昨日も紹介しましたが、「全国お花見900景2013」の関西地区人気ランキングは、1位淀川河川公園背割堤、2位夙川河川敷緑地、3位醍醐寺、4位大阪城西の丸、5位万博公園、6位毛馬桜之宮公園、7位吉野山、8位仁和寺、9位大阪造幣局、10位嵐山だそうです。・・・万博公園のツバキの森では、ツバキの花とサクラを同時に見ることができたので、今回はツバキの写真と万博会場計画の歴史を紹介しましょう。
先日、なつかしき未来 大阪万博という本を読んでいると、「大阪万博40年後の証言」という部分がありました。・・・紅白のツバキ
1965年末、会場計画委員会では、会場計画の原案作成者を関西の西山卯三(1911~1994、京大教授)と東京の丹下健三(1913~2005、東大教授)の二人の建築家に依頼しています。ツバキ
丹下健三は、「二人でやるのはしょうがありません。決まったことですから。西山先生、どうぞ先におやりになって下さい。そしてあとを私にやらせて下さい」」と言っています。・・・ツバキとサクラ
「そのかわり、あとで30%だけを私に描き直させて下さい」と付け加えたそうです。ツバキとハクモクレン
会談に同席した上田篤氏(1930年~、当時京大助教授)は、「ものすごく政治的ですよね。こんなことアートをつくるのにあることですか?」と驚いています。ツバキとサクラ
丹下健三の「西山先生、どうぞ先におやりになって下さい」を受け、西山教授は、「万博会場は未来都市でゆきたい・未来都市のモデルをつくりたい。未来都市の中心となるのは広場だ」と言い、広場を考えなさいと上田篤助教授に指示されたそうです。ツバキとサクラ
そこで京大助教授上田篤氏がメインとなって広場をとりいれた会場計画の原案作成がスタートしています。ツバキとサクラ
その後、上田篤氏は、お祭り広場と命名した計画案を作成、東京の丹下事務所に持ってゆくと、丹下氏は、「上田君は地上部分、丹下事務所が空中部分」と設計の仕事を分割されたそうです。ツバキ
お祭り広場の一番目立つ空中部分の設計を自分の担当とした「丹下さんは、政治家ですよね」と、上田氏。ツバキ
つづく
参考文献:なつかしき未来 大阪万博 大阪大学21世紀懐徳堂編