「稚内」「宗谷岬」――小学校で日本地図を学んで以来、何度、何十回、この地名を目にしたり、聞いたりしたしたことでしょう。
「知っている」けれども、「行ったことがない」最果ての地。
「たにしの爺」喜寿を超えて、念願を叶えることになりました。
北海道の日本海側を宗谷岬・稚内から、積丹岬の神威岬まで南下して徘徊してきました。
寄り道した街の記憶を綴ってみます。
羽田発10時30分の稚内行き、ANA571便に乗ります。
久しぶりの国内便です。
保安検査を受けて出発ロビーに入ると何か、
海外空港のような異空間にいる不安感はありませんが、
それでも日常とは非なる空気感になります。
周りは同じ風体の日本人ばかりで、高齢者もいれば、
赤ちゃん連れの家族もいます。
それでも何か非日常の感覚を覚えてきます。
「よく知っている稚内」だけど「行ったことがない稚内」、
その「稚内」の文字が搭乗口に表示されています。
いつもはご近所の「梨畑」の道を徘徊している「たにしの爺」が、
飛行機に乗って北の果てに徘徊しに行くわけですから、
好奇な目付きになっても仕方がありませんね。
機内は観光ツアー客で満席状態です。窓から二つ目の席。
無事に飛び立ち日本列島の上空を北上、津軽海峡を越えました。
日本海が見えてきました。灰茶色のサロベツ原野の上を飛んでいます。
やがて利尻富士と礼文島が見えて、機は稚内空港に着陸しました。
予想していたほど寒くはありませんが風が強いです。
待っていたガイドさんと一行はバスに乗り早速、宗谷岬へ向かいます。
起伏のある壮大な牧草地が広がり、黒牛が点在して草を食んでいます。
なだらかな宗谷丘稜地帯の向こうに蒼いオホーツク海が見えてきました。
かすかにサハリンが浮かんでいるように見えます。
再生可能エネの象徴といえる風力発電のメガ風車群が遠望できます。
丘陵を走るバスの車窓から日本最北端の宗谷岬が見えてきました。
バスから降りれば、日本地図の天辺「最北端の地の碑」が目の前にありました。
幾度もテレビや観光案内で見慣れたものですが生で見るのは初めてです。
人が離れるまで待って、ようやく撮れました。
脇には樺太探検の間宮林蔵の立像もあります。
海辺を歩くと少し離れて「宗谷岬音楽碑」があり、メロディが流れます。
青いとんがり屋根のコンビニ・土産店の中にある最北端の郵便局で、
「到達記念証明書」を発行してもらいました。
ガイドさんお勧めの「タラのすり身」のスープをいただきました。
寒風の中、オホーツク海に舞う幾羽もの海鳥を、熱いスープを啜りながらも見ました。
オホーツクの海は蒼く、風が強く、波立っていました。
観光客がバスや車に入ってしまうと、周りには人がいなくなります。
幾つかの民宿が岬を囲むように並んでいます。
評判のいい民宿があると聞いていましたが、どの辺なんだろう。
郵便局の裏手にあった「流氷博物館」に入りました。
冷凍庫に入ったようなマイナス空間で2,3分で退散しました。
バスは岬から湾をぐるッと回って、稚内市内を通ってノシャップ岬を目指しました。
途中、市内と稚内の港を見下ろす丘の上の「稚内公園」に立ち寄りました。
日本海が一望できました。
稚内市のシンボルともなっている「氷雪の門」が立っています。このモニュメントは、
「樺太島民慰霊碑」で樺太への望郷の念と樺太でなくなった人々のために1963年に建立されたものです。
また、脇には「9人の乙女の碑」もあります。
1945年昭和20年8月、旧ソ連軍の侵攻により、自ら命を絶った真岡現ホルムスク郵便局の、
9人の女性電話交換手の慰霊碑です。
公園からは稚内の港と日本海が一望できます。日が落ちてきました。
利尻島へ向かう連絡船の最終便が白い飛沫を上げる波間に見えました。
ガイドさん「この波でも欠航しないで行ったんだ」とつぶやいていました。
利尻島観光は6,7月が花の季節で一番ですと勧めてくれました。
山を下ってノシャップ岬へ向かいます。
<この項続く>
沢山の記念写真、楽しませて頂きました。
九州、北海道と全国いったようですがつぎは沖縄かな。
おや、まあ、ご無事でしたか。
絶滅危惧種のレッドデータ入りしたと聞いていましたが、ご無事で何よりです。
げんごるドンも、逼塞していないで、
大海を見たほうが憂さが晴れるよ。
今秋、トルコ・イスタンブール経由で、
クロアチアとスロベニアに行く予定でしたが、
不穏な状態になってきたので中止した。