今年に入ってからなんだかんだでこのシリーズの回数ががくんと減っています。
これからは10日ごとの9のつく日というのは無理かなぁ。
ときどきなんとなく9のつく日って感じでしょうか。
面白い本にあたるとがんがん読むのだけれどねー、
そうともいえない本の場合、どうも読み続ける根気というか読書筋というか体力不足がひしひしと。
映画のようにむこうで勝手に進んでいってくれないものねー、読書って。
音楽も聞き流すことはできるけど、本は読み飛ばすことはできても読むという根っこは自分だ。
いやそんなこと考えている場合ではなくて、やらなくちゃね(笑)。
ではいつものようにここしばらくの間に読んだ本の17ページの6行目をアタマから書き写し、
あとは紹介にも感想にもならい雑文です。
老後の資金がありません/柿谷美雨
子供たちが小さかったときには、自由な時間が一時間でいいから欲しかった。子供たちの成長と
老後の資金、暗雲よね、心配よね、何が起こるかわからないから。
タイトルだけで借りてきたら。
娘の派手婚、舅の葬儀と新しい墓所、これで老後のために貯めていた資金が激減してしまう。
ここまではわかる、だれにでも起こりえる範囲のことだと思う。
そのあとがてんこ盛りで、姑の高級老人マンションの生活費、よりによって夫婦揃ってリストラ、
新婚の娘のDV&洗脳疑惑、友人の不倫、年金詐欺と、
小説に何を求めるかによって答えは違ってくるのだろうけれど、
どうも私はありえない話(ジャンルによって違う)というか日常の生活を描いておきながらそこまで満腹になるまでいろいろ書き並べる必要ありかと引いてしまうのは損な読み方なのかなぁ。
極夜行前/角幡唯介
に到着したが、旅がそこで終わったわけではなかった。五月半ばにこの集落を再出発し、今度
逆に現実以外のなにものでもない角幡さんの「極夜行」の準備編「極夜行前」。
たまごが先かにわとりが先かという言葉が浮かんできたのだけれど、
「極夜行」を読んでから「極夜行前」を読むのと、
「極夜行前」を読んでから「極夜行」を読むのと、これはどちらからでも読めるというかループ化しそう。
どうしてそこまでするのか、しなければならないのかということは個人の問題として、
角幡さんの書く文はなんというのか、私が普段から抱えているもやもやしていることがらを、
うまいことピントぴったり言葉であらわしてくれていて、
こうすとんと説明ができるのは角幡さんと村上春樹さんか。
極地を旅したことを本に書き、その売り上げで探検の借金返済にあてる。
アムンセンと同じ。私としては珍しく図書館本ではなく2冊購入して貢献したつもり。
次の極地本期待してまっています。
ウーマン・イン・ザ・ウィンドウ 上/A・J・フィン 池田真紀子訳
空行
ウーマン・イン・ザ・ウィンドウ 下/A・J・フィン 池田真紀子訳
ルディングの低くしわがれた声。
いやぁ、これは面白かった。上巻の後半で動き始めてからはほぼ一気読み。
サイコスリラーというか、あまり読んだことのないパターンの本でした。
ネタばれになるからあまり書けませんが、
広場恐怖症のアナはハーレムの高級タウンハウスの窓から覗き見を趣味としているのだけれど、
そこで人が刺されるのを見てしまう。
だけどアルコール依存、薬物過剰摂取の彼女のいうことをだれも信じてくれない。
三分の一だけは当たっていた(笑)。
読みおえ落ち着いて考えてみると、このアナっていったいと疑問符が浮かんでくる。
傷ついた女性なのかとんでもないことをしでかした女性なのか、彼女に救いはあるのか。
イヤミスではないけれど、面白かったはずなのに後味悪いかな。
ずぼらヨガ/崎田ミナ
何年も何年もヨガを習ってみたいと思っております。
ストレッチにバランス、普段絶対しないような体勢。おもしろそうで。
だけど、どうもスピリチュアル的な面が苦手というか、
瞑想しましょうとか大地のパワーを感じましょうとかになると走って逃げ出してしまいそうだ。
スポーツとしてのヨガならやってみたいけれど、スピリチュアルがからむといやだ。
それさえなければと思うのだけれど、すべてのヨガスクールがそうだと限らないのかもしれないが、
割り切って集団に紛れ込むことができればもっと違う世界がまっているのかもしれないけれど。
そうやってどんどん婆になってしまうんだな。
以上、久しぶりの261回でした。