鼎子堂(Teishi-Do)

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自然淘汰~社会的な淘汰とは何かを考える・・・?

2011-09-20 22:45:49 | Weblog
肌寒いのに、一寸動くと蒸し暑く、そして、夜は、めっきり冷え込んでいる・・・。


外的環境に適さない者は、生存することが難しい。
従って、外的環境に適さないものは、自然に淘汰されていく。

・・・自然というから、やはり、そうならざるを得ない・・・誰もが納得していることだと思う。

今年の震災を考えると、私自身が、津波で全てを流されて、何もかも失うという立場であったら、たぶん、今頃、生存していないのではないか・・・と思う。
体力・気力ともに、生存能力に欠けているから・・・と思うからだ。
いま、被災地で、生活を立て直していらっしゃる方は、とても強い心の方々ばかりだと思う。それが、人間に与えられた強い生存本能だと思う。
それを応援する意味でも、被災者された方々には、生活保護費の増額で、支給して差し上げたらよいのではないかと思う。

その逆で、国家や行政に甘え、『生活保護』という最低のライフラインに掴って、生活している方々もいらっしゃる・・。
働きたいのに、就職先がない・・・(働けるのに、働いていない)というのが理由のようだ。
国家の負債が、個人の国民ひとりあたり、1千万円近い国家において、労働できるにも関わらず、労働せず、国家から、『生活保護』の名目で、生活費を支給されておられる方々だ。
ケースワーカーの職員さんは、限りなく優しいようで、強く意見すると引きこもりになって、社会との繋がりを断ってしまう・・・ということらしい。

・・・さて、国家が存続するかぎり、『生活保護』なる給付金は、支給されるのだろうか?
そんなこともないだろう。財源は、有限である。
カネが無くなれば、まっさきに、切り捨てられるのは、こういうひとたちだからだ。
弱者切り捨てと非難されるだろうか?
しかし、いかに、国家だろうと、無い袖は、ふれない。ない財源は、捻出できない・・・。

そのことを忘れてはいけない。
生存に適さないものは、自然淘汰される・・・。

自分の身は、自分で養い、国家にたよらぬ方法で、各人が、自立していかないかぎり、今のところ、安全な道は、ない・・・(たぶん・・・年金も・・・アテにはできないのだろうし・・・)。
各人が自立していれば、国家が、何らかの理由で、破綻したときに、自然淘汰からも、免れることができるのではないだろうか?

しかし・・・今、『社会的淘汰』に一番近いのは、この『ワタシ』自身かもしれない・・・?

人間・・・働いて、ナンボである。


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