堂々とした拝殿だった。
天和2年(1682)に、相模川のほとりにあった社殿が現在地に上げられたそうだ。
ダム湖の相模湖はその頃もちろん存在しておらず、川の流れがあっただけだ。
さて、こちらの祭神は
『逃げるやつを必ず討つ。立派に仕留める。』
となんとも血気にはやっている。
「いやいや、そんなことまでしなくていいので。」
と僕の方が尻込みしてしまう。
由緒書きにある霊験には、「殊に武運、勝運、開運の守護」とある。
また、「身体安穏虫封じ」で「よせのごんげんさま」として有名らしい。
確かにその通りの性格を持つ勇ましい存在のようだ。
帰りは墓地の中をお邪魔せずに、参道を湖が見えるところまで向かう。
落ち着いてこの参道から参拝すべきだった。
寺にも足を向けてみる。
金峰山慈眼寺という。
由緒書きには
<天正年間頼源阿舎利の創立によるもので明治維新に至るまで蔵王権現の別当寺であった。明治5年神仏分祠の国令により唯仏寺となり現在に至っている。
特に開山以来先師の労苦の遺業による虫加持祈祷の名声は関東一円に及んでいる。>
とある。
つまり、與瀬神社と一体だったわけだ。
「よせのごんげんさま」とは蔵王権現のことだった。
慈眼寺の山号の「金峰山」からも判断できることであった。