知命堂日記   ~  人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻のごとくなり ~ 2005.9.11

いつ死んでもおかしくない年のころ。
夢も希望もなく、やっと生きてます。
今を夢幻と思って、ただひたすらに…

7月は夏休みモードです。

2006-07-02 11:49:26 | Weblog
5月、6月は、連続投稿にこだわったのですが、毎日、ネタがあるわけではありません。その場しのぎの駄弁も多かったようなので、6月で連続投稿にこだわるのはやめました。
さて、少しまじめな話です。役所で試験制度を導入しているところは、非常に多いのですが、選考試験の範囲を超えないようです。結論的には、まともに試験制度が機能しているのは、東京都くらいだろうかと思われます。東京都は主任になるときに試験が課され、これを越えない限り永遠に主事だそうです。もっとも職位は、課長補佐までは主事ということで、要するに主事という職位のまま主任→次席→担当係長→係長→課長補佐という流れだそうです。主任に合格してA管理職試験に受かればエリートコースということで、東京都で出世するのは大変です。
しかし、試験制度は、公平です。選考試験のようにグレーな制度下では、結局、人が人を評価する結果、上司の顔色を窺う結果となり、住民重視の職務執行が担保できない気がします。上から言われたことはどんなに間違っていても従えば評価されるのです。反面、業務の繁忙さの差異によって十分な試験準備が出来る者と出来ない者との相違が生じます。この結果、多くの人間が閑な部署を望むようになります。
忙しい部署で頑張る者を評価するための成果をどのように評価するのかは、大きな課題です。現実に行われている、自身で目標を設定して、この達成度合いで図るというのはいかがなものでしょうか。誰しもが低い目標を設定することでしょう。それでは、本来の意味を失っているとしか思えません。
結局は、金銭という価値(尺度)で物事をはかれない分野には、成果主義を導入するには無理があるということでしょう。

橋龍逝く…これも有終の一つ

2006-07-02 00:53:50 | Weblog
未だ若いと思っていた橋龍が死んだ。
小泉政権の終わる時期と重なって、日本の行く末に波乱を感じるところである。
次の総裁選には、福田氏が出ると言うことだが、順番的にも福田氏だろうし、力学的にも福田氏じゃないと収まりがつかない気がする。ただ、その次の総選挙で自民は議席を失うんじゃないだろうか。福田氏はバランス感覚は優れていると思うが、いまいち、カリスマ性が足りない。そのあと、安部さんを据えるという策じゃないか?
いずれにしても今、安部さん出してしまうと自民の命脈が尽きる日が早まってしまうので、なるべく後にしておいた方がいいだろう。
どこが政権を執るか、それは、時代が決めることである。
人はいつか死んでしまう。形あるものは壊れる。盛者必衰の理。
システムもいつまでも適合しない。周辺環境に合わせて変わって行けなければ、淘汰されてしまう。
慣行や権利の上にあぐらをかいている人は、ただ、追い立てられるだけである。
その時に最適な者がこの国を指導してくれればよい。