ルーマニア・ランニングライフ★Romania Running Life★

ダーリンはルーマニア人、マラソンシューズ゛と共に過ごす首都ブカレストでの日々。東欧の神秘ルーマニアを探索中+ラン遠征。

ルーマニアの「白い妖精」~ナディア・コマネチ人形

2009-12-10 | ルーマニア・ブカレストの日常

 
1976年のモントリオール五輪女子体操競技で、史上初の10点満点を出し3個の金メダルを獲得したナディア・コマネチ(Nadia Elena Comăneci :1961年11月12日 -、現在48歳 )をモデルとした人形、発売開始。売り上げの一部は若手育成のため、ルーマニアの体操クラブに寄付されることになっています。

日本でも話題になっているこのニュース~日本では彼女の純白でハイレグのレオタード姿から、ビートたけしが「コマネチ」というギャグを造ったりして、「コマネチ」と苗字で呼ばれることが多いですが、ルーマニアではナディアと呼ばれ、親しまれています。上の新聞写真は、6日、ブカレストで人形を披露するナディア。人形も「păpuşa Nadia」(păpuşaはルーマニア語で人形)。
 
ナディアの抱く人形は1体100レイ(約3,150円)。前髪を下ろした表情は当時のナディアそのまま。でも衣装はトレーニングスーツ姿。やっぱり白のレオタード姿のほうが良かったかな?
 
最近の彼女は、アメリカ・オクラホマ州在住、後進の指導に当たっています。2008年北京五輪女子体操のゆかで金メダルを獲得したサンドラ・イズバサ(ルーマニア)もナディアの指導によるもの。
 
彼女の1989年11月の亡命は、決死のものでした。さまざまな軋轢があったのでしょうが、もっとも大きく取りざたされているのは、当時の独裁政権大統領ニコラエ・チャウシェスクの次男ニク・チャウシェスクが一方的に愛人関係を持とうとしたこと。余りにものスキャンダル。

亡命後僅か1ヶ月もたたないうちにルーマニア革命が起こり、ルーマニアは民主主義の国に。けれど、共産主義のルーマニアを捨て自分だけが亡命して行ったナディアの祖国への帰国は、1996年まで時間を要しました。

が、ナディアはルーマニアの英雄、温かく迎え入れられ、祖国でも活動を開始することになったのです。ルーマニア国内で、ナディア・コマネチ・チルドレンズ・クリニック基金をつくり、子供たちが低コストで医療支援や社会支援を受けられるよう図っています。また、体操競技ではルーマニア体操協会の名誉会長、ルーマニアオリンピック委員会の名誉委員長を務めています。
 
ルーマニアへもたびたび帰国、子供たちへのチャリティのためにテレビでダンスを披露するナディアの姿はこちらから。
 
「白い妖精」、レオタード姿のナディアのポストカードは、今でも出回っています。ナディアは、永遠の妖精。

ナディア・コマネチ夫妻の公式サイトはこちらから。



ナディアの自叙伝ともいえる『Letters To A Young Gymnast』(和訳タイトル・コマネチ若きアスリートへの手紙)は、ファンからの手紙への返事として書かれています。




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2 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
先生~~~ぃ質問です。 (minorun)
2009-12-11 09:04:24
チャウチェスクの次男

その後どうなったんでしょうか?

チャウ・パパの末路は知っているんですが・・・
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Unknown (マドモワゼル・ヒロコ)
2009-12-12 05:12:22
ブカレストのゲンチャ墓地に、墓石が建っています。お父さんの二コラエ、お母さんのエレナとも離れた場所にあります。

二コラエのお墓には共産主義時代を懐かしむ人からの花が飾られていたりしますが、エレナとニクはひっそりしています・・・

経緯がよく判らないので、Wikipediaで調べてみました~。

ニク・チャウシェスク(1951年9月1日 - 1996年9月25日) - 次男。

政治に関与しており、革命時はセクリタテアの幹部で、党政治執行委員候補。父の後継者と目されていた。革命の際には愛人とともに車で逃走中、逮捕された。

間もなくブカレスト市内の国営テレビ局に連行され、押しかけた人々に罵られながら、救国戦線の関係者らに詰問される。

その一部始終がテレビで放映された。その後横領など複数の罪で起訴されたが、裁判中の1996年、肝硬変のため死去。

革命の1ヶ月前にアメリカに亡命した体操選手ナディア・コマネチに愛人関係を強要していたといわれる。
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