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出水麓歴史館の展示と一緒に出水市の歴史を紹介しましょう。

出水麓の郷士は麓に1707人、その他を合わせて2843人、地頭(地頭代)の配下に曖役(あつかいやく)7人、組頭6人、横目(目付)10人、物主8人、庄屋11人などの幹部郷士がいました。

江戸時代、出水の発展に貢献したのが、第三代出水麓地頭を務めた山田昌巖(やまだしょうがん)です。

山田昌巖は、朝鮮の役から帰国した1598年に福山の地頭となって関ヶ原の合戦にも出陣、51歳となった1629年に出水地頭を命じられて福山から着任しています。

1636年には薩摩藩家老と出水地頭を兼任、1637年に島原の乱が起こると出水衆を率いて出陣。70歳となった1650年に家老職を辞職

島原の乱に出陣した山田昌巖は出水兵児(へこ)の始まりとなる「児請(ちごもうし)」の次第を定めています。・・・山田昌巖は1668年に90歳で逝去。山田昌巖が地頭在任中の年表

出水兵児の児請(ちごもうし)絵巻

1917年(大正6年)に山田昌巖翁250年祭があり、出水兵児の整列と修養掟の朗読があった際の写真

館内の奥では、出水麓の南側にあった「出水城跡」の資料展示もありました。



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