知命堂日記   ~  人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻のごとくなり ~ 2005.9.11

いつ死んでもおかしくない年のころ。
夢も希望もなく、やっと生きてます。
今を夢幻と思って、ただひたすらに…

日本人であること

2018-02-23 07:48:54 | 日本人であること
私の同級生(女性)は、2000年頃、インドの古典舞踊を習得するためにインドに渡った。35歳頃のことだ。

縁もゆかりもないインドへ行く精神的強さは称賛に値する。
しかし、やはり女性である。子孫を残したいという本能が働いたらしい。インド人男性と結婚し、子供を儲けた。

結婚生活に忙しくて、インドの古典舞踊は断念したらしい。
私には、目が大きくてスタイルも違うインドの女の子には勝てないから断念したと言っている。それは負け惜しみだろう。
有り体にいえば、男に走ったのだと思う。インド人の口説きは日本人は慣れていない。結局のところ、夢を追いつづけてそれに挫折することを選んだ。
そして、インドの家庭に入った。だが、離婚した。

離婚の理由は、インド人夫の嫉妬。
何故嫉妬したかと言うと、彼女は日本語教師としてたくさんのインドに日本語を教えた。その教え子達に、母のごとき愛情を注いだ。その様子を夫は理解できなかった様だ。母の愛情ではなく浮気のように思われた。
私も若い男達と楽しそうに写真に納まる姿に、夫が誤解するのはもっともだと思った。
インドは母親がいなくても一族が育てるので、子供は当然ながら夫側に引き取られるのが通例。そもそもヒンズー教には離婚が想定されない。
結果的に子供とも離れ離れになったのだろう。
子供についての詳しい話は聞いていない。話そうともしない。どうにもならない闇がありそうである。

日本ではインド人と結婚したことに母親が嘆いたようだ。母親の発した嘆きの言葉には相当な差別めいたものがあったのかもしれない。
日本に帰国するときは、伯母には連絡しても、実母には連絡しない。
今も母と娘の蟠りは深い。
私は娘を思う母親の気持ちがわかる。
娘は母親の言動を今なお水に流せない。

彼女は今でもデリーに住み、日本企業のインド進出をサポートする仕事に就いている。これは大成功をおさめていて、数年で相当の地位についている。

そしてそこから外国に住む日本人として自分のアイデンティティを確認し、日本を眺め、日本を語っている。

平和と水はただだと思っている日本人の脳天気さを嘆き、日本の行く末を案じている。

私は日本帰る気などさらさらない彼女を思っている。
永遠に交わることのない運命を予感しながら…

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