9月15日、畑の残暑は半端ではありません。お昼前だと言うのに、温度計は日陰温度で37℃を指しています。
秋野菜用の畝づくりが遅れています。白菜・ブロッコリー、ラッキョウの播種・定植をしなければなりません。
石灰の鋤込みで土壌の消毒、暫し土壌と馴染む期間をおいて後、元肥(有機肥料:堆肥・鶏糞・油かす)をブレンドして散布鋤込みします。
イワン・アサノヴィッチ「昭和の流行歌」アーカイブス(笑)は、既にポップスのオールデイーズを含めて800曲になりました。一度の農作業で60曲ほど聞き流しますから、この一夏で、もう3往復ぐらい聴き返しています。少し飽きてきましたので、ウオークマンで受信出来るFMラジオを聴いたりすることもあります。
今日は青江三奈(故人)の、「恍惚のブルース」など、いわゆる「タメイキ歌謡」を聴いています。
イワン・アサノヴィッチは、S43年にリリースされた「新宿サタデー・ナイト」が好きです。
その頃のイワン・アサノヴィッチはまだ大学生でした。世の中は安定した高度経済成長期に入り始めていました。東京の新宿も生まれ変わろうとしている時期でした。
歌手の青江三奈は曲の中にハスキーでセクシーな”タメイキ”を入れて、人気を得ながらヒット曲を生んでいました。スパンコールのドレスを好んで着用し、豊満なウエストからヒップにかけてのスパンコールのラインは男心をくすぐられたものでした。
歌謡界は春日八郎・三橋三智也・青木洸一などの”叙情的歌謡曲”時代から脱皮をしようともしていました。経済成長に伴う若い世代の登場と相俟って、ポップス系タッチの旋律や詩の多い曲がリリースされ、ヒットを重ねるようになりました。
イワン・アサノヴィッチ自身も、西部新宿線・高田馬場駅ちかくの「うたごえ喫茶」で友人らと共に唄いながら過ごした時期から離れようとしていた頃です。新宿駅西口の地下ロータリーに「フオークゲリラ」が出没し始めた頃でもありました。
そんな時代的背景を彷彿とさせながら、イワン・アサノヴィッチは青江三奈を聴いて、炎天下の農作業に”いそしむ”というより”耐えしのんで”います。(笑)
♪ キスしたの貴男はわたしの心に ひとりでは居られない女にしたの ♪
「新宿サタデー・ナイト」の一節ですが、畑のイワン・アサノヴィッチの堆肥をまく手は軽やかで気分も上々です。
♪ 若い街の 恋の街の サタデーナイト・サタデーナイト 新宿の夜 ♪
益々、絶頂です。暑さも何のその、気持ちは遙か40年まえに…
青江三奈の”タメイキ”路線とイワン・アサノヴィッチの”青息吐息路線”の真夏日の畑の競演でした。
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