広州経済技術開発区から程近い黄埔地区に南海神廟があると観光案内にあったので行って来た。
広州市も市街地からかなり離れたこの地まで観光整備に手が回らないのか、案内標識も何も見当たらない。
最初入り口が判らず迷ったが、黄埔東路から南に入る舗装されていないガタガタ道を少し入った所、広いバナナ畑の中にこの南海神廟があった。
南海神廟の額が懸かった門
場所が解り難いせいか観光客は全くいなかったが、その代わりに線香売りの老婆がいて、めったに来ないカモが来たとばかりにしつこくまとわり着いてきた。
しつこい老婆を無視して入場券売り場に直行する。
5元の入場料を払い、中に入ると広州市街地にある名刹光孝寺よりも境内ははるかに広く、観光客が全くいないのがうら寂しい。
航海安全の神様である南海神を祭った南海神廟は中国の隋の時代、594年に創建されたと石の板に掲示されているので、今から1400年以上前からあったということになる。
ご本尊の南海神
この時代スケールには日本は到底太刀打ちできない。
1400年以上前の昔から、外国から中国に貿易に来た商船は、珠江を100キロさかのぼってこの辺りに接岸したという。
今でも外国貿易で賑わっている黄埔港はすぐそばにあり、この辺りの珠江は結構水深が深いらしい。
黄埔港
テニス仲間の船会社の人によると、満潮であれば2万5千トンの船がここまで入ってこられるというくらいである。
このあたりの珠江の水は黄色く濁った泥水のようで、下流の東に向かってゆっくりと流れているが、満ち潮時には西向きに逆流するので海までは相当緩やかな勾配しかないのであろう。
いずれにしても珠江河口から100km以上も上流にあるこの地区は海とあまり標高差が無いのは確かで、川幅1kmもあるこのあたりの珠江はまるで海のようであった。
珠江
隋の時代に南海神廟が建立されて以来、海外に向かう中国の商船は航海安全を祈願して出港前には必ずこの廟に立ち寄り寄進したといわれている。
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