毎日が夏休み

LEAVES THAT ARE GREEN TURN TO BROWN

17ページ 6行目 206

2017-06-19 23:24:24 | 本 3

 

最近ヨガをはじめてみようかなんて考えることがあり、

検索し教室をさがしてみたりするものの、

若い美しい娘さんばかり集まるところにはいきたくないし、

時間帯や料金というものもあるし、

そもそもヨガの瞑想とか大地のパワーを云々とか、そういうのは苦手なほうで、

じゃあどうすればいいんだ、う~ん、困ったなと。

3日おきくらいのサイクルでう~んう~ん言っています(笑)。

 

では、いつものようにこの10日間に読み終えた本の17ページの6行目をアタマから書き写し、

あとは感想にも紹介にもならない雑文です。

 

 

 

 

 

 常備菜/飛田和緒

 

② 湯でうどん1玉を加えて温め、

 

 

いきなりですが、ゆで塩豚うどんレシピのページでした。

飛田さんの料理文庫本「1DKクッキン」「2DKクッキン」には大変大変お世話になったけれど、

この本ではまだ「こんにゃくの味噌煮」しか作っていない。

 

 

 

 

 爪と目/藤野可織

することもなかった。それがあなたの恋愛だった。

 

前回出の穂村弘さんの対談集に登場していて、その対談のなかで、

藤野さんは外に出るのが怖い、1週間お風呂に入らずデートの約束を断った、それでいて美女、

いったいどんなこと書いて芥川賞、純ホラー、読んでみようと図書館から借りてきたのですが、

いやぁ、わけわかりませんでした。わからん。わかんない。1冊まるごと3話わかりませんでした。

 

 

 

 

 

  異類婚姻譚/本谷有希子

 

6行目調べ忘れ。そのまま返却してしまいました。

 

 

 

 

 嵐のピクニック/本谷有希子

ツキは運命的に出会った旦那に借金と隠し子が発覚して、なんであんなやつを好きに

 

 

 

 

 

 ぬるい毒/本谷有希子

「気づいてないだけじゃないですか。女はみんな熊田さんのこと、嫌いだと思いま

 

 

 

 

同じく穂村さんの対談集を読み、ちょっと気になり読んでみたのですが、

これがヒットで本谷さん連続3冊読んでしまった。

前に「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」は読んだけれどそれっきりで、

なんというか「ぬるい毒」にも共通しているのだけれど負のベクトル、登場人物が抱えている憎悪パワー、

それがなんともしんどいのだけれど、

「異類婚姻譚」と「嵐のピクニック」に登場する憎悪の消化酵素というか落としどころのツボ、

面白いというより読んでいて楽しくて、

楽しい、こういう感覚ありなのかなと、あとで解説を読んでみたら、

あの大江健三郎氏も「楽しんで読んだ」と書いていらっしゃる。ありでOKなんだ。

この2冊(異類婚姻譚と嵐のピクニック)はときどき手に取り読み返したくなること間違いない。

にしても奇妙な話の連続で、まさかのヤマシャクヤク登場にたまげてしまい、

来年の6月はヤマシャクを見ると必ず「あっ」と、今年とは一味違う味わいの花に見えることでしょう。

いやぁ、藁の夫といい、いいわ。

この2冊はなんとも奇妙な世界に連れて行ってくれます。

あ、でもね、どこかで聞いたことがあるような、読んだことがあるような、それもちょっと気になった。

たとえば藁の夫は川上弘美さんの人形(ヒトガタ)の話とか。伏とか。殺したい女とか。

 

 

 

 

 

 

  南極点/ローアル・アムンセン 中田修訳

○年間━砕け去った部分は別として━同じ場所に存続

 

 

 

昨日6月18日(前後)はアムンセンが亡くなった日でした。

1928年、飛行船イタリア号で北極に向かったノビレ(本当疫病神だ)が遭難、その捜索に向かう途中行方不明となり、

機体の一部はみつかったもののアムンセン他乗組員は発見されず。ノビレは生還。

準備不足を一番嫌う人がそれを覚悟の上救助に向かうなんて。

北極を愛した人の死に場所はやはり北極で氷が墓標になるとは。

やっとアムンセンの書いた「南極点」を読み終えました。

スコットの日記のすべてを読んでいるわけではないですが、

アムンセンの徹底した準備と調査と下調べ、仲間への信頼、決して冒険はしない、運にまかせない、

成功の裏にはこのような理由があるんだと、その周到さには脱帽です。

そしてなによりアムンセンがとても明るい。探検の楽しさが伝わってきます。

ユア号もときも感じたけれど、アムンセンはツンデレタイプでしょか。

 

 

準備が足りないところに必ず失敗がある。人はこれを「不運」と呼ぶ。

完全な準備があるところに常に勝利がある。人はこれを「幸運」と呼ぶ。


アムンセンの有名な言葉で、これはスコットとのことをそれとなく書いているのかと思っていたのですが間違いでした。

「南極点」にこの有名なフレーズが載っていて、

この本を執筆&出版された時アムンセンはまだスコット極点隊全滅は知っていないんですね。

現代のように電信技術が発達しておらず同じ感覚で物事を見てしまいがちですが、

1911年12月14日アムンセン南極点到達。

1912年「南極点」出版。

一方スコット隊は、

1912年1月17日スコット隊南極点到達。

同年3月29日スコット最後の日記。

同年11月捜索隊テント発見。

1913年1月テラ・ノバ号来航、帰国の途につく。

同年2月ニュージーランド南東の港オアマルでセントラル・ニュース社へ電報を送る。

アムンセンがスコット隊全滅を知ったときにはすでにこの本は世に出ていたわけです。

 

さらにこの有名な言葉のあとも載っています。

続きはこうです。

というか、上のはかなり略してあるようなのでここにもう一度この本からの抜粋し載せます。

 

 

探検のためにどういう装備をするか━あらゆる困難を予知し、それに立ち向かい、

あるいはそれを避けるためにどういう手段を取るか、にもかかっている。

あらゆる用意を整えた者を勝利の女神が待ち受けているのだ━それを人は幸運と呼ぶ。

あらかじめ必要な対策を講じなかった者には敗北は必至だ━それが不運と呼ばれる。

しかし、どうか私がこれを自分の墓碑銘にしたがっていると考えないでもらいたい。

そうではなく、名誉はそれに値する者が、私の忠実な僚友諸君が、受けるべきだということで、

彼らこそ忍耐と不屈と経験によってわれわれの装備をこれ以上は不可能の域にまで完成させ、

それによって勝利を可能にしたのだった。        「南極点」より抜粋

 


 隊員全員への賛辞だったんですね。

アムンセンの書いたユア号航海記でも自伝でも隊員友人協力者たちに深い感謝を書き記しています。

語らせれば一晩では足りないほど「アムンセンのここがすごい」は山ほどあるし、

同じ中田修さん訳のスコット全日記も入手したい。

 

スコットもアムンセンもシャクルトンもみな極地で眠っています。

畳の上(畳じゃないけれど)ではないんですね。シャクルトンが一番畳っぽいか。

 

以上、いつまでもアムンセンやスコットをシャクルトンを語りたい206回目でした。