新京極通から1本東の河原町通に出て、少し北に歩くと御池通との交差点で、その北西角地に京都市役所があります。
河原町通を挟んだ市役所の東側は、幕末期の長州藩邸跡地で、現在そこに建っている京都ホテルオークラの南側(御池通)を、東に向かって散歩を続けます。
京都ホテルオークラの東側には、今も情緒豊かな高瀬川が流れています。
この辺りは、高瀬川の上流地点で、一之船入(桜の背後に見える水路)と呼ばれていた地域です。
その北側は、この地で1875年に創業した島津製作所の創業記念資料館で、9時30分から一般に公開されていました。
その向かいは、高瀬川を開いた角倉了以の別邸跡地で、いまは「料亭がんこ」として使われているようです。
その前の道を三条通りに向かって引き返すと、レンガ外壁の幾松維新庵ビルがあり、狭い右の路地に幾松という看板が出ていました。
路地の右隅に、「桂小五郎幾松寓居」と書かれた石碑があるので、幕末に活躍した桂小五郎と幾松(後の夫人)は、ここに潜んでいたようです。
南に下って三条小橋まで来ると、佐久間象山、大村益次郎の名前が刻まれた遭難碑があり、日本歴史を彩る有名人がこの辺りを歩いていたことが判ります。
歴史マニアにとって、京都の街ほど興味深い場所はありませんね。