千歳橋を歩いて渡った後に、橋の下にある大阪市営の「千歳渡し」渡船に乗って引き返すことにしました。
大正区史によれば大正区千歳新田は、1845年に埋め立てが完成し幕府の検地を受けていて、明治42年の大正区地図には既に新千歳町と町名がついています。
戦時中の1943年の地図にある新千歳町は、戦後掘削されて消滅(赤線の内側)、左の青線はなみはや大橋、左の青線は千歳橋
つまり、江戸時代に完成した新千歳町の埋立地は、それから113年後に再び海に返ったのです。
さて、現在の千歳渡船ですが、基地を北恩加島側に置き、20分間隔(通勤時間帯以外)で出港、約2分後に鶴町側に到着すぐ引き返すという運航パターンを取っています。
たった2分のクルージング体験ですが、都市に住んでいるとなかなか乗る機会の無い船に無料で乗船できるのです。
大正内港を横断している千歳橋を、その直下から見上げることができるのも渡船だからこそ。
尻無川の河口から上流を見ると弁天町の3本の超高層ビルが
北恩加島側に戻ってから開いた防潮扉を出ると、のしきいの高さがO.P.+4,23m、引き戸が2、15mと書いてありました。
このO.Pとは大阪港における干潮時の最低潮位を示しているそうで、この防潮堤の下部はそれよりも約4,23m高いということでしょう。
1934年に襲来した室戸台風は、最大潮位がO.P.+4,5mに達した記録がありますが、この防潮堤の4,23+2,15=6,36mを越えることは無さそうです。
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その中でも「千歳」は好きですね。両岸の鉄工所
ドック?等で大阪は重工業地帯なんだーという事
を実感します。船着場の廻りに人家はあまり無い
のですが、時間になると急に自転車が集まって来
ます。渡船ごとに個性は有りますね。天保山は人
種豊富、船町は向こう岸へ軽くボールを投げても
届きそう(50m)、落合上と落合下は買物カゴ
のおばちゃん達で生活感豊富とかですね。船町の
あの狭い水路で貨物船とすれ違うんですよね。結
構揺れたりして船に乗ってる実感があります。大
阪の隠れた名所ですね。市営で無料でかつ実用?
に供されている数少ない渡船ですね。「矢切の渡
し」より遥かに価値が在るんじゃないでしょうか。
こんにちは
千歳渡船も価値がありますが、千歳橋を歩くのも
なかなかの景観です。
大阪の橋は、歩道が整備され歩いて渡れるように
なっているので、歩行者は助かります。
下から見上げると大層な構築物なんで歩ける
ことを想像もしていませんでした。
千本松あたりはどうなんでしょうね?
橋の上からの景観も一度見てみたいと思いま
すね。
その記事が過去のブログ記事にありますので
宜しければどうぞご覧ください。
http://blog.goo.ne.jp/luckyhillson/d/20100114
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