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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



 真言宗 智山派の総本山は、京都東山の智積院、大本山は成田山新勝寺、川崎大師、八王子市の薬王院の3寺があり、成田山の大阪別院は、京阪電車香里園駅からほど近い高台にある成田山明王院(以下大阪別院)です。



成田山新勝寺の本尊は、弘法大師空海の手によって開眼された不動明王、大阪別院の本尊は、その分霊で、成田山不動尊と呼ばれています。



京阪沿線は、大阪の鬼門に相当するため、明治大正時代に住宅地として人気がなく、他の私鉄沿線のように宅地開発がなかなか進まなかったといいます。



そこで京阪電鉄は、広大な境内地を成田山新勝寺に寄進して大阪別院の建立を依頼、そこに1934年に創建されたのが大阪別院です。

鐘楼



鬼門を抑える大阪別院の創建で、香里園の住宅地としての人気が高まったために、京阪電鉄は「香里遊園地」を枚方に移転し、跡地を住宅街として分譲、事業は成功したようです。

笑魂塚



大阪別院が香里園に創建されて既に76年が経過していますが、京阪電鉄が門前町の区画分譲をしなかったため、門前町が無いのが残念ですね。

本堂



大阪別院は、現在でも鬼門よけとして信仰されているほか、交通安全祈願も行っており、人車一体の祈願を行った最初の寺として知られています。

本堂の前



そのため山門の外に、広大な駐車場があり、車で来る善男善女の利便性は高いようです。

太師堂



大阪別院大師堂の前には、すぐ近くから見つかったという畠山義豊(1469〜1499年)の墓石が置かれていました。



義豊の父、畠山義就とその従兄弟、畠山政長による畠山家の家督争いは、応仁の乱(1467〜1477年)のきっかけとなったことで知られています。



大阪別院の奥の院は、高台の下にある暗い洞窟の中にあり、そこには干支にちなんだ仏像が置かれていました。



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