけたときの距離の長さが大いに影響していると判断された。

前のめり歩きに負担あり。

その歩き方では、腰を痛めるから、それよりも立ち上がり回数を繰り返し。

また階段登り降りが、筋肉高めるには効果的と、伝えられてハっとした。

明日の入浴も、前回同様に自力で着替えする、というから準備が整った。

Aリハビリ療法士にも、急遽揃えた、介護用具の踏み台。

立ち上がりサポートがこういう用具です、と撮った写真を見せて説明したら十分な対応です、と・・・。

また同じくダイキでマットレスベッドも見てきたので、現在、通販に注文している巾80の・・・と伝えたらそれもえーことです、と‥・

16日はおふくろの退院日。

やっとこさ開放される。

病室を出たら顔なじみになった患者さんらが見送ってくれる。

百歳まで元気でいてね、と云われて、満足気。

入院費用は6万円ほど。

支払った領収書をもって診断書を交付された。

アロンティアクラブの指定フォーマットの指示書。

他に受け取った担当ケアマネ行きの看護サマリーにリハビリサマリーも手交された。

さらに向こう半年間有効の万が一対応。

入院していたT病院以外の医院に受診する場合に必要な退院証明書である。

また、診療明細書も手交された。

次回診察は4月4日の土曜。

午前10時よりの診察に、それまで服用する処方薬も渡された。

昨日から今も筋肉痛で歩きは前屈み。

歩幅も短くなったが、なんとか無事我が家に戻った。

あとになってわかった忘れ物がある。

洗面所に置き放しのカップに歯ブラシ、歯磨き。



直ちに取りに行くはめになったT病院。

今日、2度目に会った若い看護師さんに伝えたら対応してくれた。

わざわざ持ってきてくれた忘れ物。

これも忘れていました、と手渡されたテレビ機械に入ったままのカード。

1階にある精算機で清算したら60円もあった。

17日。おふくろの退院の晩はお腹いっぱいに食べて満足したばら寿司。

目出度いときに食べるばら寿司をつくってくれたかーさん。

午後11時、布団に横になって直ぐに寝ついたおふくろ。

朝4時のトイレに起き上がって一旦は座椅子に座る。

その場でおよそ30分も休憩をとって用足しに動く。

済ませたら、また座椅子に座って30分の休憩。

それから寝床に落ち着く。

朝7時半に起きたおふくろ。

暑いからもどしそう、といってトイレの排便。

だが、ゲーゲーに吐いていた。

黄色いのんがでた、というおふくろ。

それからリビング。

しんどいらしく、横になった。

明日の三者面談に行けるやろか。

そのときは、体調不良ですと、連絡して日延べしてもらうようにするから‥・

正午の時間。

ちょっとマシになったというが、どうやろ。

夕方のトイレは行けたが、椅子に座ってからもどしたらしく、昼間に食べたバナナのカスが・・。

尤も、それしか食べてないけど・・

ただ横になりたいこともなく、座椅子に座っていたからちょっとマシになったようだ。

この状態では、明日の三者面談はできそうにもないので、ケアプランデイア1・ケアマネジャーのFさんに電話した。
Fさんは、体調が良くなってからにしましょうと・・

その都合もあり、予定していた耳鼻科に電話した。

が、ベルは鳴れども、鳴れども、受話器は取られず・・。

まさか閉鎖してるんやろか。

晩ご飯はおかいさんとか流動食を奨めたが、食べる気がせーへんて・・・

18日。午前4時のトイレに座椅子に座らず、いきなり立ち上がりサポート用具つかまり立ちできたと・・・

歯も磨きたいし、洗顔も、といって台所で済ました。

朝食はおかいさん1杯に少し残した鮭の残りもんにほうれん草も口にした。

美味しかった、とみかんも食べた。

昼めしは、パンとコーンスープ。

それもまた完食した。

元気を取り戻したようなので、階段運動でもしてみるか、と尋ねたら、まだやっ、と返された。

晩めしは、前夜に食べられなかったおでんの残りをぺろりと食べた。

おまけにハッスル5で買っていた蛸のタタキも口にした。

蛸のタタキは、柔らこうて、美味しい、美味しいと、2切れも食べた。

テレビが放映していた「家ついていっていいですか」の番組に栃木のカンピョウ祭り。

その映像に民俗の一コマが・・。

映像は、ポリバケツで洗う芋洗い。

その映像を観ていたおふくろが若いときの記憶を回顧した。

滝谷不動さんにあった生家の母家。茅葺家の民家だった母屋。

正月前の父親は、いつも木桶に栽培したドロイモ(※里芋)を入れて芋洗いをしていた、と・・。

皮ごと入れたドロイモ。

水浸しのバケツに突っ込んだ板一枚を持って、左右に振りながらコネコネ。

それが芋洗いだった。

正月の雑煮に入れるドロイモもそうだがお皿いっぱいに芋を盛って食べていた、と・・。

また、お月見のときも同じように芋洗いしていた。

奇麗に皮が捲れた芋を供えていた。

記憶が鮮明に蘇ったのだろう。

思わずメモったおふくろの芋洗い記憶。

民俗調査のおりに執筆する機会があれば、おふくろの体験談として記録しておこう。

19日。体調が戻ってきたおふくろ。食欲も旺盛になってきた。

調子よく食べられるようになってきたおふくろの状況は、Fさんに電話した。

その状態なら、3月24日の火曜日に調整をお願いした。

また、実弟三男にマットレスベッドの組立・設営をするので応援依頼。

三者懇談の前に設営しておきたいマットレスベッド。

着々と進める独り住まいの介護環境の整備。

設営できたその日から、おふくろの独り住まい。

尤も介護の通所デイサービスに介護ヘルパーがあってこそなんだが、この日から“独り”は寂しい、と・・。

24日には、今後の対応のすべてが決まる。

私は、それを見越して判断、行動している。

20日。

3度の食事は少量だけどモリモリ食べる。

履いていた靴下を脱いだ両足の浮腫みの酷さ。

一日中座ったままでは血液循環もよくないと、云ったが・・・

せめて横になるときくらいは足の方を心臓より上にしないとな。

で、敷いた布団の足もとに重ねた座布団2枚に足を伸ばして寝たら少しマシになったと喜ぶ。

かーさんが先に入った入浴、その10分後におふくろ自身が脱衣して退院後4日目に我が家の風呂に初の入浴。

先つかりして洗い。

そして湯舟つかりにさっぱりしたと喜ぶ。

就寝前に台所に移動して口洗い。

今夜はぐっすり眠りについて朝までよー寝れたそうだ。

21日。

午後の気温の高いえー状態。

かーさんが連れだっての外歩き。

自治会掲示板までだったが、気持ちよかったと喜色の顔。

午後7時ころ、排便ができていないから浣腸をしたが、液体ばかり・・・

2回目もした浣腸に多少の便が出たらしい。

が、一瞬でもよおすからトイレに間に合わなくて下着を汚した。

22日。今日は、大阪に出かける。

居住地に設営するマットレスベッド

4階まで運ぶ組み立て式簡易マットレスベッド。

作業も1人よりか2人の方が助かる。

応援を願った実弟三男が応援に来てくれた。

3カ月間も不在していた居住地の清掃も三男夫婦がしてくれたので大助かり。

ここぞ、というときの支援は、ほんまに助かる。

23日。

目覚めは午前8時半。

就寝してぐっすり眠った。

今、起きたばかりにトイレ急行に、排便は調子よく。

足の浮腫みもずいぶんと収まった、という。

前日に体験した久しぶりの階段上り下りなどに、身体も心も疲れたのだろう。

新た導入したマットレスベッド。

居住地の部屋が見違えるほどに奇麗になった喜びもあったろう。

ケアプランデイア1・ケアマネジャーのFさんからの電話は、通所デイサービスは水曜日と土曜日に。

アロンテイアクラブの担当者は男性のSさんに決まった。

当日は、少し遅れるために午後2時からの三者協議とした。

先に来られるのはハート介護責任者のKさん。

午後1時半から30分程度しか打ち合わせできないそうだ。

おふくろに、明日住之江に戻るけど、とかーさんが伝えたら寂しいっていうが、今後の予定に通院が2カ所もある。

4月1日は、やまね耳鼻科の通院。

4日は、T病院も通院があるから、明けた5日は、また奈良に・・。

また、31日の火曜から4月7日火曜にかけて、どこか一日は畠中医院の通院を考えているので、その日までは、奈良泊まりにするから・・・。

晩食に確認したヘルパーさんが来られる曜日もあれば通所デイサービスも・・

買い物ヘルパーはこれまでと同じ、慣れている火曜の午後2時。

デイサービスは、水曜と土曜だから、明後日の25日はアロンテイアクラブだよ、と念押しした。

じゃぁ、今夜に食べた晩めしの塩鯖焼きは翌日の夜に廻すから、といって持ち帰り。

そうするなら、大根の切り干しの煮物も持って帰るか、といえばそうする、という。

また介護じゃないが、おふくろが騙しにはめられた清算処理がある。

騙しの事件は、電力小売電気事業社エレトス合同会社の販売代理店のやり口に・・

その後に破産したエレトス合同会社。

事業清算処理にあたった破産手続エレトスジャパンエルピー管財人債権電気供給支払い

破産になったが、電力を実際に使用していたからふくろには支払う義務がある。

19503から190519期間の使用料金は2451円。

19520から190617期間の使用料金が3943円。

これらは破産管財人が指定する三菱UFJ銀行に支払う

振り込み手数料引きの6284円を振り込み、ようやく肩の荷が下りた。

24日に戻った住之江・居住地で行われたケアマネ担当者会議は、午後1時20分から午後2時半まで。



介護施設アロンティアクラブへの通所デイサービスは、水曜日(※本来、要支援の場合は週一だがアロンティアの計らいで)と、土曜日。

洗濯もんが出るから介護ヘルパーさんの日は木曜日。そして休日明けの月曜日とした。

時間帯については担当するヘルパーさんの都合もあり、別途調整する。

ヘルパーさんが来る前には、汚れもん入れて先に洗濯機を回し。

洗い終わって・・・例えばその日は買いもの介護ヘルパーとしたら、ヘルパーさんに洗濯もんをベランダに干してもらって(※洗濯もんの取り込みはベランダ出たそこまでの範囲なら自力可能)からスーパーに。



もう一回は掃除日にしましょう。

昨年の12月21日に痛くなったのは、リハビリ回数が体力にあってなく、無理があったと思われる。

本人がつい頑張ろうとしてオーバーワークになったのであろう。

それが圧迫骨折になった、原因と考えられる。

ご本人の、そのときの身体状況をとらえた状況判断。

規定の回数は、きっちりこなさなくちゃ、という考えはくれぐれもせんように、とケアマネジャーのFさんからアロンティアクラブの担当Sさんに伝えられた。

要は、無理しないということだ。

念のため確認したT病院の所見には、身体が前屈姿勢になった状態で、片足をま横に揚げたままだったから骨折に陥ったと想定される、とあった。

25日はケアマネプラン作成日。

その日を起点に利用日とする。

ただし、4月1日がやまね耳鼻科診察。

奈良に戻った4日はT病院の診察。

その日に、入院以来、ずっと装着していたコルセットについては、たぶん外す許可が出るはず。

また6日に戻ってくるからアロンティア利用日は、28日の土曜日が再開はじめ。

次の4月8日水曜から毎週2回。

介護ヘルパーの再開はじめは30日の月曜日から開始。

6日からは週2回の月曜日、木曜日。

そしてSさんに手渡したT病院発行医療情報(※主治医N医師捺印発行の通所リハビリテーション指示書・リハビリテーション部報告書・3枚の患者基本情報・薬歴情報)はコピーして夕刻に一回りしてから立ち寄って引き取り事務所に。

介護披保険者証はFさんに手渡し。

また、万が一の緊急入院があれば大阪と判断し、その場合はまた、Fさんに動いてもらわなあかんかもしれない、と思ってT病院の退院証明・診療明細書も預かってもらうことにした。

復帰のための協議、調整、書類提出など、用件すべて済ませたこの日。



3カ月ぶりのゴミ出しも調えた。

25日。朝10時に起床したおふくろ。

夜間が寒かったから、エアコンも、ホットカーペットもつけずに、湯たんぽを探した。

足もと温める湯たんぽは、電子レンジでチンする「湯たぽん」

あるにはあったが、温め方が思い出せず、残り物の使い捨てカイロ利用した、と・・

Fさんからの電話は、ハート介護のヘルパーさんが来られる曜日と時間が確定したそうで、月曜は11時45分。

木曜は午後2時15分より。

初回日程は、3月30日の月曜日。

2回目は4月9日の木曜に決まったと伝えてくれた。

28日。

3カ月間の闘病期間。

介護施設に行けなくなった空白期間を経て、昨年の12月21日以来の久しぶりに利用する介護施設アロンテイアクラブ。

前日に、かーさんが電話したら、その日とは覚えてなくて・・・

えー、着替えなど支度の仕方を伝えていたのに・・

そのときの電話によれば、朝は午前10時ころに起きて、午後2時、3時に朝飯兼昼飯を食べていたという。

その日はフライパンで炒めもん。

長時間立って調理していても痛くなかったようだ。

アロンテイアクラブの送迎も難なく戻ってきたそうだ。

以前から施設に通所しているお友達のIさんらに大歓迎されたようで喜んでいた。

また圧迫骨折の原因になったときの担当リハビリ療法士は、直にお詫び。

頭をさげた上、きちんと詫びた若い療法士。

反省されたので、これからも体験を積んで大きく育つことだろう。

30日。おふくろから携帯電話がかかった。

今日はヘルパーさんが2人も来てくれて、一人は洗濯干し。

もう一人は買い物に・・

携帯電話のかけ方が、わからんようになって教えてもらったそうだ。

その電話に担当のOです、と電話での挨拶もしっかりしている。

そのときにわかったおふくろの腰痛。

昨日の朝から発症したという右腰痛は、Oさんが伝えてくれた。

昨日の夕方のかーさんの電話に、腰痛の件は黙っていた。

たいしたことないと思っていたのは、勝手な自己判断。

まさか、まさかの急展開。

明日に出かけた大阪の居住地に何が起こったんだ・・・

(R2. 3. 3、12、16、24 SB805SH撮影)

ベッド体感経て初導入した組立マットレスベッド

2021年11月30日 09時53分52秒 | むびょうそくさい(おかん編)
移動式手すりを見定めていたDCMダイキ大和郡山店。

売り場はたくさんの介護用具がある。

ベッドもうち一つ。

丁度、えー感じのマットレスを展示していた。

売り場がとても広いDCMダイキ大和郡山店。

入口から介護用具売り場までは遠い。

あっちこっちでもないが、用具を見てもらうのに動いてもらわなあかんおふくろ。

もうしんどいし、座りたいというからここなら・・・と案内したベッド売り場。

楽天市場などの通販サイトによく見るタイプの簡易ベッド。

購入するつもりで、おふくろに伝えた。

座り心地はどう?に凹みもせんし、ぶよぶよせーへんから座り心地が良いらしい。

住之江に戻った際に、毎日利用するおふくろに座り心地の良さがわかってくれたようだ。

これまでずっと拒否してきたベッド生活。

幅、長さ、高さを予め実測していた住まいの広さ。

若干の移動は伴うがなんとか収まりそうだと判断し、楽天市場に発注したロールマットレス式組立ベッド

販売はガーデニング工房。

発注商品は脚付きロールマットレスUNITEシリーズ・セミシングルボンネルコイル-レド-。

狭い市営住宅にぴったりサイズを見つけた。

195×80高さ34.5のSSサイズ。

空間長は15.5。

柄のないシンプル一色のネイビー色。

実売価格が8890円に送料は2000円。

実際に届いたボンネルコイル商品は、㈱ホームテイスが販売するLRM-01SS-S-SD(セミシングル)

脚付きロールマットレスだった。

我が家の軽の箱バン後席に積んだボンネルコイル商品。



数日前に買った移動式らくらくタッチ手すり・立ち上がりサポートスタンドに、持ち運び便利な低床型座椅子も載せて出発。



待ち合わせの実弟・三男夫婦とは大阪。

住之江の地下鉄下りた地上地で出会う。

夫妻は、新型コロナウイルス対策にマスク必着に満員電車を避けて、と考えていたが、どこにいくにも無理。

数日前に大阪府知事と兵庫県知事がコロナウイルス拡散対策に府-県またがる往来は自粛してほしいと府民、県民にお願い要請したとわかって、足止め状態。

往来要請は、20日の祝日から22日の日曜までの3連休の限定期間。

それも兵庫・神戸-大阪区間に限る人口密集地の往来自粛要請。

そうであったが、兵庫県は期間を延長して月末までと追加要請したが・・

シエアカーも考えたが、結局はレンタカーで駆け付けてくれた。

大和川団地で落ち合って早速の作業は、荷物運び。

居住地の4階までを階段昇降。登ったり下りたりにおおきなお荷物をちゃちゃっと運んでくれる。

助かる力作業の支援はこれからだ。



早速、開封した箱から取り出す脚付きロールマットレス組立説明書。

当商品は勝手な判断で組立順を守らなかったらちゃんと完成できない。

とにかくじっくり組立説明書を読むべし、である。

組立に要するパーツがある。

ボルト、ワッシャー、六角レンチにマットレスを固定する木材などの本数、個数、枚数を確認。

どこかにいかないよう置き場所を決めておく。

そして1行目。

ロールマットレスの開封にカッターナイフは使用禁ズとある。



鋏を入れると、圧縮していたロールマットレスが、一瞬に広がる。

まるでビヨーンと弾けるように広がる。



この感触は一回限り。

開封したロールマットレスは、人間の力では戻せない。



専用の機械で圧縮したロールマットレスがすごい。

マットレスを包んでいた透明シートの鋏で切るが、マットレスそのものに鋏の刃が当たらないように注意すべし。



広がったマットレスは少しずつ動いている。

圧縮効果が解け、復元されるのに丸一日もかかるそうだ。



裏返して所定の位置を確認し、マットレスを固定する木材をそれぞれ位置合わせ。



ネジ穴がきちんと重なっているかどうか、もれのないよう、間違いなく固定できるよう板の位置を確認する。



弟と作業していて一番わかりにくかった説明書。

そろってみれば、なーるほど、と思う組立ポイントである。



取りあえずボルト止は仮止めしておく。

すべての板がきちっと嵌ったことを確認してから本締め。



マットレスを横向きにして脚をねじ込む。

するする廻れば、きちんと直角に入っていく。

斜めであれば動かない。

そこをムリクリするとねじ山が潰れる。



組立場にしていた別室から移動し、寝床の位置に設置する。

その様子を低床型座椅子に座って見つめていた。



所定の位置に据えてから妹も弟も座り心地を確かめる。

腰は深く沈みこまない。

これっていいね!の感触を得て、おふくろも座り心地、寝心地を確かめた。



マットレスベッドから落ちる不安はあまりない。

腰かけた状態が塩梅いい、と評価をいただいた。

座椅子、そして移動式手すりの置き位置は、おふくろが手の届く範囲内に、そして障害物と思われる物品も移動。

炊事場中央に、80cm間隔をとって位置決め。



マットレスベッド、座椅子、柱固定の手すり、移動式手すりをつたってトイレや炊事場を往復できるよう、おふくろに体感してもらって、確信がもてたのか、やっとOKがでた。

滞在時間は、午後1時30分から午後4時まで。



三男夫妻とはここで解散し奈良に戻った。

(R2. 3.13 SB805SH撮影)
(R2. 3.22 SB805SH撮影)

どこでも持ち運びの移動式手すり

2021年11月29日 09時46分44秒 | むびょうそくさい(おかん編)
初めて介護認定を受けたときは奈良県内に入院していたときである。

当面は私が住む家で療養生活。

通所リハビリに週2回の通い。

療養生活を送るにあたり、地元の地域包括センターに相談しケアマネージャーを設定してくださった。

体調がほぼ復帰したところで、本来の居住地に戻った。

その状況に合わせて大阪・住之江の地域包括センターに相談。

決まったケアマネージャーと対面。

ここ住之江においても通所リハビリ施設に通うことになった。

居住地に生活にベッドの有無を指摘してくれたのは現在もフォローしてくださっている。

暮らしにベッドは必須。

お母さん、万年床のお布団生活は、圧迫骨折にまたなる可能性があります・・と指摘してくれたが、否定、拒否した。

腰かけ生活に換えていかないと再発するケースは多い。

住之江の施設。2カ所を見学に、このようなベッド・・・をと推奨したが、拒否した。

ベッド暮らしは病室を思い起こす。

そんなみじめな生活はイヤっ、と言い放った平成30年3月31日。

それから2年後。

2度も発症した圧迫骨折の原因は床寝床だったと理解するまでの長い期間。

低床高座椅子を利用しだしたのは平成29年12月。

一人暮らしにあんばい活用できたが、ベッドも導入を伝えたが、拒否を続行。

その拒否も、とうとう取り消すときがきた。

令和2年の時代になって、ベッド購入にやっと折れた3月13日。

前日から我が家に泊まった2度目の試験外泊。

12日は、病院に戻る前におふくろに見てもらいたい介護用具の確認。

実は必要に迫られての購入であるが・・・

売り場は、我が家に近い位置に立地するDCMダイキ。

朝刊にあった折りこみチラシ。

”つらい立ち上がりをサポートする”天然の籐でできた「らくらく立ちあがり手すり」。

籐製なら軽くて移動しやすい。

店舗に、同じものはないかと思うが、よく似た介護用具でもあればと思って探した結果、見つかったのは重量のある移動もできる手すり。

大阪・堺市に事業所がある幸和製作所製の立ち上がりサポート手すり「らくらくタッチHUH03」。



おふくろの了解をとって購入した9800円売りのDCMダイキ。

本来なら、ケアマネージャー経由、介護用具事業者に見積もり、住之江区・福祉課に承諾を得て、という手続きであるが、いちいちそんなことやっていたら間に合わん。

自腹を切って買った「らくらくタッチHUH03」は、その後のずっとお世話になっている用具の一つになった。

後日になってわかったことだが、楽天市場などの通販事業にあった。

ついでに見つけておいた玄関の段差負荷を取り去る台もかった。



幅が60cmの台は2980円。

これも自腹支払いで対応した。



我が家にセッテイングしたら、いやに馴染んでいる。

(R2. 3.12 SB805SH撮影)

ふり返る令和2年2月の介護まとめ

2021年11月17日 10時23分52秒 | むびょうそくさい(おかん編)
この月もおふくろの介護の関係で大阪・住之江に行くこと度々。

記憶は記録。

ふり返る際に思い出したい事項は書き記しておく。

2日、妄想ではないが、おふくろが話を盛り込む事実より割り増しする訴えにトイレ行きが6回。

事実は3回であるが・・。

病室の冷蔵庫が停止し、ランプは消灯に・・・消えてたわ、と伝える看護師。

点いていたのは事実であるが、毎シフトの交替時にランプを点検していたのは午後5以前の3時間だけ。

H看護師が語る事実が本当だろう。

病室ばかりの暮らしに閉塞感。

しんどいと訴えることが多くなるのも頷ける自由さ。

勝手な動きは、もちろんあかんが、談話室も行けない身体状況に、対話する人もなく・・・。

私がこうなったのもみな人のせい、薬のせいにしてしまうおふくろ。

今日も訴えた冷蔵庫が止まっている。

実弟の三男が見舞いにもってきてくれたプリン。

昼食後に食べたらしく、食感がへんな感じで美味しくないのもすべて冷蔵庫が・・冷蔵庫が・・・と、同じ話を繰り返すばかり。

たしかに夜勤の看護師の点検漏れもあると思うが、プリンは常温で4カ月ももつ商品。

今、点検したら1日もつと看護師は云われるが・・・そこが落とし穴でしょ。

連続稼働できるようにセットしないと、ちゃんと稼働しませんよ。

冷蔵庫に問題はないが、タイマー機能を発揮するセッテイングが誤っておれば・・・。

日々の点検は残り日数を記録したら、漏れはなくなると思うのだが・・。

病室に行けない状態に苛立ちがつのるばかりだ。

インフルエンザ対応は収束に向かっているそうだが、新型コロナウイルス対策措置も考える現実に明日の月曜日には次の対応策に移るようだと看護師が伝えてくれた。

5日、前日にかーさんが云った。

昔のおかあさんと違っている。

優しいおかあさんだったのにイライラしているし、訴えることばかりやし。

看護師のいうことも聞かなくないってお義母さんらしくないなどなど・・と話し込んだ。

私が、そうかといってくれたから、気分が滅入っていた顔もすっきりしたようになったという。

1日経っても、また同じ状態なのか、それとも心配しながら見舞いに行ったら、声は弾んでいるしお通じも看護師のいうこと守って薬は飲むわ、浣腸も受け入れた。

その浣腸が利いた。

前夜にドバーっと出た、という。

三男がくれたプリンは不味かったのは、プリンソースをかけてなかったと話すおふくろ。

ダダコネしないおふくろに戻って、ほっとした。

歩行器に頼って待合室から歩く足取りはひきずることのない軽い足取り。

運動前に計測する血圧が平常値だったこともあるし、勢いがついているようだ。

この日の見舞い中に出会った地元小林町の住民。

正月だったか、明けだったか聞きそびれたが、おふくろと同じ棟に入院していたのはHさんだった。

お見舞いに来ていたのは、息子さん。

傷病は骨折。正月の酒を飲みすぎたのか、ふらっと倒れて後ろにあった家具に背中を打った。

それが原因に脊椎12節が骨折し、1月半の安静診断。

6日、大阪市センターより介護再認定委員会は資料が揃っていないと判断されて次月3月4日ころに日延べ・・。

ケアプランデイア1・ケアマネジャーのFさんに、おふくろの状態も含めてかけた電話連絡。

入院先の病院は、インフルエンザ防止対策の影響もあり、リハビリ室は閉鎖。

現在はサロン室も行けず、動く機会は、トイレに機械入浴など。

院内廊下を移動する手当は歩行器運動。

そのときにしかか病室を出ることもないのでリハビリ運動が遅れている。

介護認定調査員のヒアリングが終わったら控えを渡される、とケアプランデイア1・ケアマネジャーのFさんは云ったが、今回の調査員はテーブルに置いていないし、手渡しもなく、看護師の立ち合いヒアリング終わったら、さっさと帰っていきました、と伝えたら・・・えーっ。

資料不足で考えられるのは医師の診断書発行が遅れるケ-ス。

審査が遅れても要介護になるのは間違いない、と判断されたが。

7日、かーさんの話によれば、眼鏡の看護師が、こういったそうだ。

「今後どうされるのですか・・・」、と。

どうやら今までのように復帰するのは難しく、老人ホーム入所を奨めているような気がする。

わたし的に考えている退院の目途は、階段の上り下りができるように、というのが目標なんだが・・・。

8日、車椅子だったおふくろに聞いたら、そうしょった・・て、という。

身体のことは、何も問わない付けまつ毛の看護師。

そっけなかった、という。

2年前の圧迫骨折で入院したときのリハビリ運動。

当時、診てくれたKリハビリ療法士。

今回の圧迫骨折の見立ては、2年前と違って、復帰は遅い状態にある、という。

リハビリ室は解放されたようだ。

閉鎖もしていない様子。

入院患者さんのリハビリ運動もしているようだが、腰の痛みを訴えるおふくろは機会を逃している。

前回と違うのはそこだ。安静加療していても腰痛が治まらないだけに遅れを感じる。

先日検査したレントゲンでは正常だった、と医師は伝えてくれたが・・・。

昨日に検査した再レントゲン。

その結果報告もあると思うが・・。

圧迫骨折部が潰れている痛みの可能性もあるが、現実はその状態で問題もないことから退院する患者さんも多い。

診断結果を下すのは医師の仕事。

リハビリ療法士は直接伝えることはできない。

老健と老人ホームの違いは期限の違い。

老健は1年以内まで。

退院への動きはまったくない。

時期的に確定申告。

おふくろが行けない、となれば委任状が要るのではと思ったが、情報によれば、委任状なくとも申告はできる、とも・・。

9日、おふくろの身体状況が気になり、夕方近い時間帯だが面会に行く。

少しでも出歩いたらリハビリになるし気分転換にもなるだろうと思っていったが、かーさんが見舞いに行ったときはなんともなかったのに、仰向けに寝たまま看護師が足の爪を切った直後に腰が痛くなった。

歩行器で面会に来たがヨタヨタ。

歳いったなと感じる姿だった。

木製椅子に座らせたらソファよりも高いので、また歩行器に掴まる場合は苦にならんだろう、と思って高椅子に座ったらその通りだった。

和歌山写真隊のDさんがくださった写真展の案内話をして見せたらこれほしい、という。

案内状に採用した風景写真がとても綺麗だから、欲しいという。

その写真を見て元気になってくれれば、それでいい。

でも、よう来てくれたというおふくろ。

何故に、と聞けば、かーさんが帰ったあとに気がついたテイッシュペーパー不足。

丁度いいときに来たから、明日2箱を持ってきてや、とお姉買いされた。

起床してから2時間ほどは、テイッシュの山。

世話になっているから消費が早いテイッシュペーパー。

10日、おふくろ痛みなく口も軽やか。

看護師からに伝達。

医師面談をするので家族さんに伝えてください、と言われた。

なんかあったんか心配になって聞いたら「大丈夫よ、順調なんだから心配せんといて」と返されたそうだ。

ナースステーションに尋ねた回答は、医師面談時間は外来診察が終わってからの午後3時以降の5時まで。

救急患者が入った場合は、待ってもらうことになるというので4時から5時の間に決めてもらった。

何でも、国に状況報告するための面談実績報告のようだ。

12日、おふくろ、並びにAリハビリ療法士とT看護師が立ち会う三者面談。

数日前に撮影したレントゲン映像を見せながら、説明する担当医師。

特に問題なく順調であるが、いざリハビリ運動となったら血圧が180になるし、腰が痛い、と訴えるから予定していた運動回数は少ない。

昨日も排便ができなかった。

便は、詰まっているから処置はしたが、前夜に食べたのをもどしたのも運動量が少ないからだという。

点滴したのは、食べたものをもどしたから・・。

食物が摂取できていないから栄養剤を投入する点滴実施。

もう普通食に戻すので点滴は外す。

T看護師から指摘のあった院外食の饅頭。

家族さんがお持ちいただいた饅頭。

2個では多いのでは、と担当主治医のN医師に質問された。

医師の答えは「そんだけの量なら影響受けることはない、むしろなんも心配ないので安心してもらうよう家族さんからお話し。説得させるのではなく、自らの意思で無理せん程度に、そして積極的に運動してください」、と説明された。

介護支援専門員のIさん。

2年前とは状態は違うが、圧迫骨折するまでは家で一人炊事も洗濯も物干しもされていた。

介護再認定審査会は書類不足に1ヶ月先送り。

「あっ、それは医師の診断書遅れです。まことにもうしわけない」と頭を下げられた。

いずれにしても次回審査日は3月4日辺り。

結果は要介護に認定されるだろうということだ。

Aリハビリ療法士も、今日は問題なく歩行器リハビリができた。

毎日がこうであれば回復は早くなるだろう、と・・。

また、T看護師からは、「おかあさんのところに饅頭2個入っていたのでお返しします」って。

でもさぁ、それは、饅頭はかーさんがえーやろと判断して入れたもの・・・。

13日は大阪・住之江行きの用事。

先に立ち寄った住之江・サボア。

転居に奈良へ移る前に暮らしていた住之江時代。

そのころに食べていたケーキ屋さんが、サボア。

映像はむちゃ美味しいおばちゃんが焼くお好み焼き、焼きそばあるなかで、断トツに旨い博多焼き。

一枚がなんとたったの百円。

2枚食べても二百円。

三枚食べたら晩飯無用の博多焼き。

右手に映ってはないが、そこにケーキ屋さんのサボアがある。

親しくさせていただいている上に何かとお世話になっているAさんにサボアのロールケーキを買ってお礼に行ったが、不在だった。
自治会会費の支払いもあったが、班長も不在だったので、ご自宅のポストに投函した。

16日の病院見舞いは、家族さんに知人面会が4組に。

たまたま重なった面会時間に面会コーナは人でいっぱい。

通行する通路だけは確保してそれぞれの面会に、祭り、行事取材でいつも世話になった小林町のHさん家族もいる。

後日に聞いた話によれば、Hさんは2月23日に一時帰宅許可をもらい、自宅生活における障害有無を確認したそうだ。

また、3月8日までは、県立民俗博物館・古民家写真展を開催しているので、是非見に来てねと伝えたが新型コロナ防止対策の関係で、2月27日に急遽決まった中止判断。

間に合ったかどうか・・・。

この日の面会がいっぱいいっぱいの状況にH看護師が指示を出した。

私たち家族だけは、特別にナース詰め所前の談話室に入ってください、と云われて恐縮する。

病室から、歩行器でやってくるおふくろの足取りは軽い。

あの日以来のお通じは14日にあった。

食欲あり、吐きもどしもしていないし、痛みもない状態に気分は良さそうだ。

Aリハビリ療法士に尋ねた4階リハビリ室。

いったい、いつになったらいけるのかなぁっ、と呟いたおふくろ。

それもあるが、退院はいつになるの、と・・・

「いやいやそうじゃなくて、段階上り下りができるようになれば、だから・・。先日の三者面談の結果表に、順調とあり、一歩一歩の運動量を、と医師から話があったでしょ。だから心配することないんよ。怖いとか恐れずに聞いてみたら一歩進めるから。おふくろがさりげなく聞いたらいいんだよ」、と話してみたが・・

どことなく、以前よりか弱気になっているような気がするおふくろの心情。

おふくろの顔を見て、「数日前よりも顔つき、ハリがよくなっているし、口調もはっきりしてるよ」、と云った。

気持ちだけでも、晴れやかになってもらうように・・・。

H看護師に、食事も順調なので林檎は食べてもいいでしょうか、と尋ねたら、毎朝はバナナが一切れありますし、この前のような饅頭でなければ良しとしますが、少なめに、ですから、と云われた。

午前中に入浴させてもらったおふくろ。

身体がさらさらで気持ちいい、という17日。

病室に戻って食べた今日持ってきたリンゴ。

美味しく食べられるからよかったな・・。

4階のリハビリ室に連れてくれはって気分爽快や。

なんせ、ここのリハビリ室は入ったとたんに見える三方。

北、西、南の方角に向けて全開。

青空が広がって気持ちいい、と喜んでいるおふくろ。

何時ころにいったんや、と聞けば、昨日のことだった。

昨日の見舞いに、家族が帰った直後にAリハビリ療法士が4階に行きましょう、と声をかけてくれた。

血圧は正常値やし、痛みもない。

エレベータを上がったところの階段を上り下り。

左手を支え、右手に杖つき恰好で階段を上り下り。

6段の階段を2往復もした、という。

その運動は、特に支障もなく上り下りした際である。

Aリハビリ療法士が伝えた指導。

杖は地面に直角につかないと返って危険。

杖は少しでも斜めにしてつけば、床を滑ってしまい、ずれたりする。

だから、倒れては、元もこうもなくなるから、気をつけてください、と云われた。

リハビリ室での運動を終えて、屋外に行きましょう、と奨められ、車が並ぶ駐車場も杖をついて歩かしてもらったら気持ちよかった、と嬉しそうに話すおふくろ。

Aリハビリ療法士に誘われたときの血圧が上がったのは、ストレスやったんやって、ことに初めて気がつくおふくろ。

今までストレスを感じたことなかったけど、これがストレスって初めてわかったわ、と笑っている。

18日は、入院料の支払い。

保険料分の合計金額は732580円。患者負担額が57600円。

食事標準負担額は4600円。生活療養負担額は42000円におむつ代が1600円。

実支払い総計は105800円を、一括払いのクレジットカードで支払った。

20日、食事の間に空腹を覚えるおふくろ。

お腹が減って仕方がない。

なんか食べたい、とKリハビリ療法士に相談したら、サークル歩行器であれば移動できるようになってきたから、行きましょう、と地下1階にあるコンビニエンスストアへ。

もちろん看護師の承諾を得ての移動に、饅頭など4種類の補食も。

一人では無理な身体のおふくろに介添についていったかーさん。

特に支障もなく、難なくラクラクとエレベータにも乗った。

お菓子は以前看護師から言われたようにちょびちょび食べる、と約束させて・・。

Kリハビリ療法士の見立てによれば、トイレの下着上げ下ろしも難なくしているし、歩行器は卒業し、杖歩きにした方がいい、とアドバイスがあった。

21日に介護再認定決定通知が届いた。

決定結果は要支援1から2に上がった。

認定結果が出たら、すぐに連絡するケアマネジャーさん。

大阪が所在地のケアプランデイア1に属しているケアマネジャーのFさんに電話で伝えた。

Fさんの話によれば、「住之江区は他区より低く決定される傾向にあり。受け持っている介護者は、軒並みランク下げの様相。要支援2ならば、通所デイサービスしてもらっているアロンティア介護支援施設は、週に2回の二日間利用できるからまだマシ。ただ、入院に一旦は離れたアロンティアに、現状、空きがあればいいのですが・・」と。

退院日が確定した段階になれば、また連絡する、と伝えた。

おふくろにその旨を伝えたら、週2回はみなにまた会えるからうれしいって。

階段運動はこの前に2回目。

杖歩きに自力入浴ができたら先は見えてくるよなぁ。

そうなってほしいと願うおふくろ同様に家族もそう願っている。

23日、朝9時にAリハビリ療法士の病室入り。

早速、連れていってもらった4階のリハビリ室。

運動こなして階段の上り下りに杖なし歩行は3往復もした。

痛みはないし、トイレも住まいする住居で暮らしていたときと同じようにできた。

しかも食事は、患者さんみなが集まる談話室サロンで食べられるようになった。

朝は間に合わんかったが、昼からになった。

いずれみなもそうなるやろな。

明日も祝日。

介護士さんも少なく手薄になるから入浴はシャワーにします、と連絡があったそうだ。

25日、毎日が談話室で患者4人が同じテーブルで食事摂っている。

Aリハビリ療法士が休みの場合は、代わりの先生になるが、リハビリ室行きはなく、廊下の2往復程度になる。

パンに甘いもんを食べたい、というおふくろの食欲に、この日も看護師の承諾を得て、地下1階のコンビニエンスストアに行く。慣れてきた歩行器遣いで歩くおふくろ。

回復良く、軽やかな足具合。

新館と旧館の境い目にある段差解消は、階段でなく緩やかな坂になっている。

登りは少し力は要るが、難なく登りきった。

逆に怖いのが下りである。

スロープになっているから、あれよあれよ・・・。

力を入れてなきゃするっと滑ったらエライことになる。

歩行器を支えながら下ってもらう。

エレベータの隙間段差も難なく通り、到着したコンビニエンスストア。

いろんな品物にあれこれ手が動く。

早く、杖つきで歩けるようになれば、いいね。

26日、政府の動静から新型コロナウイルス対策措置は近々に厳しくなる、とH看護師から伝えられたそうだ。

発令された場合は、面会・面談は不可になる。

その不可対応に、着替えの下着などの入替などは、病院受付前にて看護師を通して手渡すことになるだろう・・と。

27日の朝9時過ぎ。

病室から携帯電話で我が家の電話にかけて伝えるおふくろのお願いは・・・。

住之江に確定申告に行くなら、実弟の三男にもらった漬物が冷蔵庫にあるからもってきて、と・・。

携帯電話がやっと自分でかける意欲ができたんや。

そう喜ぶ家族であった。

出かけた大阪・住之江区役所。

確定申告に息子の嫁と伝えたら、かーさん1人で申請できた。

尤も、私は横についているが・・。

住民税市民税は、別途住民税市民税申請書で所得額が200万円以下なら医療費控除は10万円以上または所得額の5%をかけた額によって決まるが、その場合は7万円以上であれば返戻される。

医療費控除は5年間の有効期間はあるが、その場合は直接税務署に、と伝えてくれた住之江区役所の臨時対応の担当女性が教えてくれた。

おふくろの確定申告は無事に終えた。

その帰り道に立ち寄ったたこ焼き屋の「たこ焼き ぺちゃ焼きのあほや」。

あほやどこにあるのか、さんざん迷って到着した長吉長原店。

かーさんと同郷の知人を探してここまできた。



念願叶ってようやく顔を合わせたが、お土産のたこ焼きは・・・ない。

28日、見舞いに出かけたかーさんからの報告は、外泊許可。

その方向に向かっており、1日になるか、それとも2日になるか、主治医の指示が出るそうだ。

退院後に我が家で療養する場合は、てすりのレンタルができるから、と介護支援専門員のIさんから話はあったが、住民票のある大阪でないと無理ちゃうやろ。

仮に考えたてすりの設置方法は、住之江住居でも実績のある垂直支え棒。

設置場所は2カ所。リビングはゴミ箱のある位置。つまりドア付近に。

もう1カ所は玄関入った下駄ばき付近。

現在、鏡立てを置いてある位置に、2階部の張り出しを支えに廊下端を、と考えた。

29日、外泊許可規定によれば最大二泊三日。

長かっても心配のタネになるから一泊にした3月3日の午前11時。

戻りは3月4日の午後4時に決めて、申込書を提出した。



食事制限はなく、回転寿司もかまいません、I看護師の了解をとった。

(R2. 2.13、27、29 SB805SH撮影)

ふり返る令和2年1月の介護まとめ

2021年10月23日 09時45分09秒 | むびょうそくさい(おかん編)
この月もおふくろの介護の関係で大阪・住之江に行くこと度々。

記憶は記録。

ふり返る際に思い出したい事項は書き記しておく。

4日は、二度目の入院措置

入院翌日の5日は、要求のあった石鹸箱にティッシュペーパー届け。

看護師の許可を得て、病室にもっていったミカンとバナナ。

夜中に、お腹が溜まった状態だ、と診断され、看護師さんは手をつっこんで管を装着した。

管を通して処置する排尿に排便。

おけげで、すっきりしたものだから、よう寝た、という。

朝に、頭は洗い、身体を拭いてもらって気持ちいい。

圧迫骨折の治療は安静加療。

身体を動かさないように・・・

朝食も昼食もおかいさんやから、味はもみない。

だから梅干しが欲しい、と伝えた看護師の回答は、高血圧対応のために減塩してますから・・といわれた。

そりゃそうやろ。

6日の見舞い。

昨夜は隣患者の呻き声で全然眠られんかった、という。

排便はないが、排尿はある。

朝食は、もみないから少ししか口にできんかったが、昼食は逆に味が濃いかってな。

そりゃ美味しかったと喜んでいる。

よう食べたもんだから、少ししか残さんかったそうだ。

病室冷蔵庫利用に、千円の電源カードを購入し装填。

3秒押しして冷蔵庫にセットする。

1日が百円であるが、5日間連続使用するには設定を5回繰り返しの操作手順。

バナナとミカンは冷やして食べたくなったら看護師さんにお願いするから、という。

午後2時20分、Kリハビリ療法士が来られて、両足の筋肉マッサージ。

現状具合から判断して、前回の入院時よりも早く退院できるかも・・いや、そうしたいという。

前回の退院後に3カ月間も装着していた背中コルセットギブス。

その後は、背中コルセットギブスをするケースが増えている、という。

拳を前方に力こめて押出し体操。

指の体操は頭、つまり脳活性化に右手は、てっぽう。

左手は、お金の丸。

それを交互に繰り返し、次に二本指指し。

逆は三本指さしに、これも交互に繰り返するリハビリ運動。

終えた時間は午後2時50分。

午後3時50分自宅に戻って記録されていた病院からの留守電。

8日には、西棟の353号に移る連絡に歓喜。

今、入院中の東棟に比べて西棟は新棟。

棟内も病室も明るいのが嬉しい。

7日、午前中に大床義肢製作のコルセットを装着した。

午後に来られた大床義肢製作の技師さんに32754円を実費、現金払い。

請求明細にあった基本価格は7000円。

内容は軟性・採型。胸椎支持部・軟性(加工)が23900円。

支払ったこのコルセット代のほとんどが戻ってくる。

手続きは、おふくろが住まいする区役所福祉課窓口。

2年以内に、領収書、医師意見書・装具装着証明書、後期高齢者医療証に、印鑑と金融機関の口座番号をもって申請すれば3ヶ月先に9割が給付され、戻ってくる。

つまり1割負担で済むコルセット料金である。

明日の8日、午前10時半に回復期リハビリ病棟の西棟に移る、と正式連絡があった。

Kリハビリ療法士は担当を外れ、富雄のA療法士に替わる、と伝えてられた。

午後2時から両足筋肉マッサージ。

その際に話してくれた昨年末の大阪・施設のアロンテイアで起こった事象は、おそらくこうだろう、と話してくれた。

圧迫骨折の考えられる要因は、回数の多さでなく、リハビリ運動時のおふくろの姿勢にある。

真っ直ぐ背を伸ばして、せなあかんとこを前屈みになっておれば、変な圧が加わり骨折した可能性がある、と・・。

車椅子に乗って懐かしいリハビリ療法室に上がった。

運動をせずに立ち上がりのみのリハビリ。

膝あげ程度の状態で、戻ってきたベッドに滑り込む方法を教わった。

ひとときのリハビリ運動を看てくれたKリハビリ療法士。

状況、要因などがわかって、気分も晴れやか。

午後2時40分に終了した。

ひとまずは、こういう状況になった、と実弟の次男に従兄妹のきみちゃんに連絡しておいた。

8日、10時半過ぎ。

入院日の4日に便の掻き出しをしてもらったが、それからも便通なく浣腸をしてもらった。

なんと、どっさり出てすっきりした・・って、まるで美爽煌茶のコマーシャル台詞やん。

この日は、同じ3階の東棟から、回復期リハビリ支援する西病棟に。

302号室から353号室に移った。

病室移転の際のバタバタに何かを落とすかも。

おふくろの緊急を要する急ぎのお願いは汗でびっしょり。

肌着の着せ替えは手際よく。

管理棟が替わった関係に、今度の西棟にも入院時同様に氏名記入、捺印替わりのサインをする。

午前中からの汗こき。病室移転の関係もあり、汗拭き介護は移った午後に。

なんとかしてほしかった汗処理。

下着交換は食事後にします、と伝えられてほっとしたようだ

9日は、大阪・住之江行き。

不在している住居関連諸々の手続きなどがある。

お昼時間に合わせて出発し、丁度ひる時に到着した大阪ふくちゃんラーメン長吉店

昼ごしらえににんにくたっぷりふくちゃん醤油トンコツラーメンを味わった。

食後に再出発。



まずは、区役所手続き。

区役所の保険年金課給付金を申請する。

口座に振り込まれる時期は、2月末の予定。

ゴミ収集に4階自宅前まで取りに来てくださるふれあい収集は、入院した関係で停止期間を、見通し考えて2月末までとした。



手続きした住之江区役所にこれまで無料だった駐車場が有料化になった。

令和元年5月から運用をはじめたリパーク住之江区役所。

本日利用の時間帯は午後1時8分から37分までで200円の利用代だった。



居住地に移動し、郵便物を確認する。

実は、郵便物転送申請を6日にしていたが、まだ整ってないようだ。

室内にあがって資料の整理。資料は、介護関係の他、歯科医院、眼科医院、耳鼻咽喉科医院に畠中医院など。

また、2月に申請する確定申告用の領収書も収集し、持ち帰る。

帰宅して領収金額を集計したら6万円ちょっとになった。

10万円以下であれば、申告しなくてえーんとちゃうのんとかーさんが云う。

いやいや、私が毎年にしている奈良図書情報館・確定申告のときに税理士さんが教えてくれたこと。

昔は、そういうことだったが、今は10万円以上なら得とか、以下なら別にしなくてもいいとか、いう指針はなく、医療費は経費なので申告しておけば非課税所得にされる可能性もある、と・・伝えたら・・。

そんなことは知らん。お父さんがしいや、といって資料などをぶちまけ、私はしません、という。

以前、かーさん独りになったときを考えて、おふくろの確定申告をしてきたら、勉強になるとか、云っていたが・・・

11日のおふくろ。

食欲がわいて、わいてきたからおかいさんからご飯に戻してもらったそうだ。

ご飯もパクパク食べて、喜んではりました、と看護さんが伝えてくれた。

実弟の三男が見舞いに来てくれた。

13日の見舞いに聞いた障害症状。

夜9時までは、機嫌よう談話室にいた。

トイレに用足ししてから部屋に戻って、しばらくしてから腹痛に激痛を発症。

夜中じゅうずっと難儀していたそうだ。

午後11時ころからは煩雑な腹痛。

原因は、前日に看護士さんが抜いた尿管に慣れてしまい、尿意に気づかず、膀胱に800ミリリットルも溜まっていたからだ。

そりゃ痛いわけだ。

排便も排尿も処置され、朝食も昼食も食べられるまで体調が戻った。

事件はもうひとつある。

前々日に買って持ってきた漬物。

タッパーに入れて冷蔵庫に保管。

昨日、それが談話室にそのまま気づかず、放置していたら真っ白な黴が発生していた・・と。

1日で食べられる量にしなあかんな、と反省するかーさん。

その事件に冷蔵庫が切れていたと、とある人の証言があった。

昨日、実弟の三男は、冷蔵庫&テレビカードを替えたそうだ。

ところが、再セット挿入に、冷蔵庫本体は緑色点灯で稼働中。

カードも残り1日6時間もあるし・・。

どうやら看護士さんがある患者さんと会話していた内容が、ごちゃ混ぜになって記憶していたようだ。

午後3時半、Aリハビリ療法士による運動があった。

マッサージ、歩行機械訓練に膝がよく上がるようになり、歩幅もとれている。

担当するA(リハビリ療法士。

久しぶりに見たおふくろの身体状態を心配していたが、先に現状を伝えておいたチョコチョコ歩き。

つまづき、転倒防止を考えたおふくろ本人が自己抑制をしているから、それはそれなりに筋肉がつくリハビリをしていきましょう、と。

14日の障害症状。

朝7時に排尿したらオレンジ色の尿。

しみる痛さの排尿に検査に出すと云ってたそうだ。

午後2時になってから、遅くなりました、と看護士さんの指示で2錠の薬剤を飲んだ、という。

見舞いから、自宅に戻ったら、大阪から郵便物の転送が届いていた。

15日は、再び大阪・住之江に出かける。

見舞いに気づいた忘れ物。居住地にあるパジャマを探しに来た。

ついでにみておく郵便物の滞留。

それから出かけた大阪ふくちぁんラーメン。

本日は、居住地に最も近い南加賀屋の店で新味ラーメンと五目あんかけを食べた。

16日、食べたくないから朝食も昼食も食べたくない。

診てもらったら色ちがうから味が感じないってに主治医はうがい薬をだしますって。

今朝初めての入浴に汗かいてたんで気持ちようなって、やけど入浴は椅子に座ってドブンと。

それからリハビリやけどインフルエンザ流行って閉鎖だから廊下で運動したらしい。

17日、奈良市社会福祉協議会のIさんより、携帯に電話があった。

介護再認定調査にW調査員を、1月29日の水曜午後2時に、田北病院へ派遣するとのことだ。

電話口で伝えた、現状の身体具合に治療、リハビリ状況。

その旨、大阪・ケアマネージャーのFさんに連絡した、

18日に転送されてきた大阪市福祉局/大阪市認定事務センター(介護保険担当)より「介護保険資格者証(介護保険暫定被保険者証/要支援1)。

翌日19日に、大阪・ケアマネージャーのFさんに、その旨を伝えたら介護再認定申請に介護保険者証手持ちしていないから紛失した、と届け出たことによる暫定証発行であった。

19日、本日も厳重管理下の見舞い面談。



今年はより一層注意すべき事項並びに、保健施設からの指示もあり、むやみに病室までの出入りを禁ずる対策をとられた。

過去、何度もあるインフルエンザ対策。

身体の弱い患者さんに、万が一インフルエンザにかからないよう。

家族面談であっても、理由なしでは棟内に入れない対策をする。

ちなみにおふくろから要求のあった海苔の佃煮。

おかいさんも、ご飯も美味しく食べたいから、買ってきて、と云われていた。

近くにあるスーパーオークワに、指定していた海苔の佃煮があった。

商品は、10g×6本入りの桃屋のごはんですよ、に、ついでに買ってきたデザートみかんも2個手渡した。

20日の見舞い。

病室には行けない。

そこで頼んだ、冷蔵庫カードの過不足。

看護士さんに確認してもらった結果、残時間が、1時間のカードが3枚もあった、という。

もし、カードの時間が、なくなっていたら交換をお願いしますと伝えておいた。

本日も、疫病防止策対応に4組の家族見舞い。受付の場に4組の家族が集中する時間帯に介護士さんも看護士さんもみな手をとられる。

大阪・ケアマネージャーのFさんから電話があった。

介護保険認定証の発行受け取りは、本人でないと受け取れないが市役所に問い合わせた結果、身元引受人の在所に転送を直接申請する用紙があるらしく、Fさんのわかる範囲で書いておく文書を市役所に送付する封筒も入れて奈良に送ると伝えてくれた。

その指定用紙に、氏名、住所、捺印し、介護事業所のKまで送り返してほしい、と伝えられた。

治療を終えて、おふくろが再び大阪に戻り、一段落した段階にFさんが復帰手続きをするので忘れないように云ってください、と・・・

21日の、入院病院の疫病防止策対応がさらに厳しくなった。

かーさんが、見舞いに行った今日。

なんと、病棟受付も兼ねていた談話室も閉鎖対応になったそうだ。

外部から持ち込まれる感染者予防対策のステージアップであろう。で、病室は待機状態になっていたそうだ。

大阪・ケアマネージャーのFさんから郵送された『介護保険送付先届』書類に項目記入・捺印。

大阪市住之江区保険福祉センター保険福祉課(高齢・介護保険)宛て封筒に入れて投函した。

23日、分包入りのご飯用佃煮がもうないから買ってきて、と連絡があったので、今回もまたオークワに立ち寄って6本入りの桃屋のごはんですよを買ってきた。

お願いした冷蔵庫カードの残時間調べ。

看護士さんは右往左往する。

なぜか。

テレビ兼用の冷蔵庫カードの構造が、理解し難いのである。

テレビの場合は、◎時◎分表示であるが、冷蔵庫の場合は、◎日◎時間表示。

表示がまったく異なる方式。

看護士さんは、毎日に病室へ入って点検している、と云われるが・・。

24日、介護士のHさんがきちんと調べてくださった冷蔵庫カード。

残は6日間もあり、テーブルに置いてあった利用済みカードは3枚。

いずれも少々残っているので、機械清算されたらお小遣いになるでしょう、と言われて挿入したらすべてが60円。

合計180円もあった。

見舞いに持参したサンフジリンゴ。蜜がたっぷりだったらしく、美味しい、美味しい、といってペロッと食べたようだ。

義妹のMさんから、朝に電話があった。

明日に予定していた見舞いは、急遽変更に本日25日の午後に来てくれたそうだ。

後追いに出かけたかーさんの見舞い。

その時間帯に小林町に住むSさんとHさんに遭遇したそうだ。

いつもいただく30kgのお米は、とてもおいしかった、と伝えたら稲作はやめた、という。

40歳代のときに旦那を亡くしたSさん。

Hさんら、農耕の先輩に支えてもらって教わった稲作に没頭してきた。

今もこうして仲ようしてもらってます、と云ったSさんは81歳、Hさんは83歳。

これまで何度も小林町の年中行事取材にお世話してくださった。

ちなみに小林町での初取材は、平成22年3月3日に行われた新福寺のオコナイだった。

はじめてお会いした村の人たちがあたたかく迎えてくださったことを覚えている。

26日の見舞いは、小林町の知り合いばかり。

昨日も見舞い遭遇したSさんは、Hさん。同町在住のM夫妻にも出会った。

28日、午後2時から車椅子に乗せてもらってレントゲン撮影していたおふくろ。

以前の容体と同じであれば、3ヶ月間。

リハビリ運動も、階段歩きに、院外の屋外歩行もしていた。

今回の圧迫骨折の容体はではまだまだ。

入浴時も椅子に座ってやし、感染症予防に4階リハビリ室も閉鎖継続に相成った状況に、今回の入院は長引くな、と思った。

かーさんにかかった電話は、大阪・住之江のAさん。

自治会会費の集金に班長さんが来られて、いつも不在に、集金ができなくてと、現班長さんが困っている、と・・・。

そういえば、Aさんに、伝えること、すっかり失念しており、まことに申し訳ございません、と電話口を通じて平謝りしたそうだ。

29日、インフルエンザ感染が下火傾向になった。

面会は緩和され、本日からは患者家族は病室見舞いが可能になった。

午後2時前に来られた奈良市派遣の介護再認定調査員はWさんだった、とおふくろが云った。

昨日、私が自宅に戻ったころ。

安静加療しているベッドに主治医のN医師が来られ、レントゲンの結果は特に問題なし、と伝えられたそうだ。

朝は、Aリハビリ療法士から歩行器なしで歩いてみよか、と云われて廊下を杖なしで歩いた。

独走でなく、後ろからいつ倒れても、介護に対応できる程度に、両手ですぐ支えられるように、見てくれていたらヨロヨロして不安定だと云われたそうだ。

夜中に便通もよおし。トイレ行きは6回にもなった。

軟便状態に、一部の薬はやめたそうだ。

横になって寝ているとき。

腰痛ですからと、Aリハビリ療法士のマッサージ。

少しは痛みもマシになったけど、左がなんとなく痛いなぁと感じるようだ。

介護支援専門員のIさんと話す機会が、たまたまあり。

今日の調査機会にリハビリ運動は、階段訓練をお願いしたら計画しますと。

そうしてほしいリハビリ改善。

帰りしなに、おふくろが・・おいしいお豆さんがちょっとほしい。

30日のおふくろは、今日も腰が痛いと、かーさんに訴えていた。

思い出したのは夜中に6回もトイレ行き。

軟便にお尻を拭くのに前かがみ。

手で突っ張っていたという。それが原因です、とAリハビリ療法士に伝えたら、なるほどと、それなりのマッサージをするようだ。

昨日の患者家族は病室まで行くことができたが、今日はまた元の状態に。

面談は、これまで通りの場の休憩コーナーに・・。

(R2. 1. 8、 9、19 SB805SH撮影)

二度目の圧迫骨折に再び入院

2021年10月22日 09時37分59秒 | むびょうそくさい(おかん編)
年末に連絡していた、と受付に伝えた正月明け早々、4日の診察。

これまで何度もお世話になっている田北病院行き。

大晦日から正月三日間は我が家で過ごしていたが、痛み箇所はぐるぐる回っている、というおふくろ。

前回、と同じ症状に、今度も圧迫骨折に違いない。

今日までの3日間は、どう痛かったのか・・。

孫のK夫妻が、東京に帰った元日。

夜に着いた、と連絡があった。

その通信に安心したのか、急に痛い、と云いだした。

痛みのある個所は右足臀部。

そこに貼った湿布薬剤。

しばらくは効き目があったが、就寝中に痛みを訴えた。

察知したかーさんが対応した腰に湿布。

さらに、服用した痛み止めの薬。

処置した時間は、午前4時半。

痛み止めは効いたようだ。

正月2日、朝7時半になっても痛かった、と訴える。

痛くて、痛くて、起床の立ち上がりが難しい。

少しずつ体制を整えるも、身体を動かすたびに酷く痛む腰痛。

なんとか椅子に座って少しマシになったその間にトイレ行き。

立ち上がれば、なぜか痛みはなく、廊下をさくさく動く。

また、用を足した便器から立つときも問題なく・・・。

座椅子に戻って、もう一度の痛み止め。

その後に摂った午前9時の朝食はパクパク食い尽くすほど、薬が効いている。

担当する主治医は、前回医師に代わったN医師。

レントゲン検査に、東芝製の1.5ステラシステム機器で検査するMRIも。

過去に圧迫骨折を発症したことを考えて、レントゲン検査の結果を待たずにMRI検査である。



家族は、終わるまで待機。

その間に出会った待合室に座っていた男性。

平成27年9月のイモ名月以来、久しぶりに出会った丹後庄町のYさん。

長話のできない肩痛みの患者として並んでいる、という。

10時に着替え。

そしてレントゲン撮影、MRI検査に不都合な一部入れ歯を外す。

二つの検査を終えたおふくろ。

検査台からの起き上がりに痛い、痛いを連発する。

その結果を診た医師の診察は、正午前の午前11時分から。

腰骨下から三段目の骨の下半分が圧迫骨折の診断結果。

先にとるべき対応は、前回の入院同様にコルセットの採寸がある。

そして入院手配であるが、現状は個室しかなく要相談の入院。

どうされますかの問いに、家族の答えは一つ。

入院、お願いします。

自宅で介護療養しつつ、大部屋の病室が空くまで待つことは考えられない。

看護師、介護士が就く病院の方が安心できるから、たとえ病室代が高い個室ベッドになっても仕方ない。

そうしてください、と伝えてから、空の確保にいろいろ動いてくれたようだ。

結局は、4人部屋の302号に落ち着くことになった。

採寸終えたときの立ち上がりにも痛がるおふくろ。

体形に合わせたコルセットギブスは、3日後の7日にできあがるそうだ。

この時点で丁度の正午時刻。

入院手続きに記載した既往症に介護認定要支援2級。

また入院のための検査がまだある。

胸部レントゲンに採血、検尿、心電図検査は、お昼時間も肥えた午後1時に終わった。

その間に、今日の入院状況を電話で伝えた大阪・ケアマネージャーのFさん。

入院が決まったとなれば、介護サービスは一時的停止しなければならない。

つまり入院は病院看護。

介護している状況から身を離れ、病院側の看護領域に移るから、介護サービスは一時的に停止するのである。

その手配のすべてはケアマネージャーさんがされる。

身体状態の変化(入院)をきっかけに、入院中の状態を調査する再認定調査依頼の手配もある。

その際の家族連絡先は、私の携帯番号を伝えてもらうため同意をとられる。

こういったケアマネージャーさんの実務もあるが、介護契約上、ケアマネージャーさんが所属する事業所でなく、上位の大阪・住之江の地域包括センターのBさんにも連絡しなければならない。

午後1時20分。ストレッチャに乗せられたおふくろ。

ベッド調整に、急遽空けてくださった4人部屋の302号に落ち着いた。

私は、院内コンビニエンスストアで買い、車中での食事

かーさんは、遅めの昼食に、おにぎりを食べていた午後2時過ぎ。

廊下に居た私が気づいた人物。

2年前の入院のときに世話なった急性期治療担当のKリハビリ療法士にばったり再会した。

担当がまだ決まってなければ、逆指名したいものだが・・・。

正式に決まった病名は第3腰椎圧迫骨折。

安静状態の確保に、腰部が捻転しないようにコルセットを固定装着。

離床支援に1ヶ月間の入院加療。

リハビリ歩行訓練は、生活動作改善に向けて訓練、また静脈血栓塞栓庄と肺塞栓庄予防に弾性ストッキングを対応するとあった。

入院申込書保証書の連帯保証人は、急ぎの一部書類を提出し、入院生活に必要な必需品を近くの「パレット」とか、百均用品を購入。

一旦は、自宅に戻って支度整え。

再び病室に戻った時間帯は午後6時になっていた。

おふくろは、排尿漏れにおむつを装着。

食事に看護士コール。

ベッドを起こしてもらって食べたが、ご飯が喉を通りにくい、という。

食事がつかえて痛いと、いうからお茶を飲ませてなんとか流し込んだ。

同部屋患者さんは、親切心からおふくろにアドバイス。

この部屋の室温は温い。

だから乾燥ぎみになるから、ご飯よりもお粥に替えてもらったら、という。

看護士にお願いしたら、おかずも柔らかくしてくれるので、と話してくれたので、早速スタッフステーションに伝えた。

この日は、午前9時20分に病院入り、退出が午後7時。

長い一日だった入院措置。

実弟の三男に、状況を伝えておいた。

(R2. 1. 4 SB805SH撮影)