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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



明石城の高い石垣と重要文化財の2つの櫓は、阪神大震災で相当な被害を受けたので、直後から修復作業が開始され、1999年になってようやく完了したという。

巽櫓



その際に巽(たつみ)櫓と坤(ひつじさる)櫓を繋ぐ塀が復元されたので、今では江戸期の築城当時のような白亜の城壁と美しい櫓を見ることができるようになっている。

坤櫓



坤櫓の北側には、本丸の敷地から5~6m高くなった1619年に築造されたという天守台の石垣があったので、そこに上ってみた。

天守台の上には、30m四方くらいの広場があったが、後で調べてみると明石の歴代城主は、幕府に遠慮して天守閣を築造しなかったらしい。



道理で、本丸から天守台に上る石段が雑に造られていて上り難かった訳である。



天守台に明石城のシンボルとなる天守閣を再建して欲しい、という要望もあるかもしれないが、天守閣はもともと存在しなかったのでこれからも築造されることは無いのである。

387年前からある天守台の敷地



高台となっている明石城の本丸の敷地は、まばらに樹木が植えられた花木園となっているが、もともと敷地の4隅に4つの櫓があったという。

明石駅を向いた南側の巽櫓と坤櫓は重要文化財として現存しているが、北側の艮(うしとら)櫓と乾(いぬい)櫓は残念ながら失われている。



その乾櫓のあった場所から石垣沿いに下の稲荷曲輪に降りるスロープが残っていたが、江戸期の雰囲気を良く残している場所であった。



本丸敷地の建っていた説明看板によれば、艮櫓は明治初期の1881年に学校建築用の資材として再利用するために解体されてしまったらしい。

江戸時代の明石城を蘇らせるために、この巽(たつみ)櫓と坤(ひつじさる)櫓の再建を是非果たしてもらいたいものである。



本丸から東側となり二の丸に戻り、さらに東の丸の端から南東を見れば、明石海峡大橋の塔が良く見える。

二の丸の北側にある石垣



東の丸の出口となる東口から、城外に出ると高台に明石文化博物館があったので入場料500円を払って中に入ってみた。



博物館には、残念ながら明石城にちなむ資料が乏しかったが、昭和30年代の庶民生活の資料展示が充実していた。



しかし、入場料を払ってまで見る価値は無いと思ったのは私だけであろうか。



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