たにしのアブク 風綴り

86歳・たにしの爺。独り徘徊と追慕の日々は永い。

紫陽花の町・多古の道の駅と日本寺を訪ねる

2014-07-06 15:26:47 | 社会見学

公民館サークルの縁で、成田空港の東側奥に位置する多古町に行ってきました。
ブランド米「多古米こしひかり」で知る人ぞ知る自然豊かな農山間地です。
ここには何年か前にも成田空港、航空博物館、道の駅・アジサイ館の繋がりで来ています。
今回は日蓮宗の名刹・日本寺(にちほんじ)で管主さんの法話を伺えるという事で参加しました。



成田スカイアクセスで空港第2ターミナル駅、改札を出ると身分証明のチェックがありました。
集団自衛権行使の憲法解釈変更が閣議決定され、
「日本が戦争に巻き込まれる国になった」との議論もありますが、
テロがあれば日本とて、いつでも戦場になる。日常が戦場になる危険はあるのです。
集団自衛権以上に、出入国の厳重チェックは怠ってはならない。




バスターミナルから「多古・道の駅あじさい館」行きのシャトルバスに乗って、
空港敷地内を通過して、青田の中を走り多古役場前など通り20分強で到着です。300円。
町を南北に流れる「栗山川」辺りの両岸にはアジサイの道が続き毎年、
紫陽花祭りが開かれています。




道の駅からは、多古米の育っている水田地帯の一本道を歩きます。
青田を渡って来る風が清清しく心地よい。20数分で森閑とした森の中の日本寺境内に入りました。
紫陽花散策路を歩き山門に入ると一直線に本道までの参道が続いています。




日本寺も「あじさい寺」として知られ、
ちょうど紫陽花祭りの行われる前日ということで、手入れの最中でした。
今年は花の色がイマイチということでしたが、800種を超す株が花をつけて咲き誇っていました。




日本寺は元応元年(1319年)12月1日に開基された名刹です。
案内書によると、日蓮聖人最大の理解者であった、富木日常上人を開基とするお寺で、
仏教史上有名な日蓮宗の壇林(お坊さんの学校)で中村檀林として、
慶長4年(1599年)から明治8年(1875年)の廃檀まで、
ときには500人を越える学僧がここで討論学習をしたといわれ、
270余年間隆盛を極めた壇林だったということです。
寺にはその様子を再現した「講堂」の図が残っていて、拝見することが出来ました。





「開祖の富木日常上人は豪族・千葉氏の要職にあって、日蓮聖人の理解・保護者として、
生涯をバックアップした方で、とくに紙筆を提供して教えの執筆を助けました。
聖人が教えを説いた教典の収集・保全に尽力し、
現在の千葉県市川市にある中山法華経寺を開き聖典納め、現在も保存されています。
これは富木日常上人の最大の功績です」など、
京都から勤めに訪れていた341世の管主さん、清瀬常童老師の法話を伺いました。
中山競馬場の近くにある中山法華経寺の意義を改めて知ることが出来ました。




山門の扁額「正東山」は本阿弥光悦の真筆といわれ、日本三額の一つに挙げられているそうです。
紫陽花の道を通って山門を辞しました。