ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

「こども」20240521(20240310)

2024-05-21 | Weblog

 

 


 子供たちは、我々以上に、表層の生活と深層の生活とを合わせ持っているものだ。
 表層の生活はごく単純だ。なにがしかの規律で片がつく。
 だが、この世に送り出された子供の深層の生活は、
 創られたばかりの世界が奏でる不協和音の調べだ。
 子供は一日また一日と、地上の悲しさ美しさをひとつ残らず、
 その世界に納めていかねばならぬ。それは内なる生命が払う巨大な労苦なのだ。

         (L=F・セリーヌ『ゼンメルヴァイスの生涯と業績』菅谷暁訳)

         *

知らないことを罪(恥)の意識で満たしてはならない
知らないことを「ウィ Oui」のシグナルで迎える
少しだけ多く知をもったオトナが負う務めがある

ことばにすれば一つ
どんなかたちでもいい

ヴェイユが〝聖〟を帯びたものとして語ったもの
だれもがそれを求め糧として生きているもの

le hommage 敬意

未だそれを与えることを知らない存在へ
みずから一番受け取りたいものでもてなす

 

 

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「シモーヌ・ヴェイユ、1909~1943」

2024-05-21 | 参照

 

 


試験は学齢期の青少年にたいして、小銭が出来高払いの労働者に植えつけるのと
おなじ強迫観念を植えつける。自分は小学校教師になれる頭がなかったから
農民でいるという思いを胸に農民が大地をたがやすとき、
社会の組織は深いところで病んでいる。
             (『根をもつこと』1943年/冨原訳)


この痛ましい事態の原因はあきらかだ。
われわれはなにもかもが人間の尺度にあわない世界に生きている。
人間の肉体、人間の精神、現実に人間の生の基本要因を構成する事物、
これら三者のあいだにおぞましい不釣り合いが介在する。いっさいが均衡を欠く。
より原始的な生をいとなむ孤立した小集団ならともかく、
互いを食らいつくすこの不均衡をまぬかれるような、
人間の範疇(カテゴリー)や集団や階級は存在しない。
そして、このような世界で育った若者や育ちつつある若者は、
他の人びと以上に周囲の混沌をおのれの内部に反映する。
             (『自由と社会的抑圧』1934年/冨原訳)

 

 

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