鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

母の歩いた散歩道~気違いじみた心配性

2022-04-19 21:05:03 | Weblog

朝方は、くもっていたけれど、日中は晴れ間も。

山桜も散り始めて、地面は、はなびらが一杯。

 

母は、亡くなる1年くらい前迄は、ひとりで、外出できていて、脊柱管狭窄症で、脚に痺れなどが出ていても、歩行を欠かさなかった。

母が、外出すると、ちょっとほっとしたりした。

暫くは、用事を言いつけられることも無くて、ゆっくり眠ったりできたから・・・。

でも、そんなことも、3時間も過ぎれば、今度は、外出先で、なにかあったのかも・・・という不安に変わった。

 

近所のドラッグストアの常連で、自転車で行って、転んで、パトカーに送られて帰ってきたこともあったりした(ソレ以来、母は、自転車には、乗らなくなったけれど、ソレまでは、1年に2回?くらいは、転んで、怪我をしたりしていたし、一度、車にぶつかったこともあった)。

母が外出して、数時間経つと、私は、ベランダから、母の戻りを待っていた。

 

(↓自宅への入り口に至る木立の路。ベランダから、この道を歩いて戻る母の姿をみつけるとほっとしたものでした)

 

夕方になっても戻ってこないと、不安は、心配を通り越して、絶対、事故にあったんだ!

もうすぐ電話がかかって来る!!!

そんな恐怖に、脅えていた・・・(幸いにも、そんな恐怖は、現実にはならなったけれど)。

心配だから、車で送るよ・・・と言っても、毎回、そういう訳にも行かない。

 

家に居れば、面倒だし、出かけてしまうと心配だし。

母って、一体何だったんだろう???

 

ベランダから母の姿を確認できたとき・・・或いは、玄関の戸の開く音を聞いたとき。

私は、本当に安心して、やっとほっとして、

『遅いから心配したよ。』

って声をかけたけれど、耳の殆ど聞こえない母には、届かなかったことだろう。

 

そして、今度は、母が眠った深夜。

呼吸が止まっていないかどうか、毎晩、確認していた。

 

私は、キチガイの心配性だったんだ。

今も、別の心配で、いつもいつも、心配のタネを探して歩いていて、本当に、キチガイになってしまった。

 


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