1854年(嘉永7年)の大地震による大津波の被害の模様を記録し、後世に対する戒めを伝えるのが、大正橋東詰(北側)にある1855年(安政2年)建立の安政大津波碑です。
過去600年間に周期的に6回あった地震は、2038年~2063年頃、確実に次が襲来すると覚悟し、十分な危機管理対策を建てておくべきでしょう。
大正橋の建設碑
地震の際の復興拠点となる現在の大阪市庁舎、大阪府庁舎は、土佐堀川と堂島川を伝わって津波が襲来し、橋や道路が寸断、交通アクセスが遮断され地震後の道路の大渋滞も想定しておかなければならないと思います。
大阪市庁舎前の土佐堀川
さて、道頓堀川の最も下流に架かる日吉橋から見ると、道頓堀川の可動水門の内側にせき止められた水面が鏡のようでした。
水門
橋を渡ってから二つ目の交差点を西に向かって歩くと、木津川対岸のドーム前地区までの長い歩道橋が架けられていました。
歩道橋
そこから上流にある千代崎橋までゆくと、橋の取り付け地点が少し内側に入りこんでいましたので元の千代崎橋は、ここよりも少し上流側にあったようです。
千代崎橋から見た木津川の上流
さらに北に歩くと、かつて長堀川と木津川が接続していた地点に架かる伯楽橋に出ます。
伯楽橋から見た長堀通
伯楽橋の上流にある松島橋は、1908年の地図にある地点から殆ど動いていないようで、橋の上から木津川上流右岸を見ると立売堀川の取り付け地点が内側に入り込んでいました。
松島橋
また江ノ子島の東側にあった百間堀川が埋め立てられたために、そこに接続していた薩摩堀川、阿波座堀川、海部堀川、京町堀川、江戸堀川の痕跡を探すのは困難なようです。
旧江之子島に建つマンション(中央)
立売堀川の取り付け地点の上流にある大渉橋を見つけましたが、この橋は1908年の地図にも記載されています。
大渉橋
中央大通りが通る木津川大橋から東に向きをかえ、本町目指して散歩を続けることとしました。
木津川大橋
| Trackback ( 0 )
|