トレーニングをはじめて3週間
筋肉を動かそうとしても 神経がつながっていないと
動かないことがわかった。
内転筋 ひらめ筋 殿筋 つかっていない筋肉は眠って
いるもおなじ
筋肉を意識する(手を触れていると意識しやすい)
なんども練習する 日常の動作のなかでも意識する。
すると 筋肉は少しずつ 目を覚ます (今ここ)
神経が通ってくる もうすこしで 右の肩甲骨が
掘り出される 長年の動き方の癖で 固まっている
筋膜を すこしずつ剥がす (今ここ)
たいへん おもしろい
それだけでなく語りに似ていることに気づいた。
今の ストーリーテラー 語り手さんたちの多くは
絵本や文学のまるごとの暗記である。読むための文字と語るための
文章はおのずから 異なるにもかかわらず....
もちろん 著作権があるので 勝手な改変は道義的にも法的にも
ゆるされない (AIは頓着しないで勝手に剽窃するが)
わたしは 語り部だが 語りのテキストは
1 自分で作る
2 口承といって 他の語り部あるいはふつうのひとから聴いたものがたりを語る
(その場合 オリジナルと全く同一ということなく 世界中でそうやって伝説・物語は
つたわってきたのだ)
3 降ってくるものがたりをそのまま語る 最近はこれが多くなった。
1.2.3を問わず文言は ぎりぎり 最小限に削る....
なおかつ 聴き手を 置き去りにしないように過不足なく...
そして ことばだけでなく
明暗 色彩 情景 背景の音 .... 奥深くの想いをつたえる
これは 無意識的におこなわれる
語る時 語り部が 聞いていない 見ていないモノは
聴き手に つたわりません。
(暗記している文字をおいかけると 文字が見えてしまう
読み聞かせから 語り・ストーリーテリングに入った
ひとに 有り勝ちです )
つまり ことばを 響きに変換してつたえるということ。
響き 音 に できるだけ ゆたかな情報を乗せる
語りとは 音韻(おんいん) 音声(おんじょう)
によって 語り部と聴き手が 共振すること。
いにしえのことばをつかうなら 魂振り
かたる ≒ うたう かたるの古語は カツ うたうの古語はウツ
ともに 魂を うつ かつ(叩く?)こと
ゆえにうたうことは 楽しいだけではなく、語りの訓練になる。
以上のことは 最初は 『意識』しないとできないが
そのうち 無意識に できるようになる
語りとは
からだ (こころ) 精神の連携プレイ つなぐのは意識
或る意味 高度なスポーツや 楽器の演奏にちかい。
究極 聴き手の 深層意識にたどりつく 再生 甦りの儀式
さて 精神は意気軒昂であっても この萎え疲れ果てた身体の再生は
可能であろうか。