先に調べた段階では、登山口付近に駐車場もなかった。
約2キロ離れた駐車場に停めて歩いたが、いよいよ山道という地点に至るまでに、なんとか停められる場所はいくつかあった。
この日のように時間があって急がされる状況でなければ、そこはそれほど気にする要素ではなかった。
沢伝いに上がるルートを選んだ。
相当歩きにくい道だろうと覚悟はしていたが、それどころではなく、実物はけもの道ですらなかった。
沢を渡ってはまた渡って戻りを繰り返すルートだったのだが、沢までを登り降りするにも、両岸ともに数メートルの高低差があるので、場所によってはかなりの苦労を強いられる。
アプリの地図と自分の位置情報を重ね合わせることには期待通り成功していたけれど、地図通りに歩くのは至難、ときに不可能だった。
少しこちらの方が歩きやすそうだと引っぱられる方向に進むと、アプリ上に赤で引かれた記録者の通ったルートからどんどん離れて行く。
足元から目の前まで状況の悪い場所を歩きながら、右手のiPhoneは手放せなかった。
倒木をまたぎ、またくぐりながら進む。
細くても根を張っている生きた木に手をかければ身体を支えてくれるが、間違って朽ちた木に体重を預けると一気に転落の危険がある。
注意が途切れた一瞬に右手で握った木が折れて目の前の木の幹に顔を打ちつけそうになり、すんでのところで左腕が前に出て助かった。
iPhoneをたまたまポケットに入れていたときだったので、なんとか難を逃れたのだ。
標識のある地点に到達すると、そこから頂上までは苦労ない尾根道が開かれていた。
頂上からは、僕が地図アプリの記載にこだわってしまったため、磐座までの道を一時失ってしまったが、落ち着いて方向を見定めるとすぐに見つかった。
場に入る直前にそこが明るく感じられたのは、他では頭上を覆っていた樹木がその一帯にだけは全くなく、陽の光が差し込んでいたからかもしれない。
あるいは、頂上に続くなだらかな尾根道に出たときや、そこから頂上へまっすぐ最後の登りとなる地点、また頂上から南の斜面へ入る地点でと、数回にわたって空気感が変化したのを肌で捉えたように、磐座が場のエネルギーを強く放射していたのを身体が輝きとして感じたのかもしれない。
明るさは神々しさでもあった。
耳の少し上に頭を一周、締め付けるような重みが現れた。
周囲とエネルギーが違うのに適応するのに少し時間を要したのだった。
世の中の、あるタイプのエネルギーの終焉がここで伝えられた。
さっきまではなかったカラスの声が複数聞こえる。
鴨氏の象徴が祈りに応えてくれている。