令和4年6月10日 「夕暮れに夜明けの歌を」
文学を探しにロシアに行く-奈倉有里さん著。
文豪レフ・トルストイの国で出会ったリアル。
大活字で過去の小説集を「読歴徘徊」している「たにしの爺」
久しぶりに最新刊の「小さい字」の本を2週間かけて読んだ。
「読んだら、何か書いてみる」のが84歳の「ボケ防止」です。
それで、1週間かけて迷文?で「読書感想文」を書いてみた。
なぜ、この本を読む気になったのかというと、
NHKR1で毎週金曜の夜9時5分から放送している、
高橋源一郎センセイがやっている「飛ぶ教室」という、
「読書会」みたいな番組を聴いたからです。
4月22日に取り上げられた本が「夕暮れに夜明けの歌を」でした。
高橋センセイが「グスン」と鼻をすすりながら読んだ箇所がありました。
礒野佑子アシスタントアナが「涙声でしたね」と応えました。
で、課題の『夕暮れに夜明けの歌を』の本は、
いつもの道野辺徘徊の途中に立ち寄る公民館、
併設市図書館の分室で取り寄せていただいた。
2週間ほど経って手に取ることができました。
県内でしたが、かなり離れた市立図書館の蔵書印がありました。
私が最初の読者のような、誰もめくったことがない感じでした。
担当司書さん、お手数をおかけしました。取り寄せありがとう。
肝心の本のレビュー(?)に入る前に、
ぐだぐだ前書きが長くなってしまった。
とてつもなく中身の濃い、自伝エッセー小説とも言うべきか。
「言語の憂愁」に満ちたロシア文学研究者の留学記録でした。
作者の奈倉有里さんは20歳の冬、
マイナス26度のロシア・ペテルブルグ空港にに辿り着いた。
ペテルブルグ大学の語学学校に通う寮生活が始まった。
寮で同室になったぺテルブルグ大学のユーリャが、
ロシアでの最初の友だちになった。
彼女から「言語」を通じてさまざまな、
ロシアでの考え方や暮らし方を学んでゆくのでした。
学校と図書館通いでロシア語漬けの生活を続ける。
奈倉さんはロシアで学究生活を通じて、
大学で、教室で、出合う先生、寮生活で、
さまざまな体験を通じてロシアを体感します。
とくに二人の先生には多大な深い影響を受け、
学究生活の礎になるのでした。
最初の語学学校では、
エレーナ先生の「文学精読」授業が好きになり夢中になってゆく、
個人授業を受ける幸運にも恵まれ、
文学の喜びを知る「言葉の魔法」をかけられてしまう。
エレーナ先生が個人授業中に、
「窓の外には雪が降って、鳥がとまっていたことも、
あなたは絶対に忘れないわ」の一言が、永遠に忘れられない瞬間になった。
エレーナ先生と読んだアレクサンドル・ブロークの詩が、
作者のロシア文学研究の「道しるべ」になった。
僕は喜びに 向かっていた
道は夕闇の露を 赤く照らし
心のなか 息を呑み 歌っていた
遠い声が 夜明けの歌を……
心は燃え 声は歌った
夕暮れに 夜明けの音を響かせながら……
本書の表題になっている詩です。
進路の相談で、エレーナ先生から薦められたのが、
モスクワの「ロシア国立ゴーリキー文学大学」だった。
モスクワでの大学と研究生活は文字通り、
ロシア文学、詩韻に没頭する日常になった。
「日本からきて勉強しかしない子」という評価が大学中に知れわたる。
ソ連邦崩壊後のロシアを…、
中央集権の強権国家の深い闇を…、
「言語をもって」「身をもって」「知をもって」知ることになります。
ウクライナの今日的状況はすでに内在していた。
文学大学での講義に魅せられていく中で、
もう一人の先生、とんでもない先生に出会う。
アレクセイ・アントーノフ先生です。
「酔いどれ先生の文学研究入門」の章です。
先生は寮に住んでいて、大学構内でしょちゅう酒を飲んで酩酊している。
ところが授業になると顔貌が変わり、別人になる。
講義内容の深さはもちろん、
「先生が話をはじめると、すうーっと教壇に気配を吸いとられるように透明になる。
まるで劇場の幕があがる瞬間だった。
魅了される観客と化した学生は、息を呑んで前を見つめる」
作者は講義をすべてノートに残すべく必死にノートを取る。
「すべての瞬間を心に留めよう」
アントーノフ先生の出会いが、
「ロシア文学研究」の指針になるのだった。
そして先生への想いが、最終章「大切な内緒話」で吐露される。
アントノーフ先生の「批評史」で学んだ研究レポート提出した。
先生は、ほかの生徒には普通にレポートを返してくれたが、
奈倉さんは別の日に呼び出され、
二人だけの教室に入り、先生は鍵を掛けてしまった。
レポートについてまるで、研究者同士のように、
検証と評価を時を忘れて述べるのでした。うれしかった。
先生は不意に、泣きそうな声で「あなたはすぐに発ってしまうんですか」と訊いた。
なんだ。これはいったい、なにが起こっているんだ。
急に胸が苦しくなる。私たちはずいぶんそのまま黙っていた。
「あなたのご活躍を祈っています」とかすれ声で告げて、鍵を開けて外に出してくれた。
「飛ぶ教室」で高橋源一郎センセイが、「グスン」と鼻をすすったのは、
このあたりを読んだときでした。
「聴き逃し」を何回も聴きながら、概要を抜書きしてみました。
高橋センセイ曰く「先生は奈倉さんのこと好きだったと思います。
それでもっと大事なのは、彼女が向かっているものは、
自分が向かっているものでもあったんですね。
それを傷つけることだけは絶対できないと。
教師の愛情っていうのはそういうもんだと思うんです。」
図書館の本には「ブックカバー」が付いていません。
版元のHPでカバーに付けられたのコピーを見ました。
「分断する」言葉ではなく「つなぐ」言葉を求めて。
まさに「文学の役割」を今日的なロシア状況の中で問いかけます。
本書にも記述されていますが、
この時期、トルストイのこの名言を
世界は、改めて肝に銘じることだと思った。
「言葉は偉大だ。なぜなら言葉は人と人をつなぐこともできれば、人と人を分断することもできるからだ。言葉は愛のためにも使え、敵意と憎しみのためにも使えるからだ。人と人を分断するような言葉には注意しなさい」レフ・トルストイ
上記の写真は版元の株式会社イースト・プレスのHPから。
長々とお疲れさんでした。
最後まで読んでくださった来訪者の皆さん、
ありがとう。
「たにしの爺」徘徊綴り方でした。
文学を探しにロシアに行く-奈倉有里さん著。
文豪レフ・トルストイの国で出会ったリアル。
大活字で過去の小説集を「読歴徘徊」している「たにしの爺」
久しぶりに最新刊の「小さい字」の本を2週間かけて読んだ。
「読んだら、何か書いてみる」のが84歳の「ボケ防止」です。
それで、1週間かけて迷文?で「読書感想文」を書いてみた。
なぜ、この本を読む気になったのかというと、
NHKR1で毎週金曜の夜9時5分から放送している、
高橋源一郎センセイがやっている「飛ぶ教室」という、
「読書会」みたいな番組を聴いたからです。
4月22日に取り上げられた本が「夕暮れに夜明けの歌を」でした。
高橋センセイが「グスン」と鼻をすすりながら読んだ箇所がありました。
礒野佑子アシスタントアナが「涙声でしたね」と応えました。
で、課題の『夕暮れに夜明けの歌を』の本は、
いつもの道野辺徘徊の途中に立ち寄る公民館、
併設市図書館の分室で取り寄せていただいた。
2週間ほど経って手に取ることができました。
県内でしたが、かなり離れた市立図書館の蔵書印がありました。
私が最初の読者のような、誰もめくったことがない感じでした。
担当司書さん、お手数をおかけしました。取り寄せありがとう。
肝心の本のレビュー(?)に入る前に、
ぐだぐだ前書きが長くなってしまった。
とてつもなく中身の濃い、自伝エッセー小説とも言うべきか。
「言語の憂愁」に満ちたロシア文学研究者の留学記録でした。
作者の奈倉有里さんは20歳の冬、
マイナス26度のロシア・ペテルブルグ空港にに辿り着いた。
ペテルブルグ大学の語学学校に通う寮生活が始まった。
寮で同室になったぺテルブルグ大学のユーリャが、
ロシアでの最初の友だちになった。
彼女から「言語」を通じてさまざまな、
ロシアでの考え方や暮らし方を学んでゆくのでした。
学校と図書館通いでロシア語漬けの生活を続ける。
奈倉さんはロシアで学究生活を通じて、
大学で、教室で、出合う先生、寮生活で、
さまざまな体験を通じてロシアを体感します。
とくに二人の先生には多大な深い影響を受け、
学究生活の礎になるのでした。
最初の語学学校では、
エレーナ先生の「文学精読」授業が好きになり夢中になってゆく、
個人授業を受ける幸運にも恵まれ、
文学の喜びを知る「言葉の魔法」をかけられてしまう。
エレーナ先生が個人授業中に、
「窓の外には雪が降って、鳥がとまっていたことも、
あなたは絶対に忘れないわ」の一言が、永遠に忘れられない瞬間になった。
エレーナ先生と読んだアレクサンドル・ブロークの詩が、
作者のロシア文学研究の「道しるべ」になった。
僕は喜びに 向かっていた
道は夕闇の露を 赤く照らし
心のなか 息を呑み 歌っていた
遠い声が 夜明けの歌を……
心は燃え 声は歌った
夕暮れに 夜明けの音を響かせながら……
本書の表題になっている詩です。
進路の相談で、エレーナ先生から薦められたのが、
モスクワの「ロシア国立ゴーリキー文学大学」だった。
モスクワでの大学と研究生活は文字通り、
ロシア文学、詩韻に没頭する日常になった。
「日本からきて勉強しかしない子」という評価が大学中に知れわたる。
ソ連邦崩壊後のロシアを…、
中央集権の強権国家の深い闇を…、
「言語をもって」「身をもって」「知をもって」知ることになります。
ウクライナの今日的状況はすでに内在していた。
文学大学での講義に魅せられていく中で、
もう一人の先生、とんでもない先生に出会う。
アレクセイ・アントーノフ先生です。
「酔いどれ先生の文学研究入門」の章です。
先生は寮に住んでいて、大学構内でしょちゅう酒を飲んで酩酊している。
ところが授業になると顔貌が変わり、別人になる。
講義内容の深さはもちろん、
「先生が話をはじめると、すうーっと教壇に気配を吸いとられるように透明になる。
まるで劇場の幕があがる瞬間だった。
魅了される観客と化した学生は、息を呑んで前を見つめる」
作者は講義をすべてノートに残すべく必死にノートを取る。
「すべての瞬間を心に留めよう」
アントーノフ先生の出会いが、
「ロシア文学研究」の指針になるのだった。
そして先生への想いが、最終章「大切な内緒話」で吐露される。
アントノーフ先生の「批評史」で学んだ研究レポート提出した。
先生は、ほかの生徒には普通にレポートを返してくれたが、
奈倉さんは別の日に呼び出され、
二人だけの教室に入り、先生は鍵を掛けてしまった。
レポートについてまるで、研究者同士のように、
検証と評価を時を忘れて述べるのでした。うれしかった。
先生は不意に、泣きそうな声で「あなたはすぐに発ってしまうんですか」と訊いた。
なんだ。これはいったい、なにが起こっているんだ。
急に胸が苦しくなる。私たちはずいぶんそのまま黙っていた。
「あなたのご活躍を祈っています」とかすれ声で告げて、鍵を開けて外に出してくれた。
「飛ぶ教室」で高橋源一郎センセイが、「グスン」と鼻をすすったのは、
このあたりを読んだときでした。
「聴き逃し」を何回も聴きながら、概要を抜書きしてみました。
高橋センセイ曰く「先生は奈倉さんのこと好きだったと思います。
それでもっと大事なのは、彼女が向かっているものは、
自分が向かっているものでもあったんですね。
それを傷つけることだけは絶対できないと。
教師の愛情っていうのはそういうもんだと思うんです。」
図書館の本には「ブックカバー」が付いていません。
版元のHPでカバーに付けられたのコピーを見ました。
「分断する」言葉ではなく「つなぐ」言葉を求めて。
まさに「文学の役割」を今日的なロシア状況の中で問いかけます。
本書にも記述されていますが、
この時期、トルストイのこの名言を
世界は、改めて肝に銘じることだと思った。
「言葉は偉大だ。なぜなら言葉は人と人をつなぐこともできれば、人と人を分断することもできるからだ。言葉は愛のためにも使え、敵意と憎しみのためにも使えるからだ。人と人を分断するような言葉には注意しなさい」レフ・トルストイ
上記の写真は版元の株式会社イースト・プレスのHPから。
長々とお疲れさんでした。
最後まで読んでくださった来訪者の皆さん、
ありがとう。
「たにしの爺」徘徊綴り方でした。