40歳代の男性。
会ったのは2年ぶりになる。
精神的にストレスを受け、体が疲弊してやって来る。
そして、言葉を降ろすと見違えるように元気になって帰っていく。
過去にセッションを受けにきたときはいつもそのパターンだった。
今回の質問を聞いて僕は少し混乱した。
「無性に人恋しくて落ち着かない」
というのだ。
彼が過去に相談してきたストレスも人間関係によるものだったが、人とうまくやっていけないので一緒に居たくないというのが悩みの中心だったはずだ。
人恋しさは異性に向けられているものではない。
その悩みをもう少し具体的に言えば、
「人と話したい。」
「今まで求めてこなかったために話す相手がいない。」
ということになる。
人間として当然の欲求だが、これまでの悩みとは方向が真反対である。
彼の行動の癖に今までと共通するものあり、また新しい指摘もあり、出てくるままに伝えるといつもよりも彼の心に染み込むようだ。
これまでとの最大の違いは、人のせいにするという気持ちがみられないことだ。
「過去に嫌な思いをさせられたことが多いから人への不信感が拭えない」という言葉も聞かれなかった。
どうやら本物だ。
去年は人とのふれあいがない職場が嫌でやめてしまった(!)というから、人を求める気持ちは既に定着しているようである。
何が起きたのかを聞くと
「一年ほど前に腰を痛めて入院した時に、死んだ祖父からの声が聞こえたんですよ。
人と触れ合えと言われたように感じたんです。」
人間、言われたからと言ってすぐにできればこれほど楽なことはない。
わかってはいるんだけど、という反応は普通である。
だがタイミングを得た言葉は心の奥底に響いてその人を変える。
禅の世界でいう「忽然と悟る」というところか。
この場面に既視感があった。
それをたどると前のセッションで
『おじいさん(その時点で既に故人)が少し変わった人で、彼はその影響を受ける。』
と降ろした記憶がほどけて出てきた。
彼の生活が生き生きとしたものに一変するのが見えていながら、何が契機になるのかその時点で分からずにいたが、ヒントは出ていたのだった。
また、見えない世界との接点について長く言葉が降りていて、それが彼の生活の多くを占めるようになることも伝えてあった。
これは現在の状況というより、未来に一致していきそうである。
彼にこれらを覚えていないか尋ねると
「そう言えばそんなことを言われましたね。」
という曖昧さ。
言葉を降ろした時には全く現実感がなかった事態が、2年を経て動き始めている。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます