ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

「暴力原理、真善美」20231101

2023-11-01 | 参照

 

 

──竹田青嗣『欲望論』第二巻、538・542


「善」への集合的信憑と意志は、
これをその根源にまで追いつめるならただ一つのもの、
すなわち人間世界における暴力原理と対峙している。

暴力が人間の集合的意志を打ち破って自ら貫徹するとき、
人間社会の「よい-わるい」(善悪)、
「ほんとう-うそ」(真偽)の審級秩序は効力を失い、
ただの空疎な言葉、空しい希望としての理想にすぎなくなる。

戦争の出現は「真善美」の言語ゲームを一挙に無化し、
この秩序に対する人間の信憑を打ち倒す。
ひとたび戦争がはじまるやいなや社会のあらゆる努力は、
勝利することと生き延びることへの合理性へと差し向けられるが、
この合理と効率への努力は真善美の価値とは本質的に背立的である。

戦争が終わり暴力原理が背後に身を退くとき、
再び人間はこの価値の秩序を生活のうちに引き入れようとする。

両者の相関関係は明らかであって、暴力原理の緊張が高まるほど
(またその変奏体である闘争原理の度合いが高まるほど)、
人間的価値の秩序は生活世界から背後へと押しやられる。

芸術の存在理由は一つである。芸術作品が偉大であるのでもないし、
芸術作品に価値が内在しているのでもない。
美と芸術は、われわれの生が単に生命体として
存続する以上の理由によって存在していることの証左である。

人間においては、死への根源的な不安が労働と性(エロス)の
絶対的秩序を社会の基本構造として分節している。
この絶対の秩序によってわれわれの生の本質が疲弊し、
陰鬱となり、枯渇することがないように、美の感受が存在する。

 

 

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