ルーマニア・ランニングライフ★Romania Running Life★

ダーリンはルーマニア人、マラソンシューズ゛と共に過ごす首都ブカレストでの日々。東欧の神秘ルーマニアを探索中+ラン遠征。

ルーマニア革命20年、見聞記その1・革命広場へ

2009-12-21 | ルーマニア・ブカレストの日常

 
流血の惨事となったルーマニア革命から20年、いろいろな切り口で語られるけれども、ルーマニア人たちと接するうち、何かが違う、と感じている私。ネット情報や過去の文献、政治家の記者会見など、すべての情報が空々しい~これは何故?
 


20年前の舞台となった革命広場(Piaţa Revoluţiei)、犠牲者への慰霊塔が建っているところ。



21日の午前中に出かけてみた私、その時ここを訪れている人は3人の、おそらく外国人。英語で話しながら写真撮影をしているだけ。特に大きな記念のものはなし。
 


慰霊碑のあたりはきれいに除雪してあって、いつものように花輪が手向けられています。



革命時に犠牲になった人々の名が刻まれている慰霊碑、その間から見えるのは旧共産党本部(Fostul Comitet Central al Particului Comunist)。
 


20年前のこの日、チャウシエスクを称えるために行われたはずの官製集会で、ここの玄関口うえにあるバルコニーでチャウシエスクが演説を行い、それは独裁政権に対する抗議にさえぎられ、治安部隊が民衆に向けて発砲。いったん集会は解散させられたけれども、さらに抗議集会へと発展していったのです。



翌22日、さらに抗議勢力は大きくなり、余りもの騒ぎにここの屋上からヘリコプターで逃走した大統領夫妻。ひとまず、スナゴフの別荘へ、そしてトルゴビシュテの宮殿へ。が、途中で捕獲されてしまうのです。
 


さてその日、この広場を埋め尽くしていた人々、その中にマイダーリンもいました。チャウシエスク夫妻がヘリで飛び立つのを、その目で見ていたといいます。その時ダーリン、19歳になったばかり。耳のすぐ横を弾丸が通り過ぎていったといいます、今の私が思うに、ダーリン、生きていてくれてよかったです。幸いにして友人にも犠牲になった人はいません。
 


ダーリンの弟さんは4つ違いの当時15歳、高校の冬休みで田舎に帰っていたところ、ブカレストでこの事件発生。電話も通じず、その後の様子をテレビで見ていたといいます。大統領夫妻射殺の様子もテレビ放送されたルーマニア革命。年が明けて1月4日にブカレスト復帰。そのときはもう特に何も無く、危険な状態ではなかったそうです。
 
実際にヘリコプターまで使って、大統領夫妻脱出の様子の再現映像が、今月初めのテレビ番組で流されています。でもこれもあくまでもメディアによる演出。実際にそんなふうであったかどうかは不明なのです。

もう少し知りたい、革命のことやその後のこと。文献やネット情報に頼るのではなく、生の声を聞きたいのです。

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