松江城天守閣から北側に回り、北門跡から石段を下ると松江城の北東部分、松江護国神社の前に出ます。
松江城天守
そこから北に向かって歩くと、城山稲荷社への参拝路の前を通って内堀に架かる稲荷橋、さらに新橋を渡ると600石~200石までの中級藩士の家が並んでいた地区に入ります。
新橋と堀
松江城内堀に沿って緩やかにカーブする「塩見縄手」と呼ばれるこの地区の遊歩道は、江戸時代の雰囲気が良く残っていて、「日本の道100選」にも選ばれていました。
その武家屋敷の一部は、1890年に英語教師として松江に赴任してきたラフカディオ・ハーン(1850~1904年、小泉八雲)の記念館で、現在の館長は八雲から4代目(曾孫)の小泉凡氏とか。
小泉八雲記念館
この建物は1933年に開館した洋風建築でしたが、この地区が伝統美観保存地区に指定されたために1984年に和風建築として再建されたようです。
塩見縄手の武家屋敷
小泉八雲記念館の収蔵品は、直筆原稿20点、書簡80点、遺品90点、著書など資料950点と充実していて、時間をかけてじっくり拝観すれば八雲の思想が少し見えてくるように思いました。
展示されていた八雲の書簡の中に、「日本で最もすばらしいものは、歴史や文化では無く、日本女性である」と松江藩士の娘であった妻の小泉セツのことを書いたものがありました。
小泉セツが、武家の娘として受けてきた躾と教養は、40歳の西洋人、八雲にとって驚嘆に値する何かがあったのではないでしょうか。
武家屋敷にある田部美術館
小泉八雲記念館の隣の武家屋敷が小泉八雲旧居として公開されていますが、ここには1891年5月~11月までのわずか半年しか住んでいなかったようです。
塩見縄手に公開されている武家屋敷は、600石程度の中級藩士の屋敷で、屋敷替えによって複数の藩士が入れ替わり居住していたようです。
武家屋敷の長屋門
建築後約275年を経ている母屋は、約70坪の広さがありますが、南側の日当たりのよい場所は表座敷と呼ばれる公的なスペース、私生活に使うスペースは北側にありました。
武家屋敷の裏
松江の冬、北向きに暮らしていた当時の武士の家族は寒い思いをしていたのではと思いますが、このように中級武士の屋敷が保存されている例は全国でも珍しいそうです。
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