たにしのアブク 風綴り

86歳・たにしの爺。独り徘徊と追慕の日々は永い。

初冬の海「君ヶ浜」海岸を逍遥し徘徊して来ました

2020-12-07 17:04:58 | 国内旅行

道野辺の「枯れ葉」道の徘徊が日課の「たにしの爺」
超久しぶりに海辺を歩いてきました。



日ごろは「かさ、こそ」と枯れ葉の転がる音とか、
「ひゅー」と枯れ枝に鳴る風の音とか、
「かー、かー」と騒々しいカラスの声とか、
山里の音に連れられて徘徊しています。



この度は「ざざーん、ざわざわ」と海鳴りの浜を、
夕陽を浴びながら徘徊しました。
「海岸歩き」を「徘徊」と言ったのでは、詩情になりませんね。



有名な「浜辺の歌」(林古渓作詞・成田為三作曲)では、

♪♪あした浜辺を さまよえば
昔のことぞ 忍ばるる
風の音よ 雲のさまよ
寄する波も 貝の色も♪♪



「さまよえば…」とは、まさに「彷徨う」徘徊ではないか??
朝から「うろうろ、ぶらぶら」しながら、
「昔のことを忍ばれる」これまさに「妄想」ではないか??



自称ロマンチストの「たにしの爺」です。
文章はリリシズムの情景を映すものでなければなりません。
「浜辺の歌」2番、3番まで読めば、
永遠の「恋の詩」だと分かりました。



♪♪ゆうべ浜辺を もとおれば
昔の人ぞ 忍ばるる
寄する波よ 返す波よ
月の色も 星の影も

♪♪はやちたちまち波を吹き、
赤裳のすそぞ ぬれもせじ
やみし我は すべていえて
浜辺の真砂 まなご いまは♪♪



夕方にも浜辺を歩けば、元彼が思い出される。
大きな波が来て、私の足元に寄せてきた。
病も癒えた私は、あなたを忍んで日毎に、
波に揺らぐ砂のように「さまよう」のでしょう。



「さまよう」を「徘徊」するとしては詩になりません。
よって、今回の一連の写真集は、
「たにしの爺」の海岸散策「君ヶ浜逍遥の詩」とします。



「君ヶ浜」とは、千葉県銚子の突端、犬吠埼に至る、
約1キロの海岸線で豪快な太平洋を眺望できる砂浜海岸です。
犬吠埼灯台へ続く海岸です。



前回アップした「テトラポット」の写真は、
銚子漁港の海岸に集積されていた光景です。
その巨大さと数列に圧倒されました。



里山の散策・徘徊が日常の「たにしの爺」です。
海辺、海岸歩きは、まさに「非日常」の出来事でした。
写真詩集、ずっと居たい世界ーー
「(ひとり)ボッチ海岸」逍遥の詩でした。