Leikon's Photo Diary

写真とカメラなどに係わる独り言

顔理論

2011年05月13日 23時38分23秒 | 日記など
私の尊敬する元上司が言っていたのが、「人間、顔を見ればわかる」でした。中途採用を一緒にやりましたが、その分野の専門知識は部下である私の方があったと思いますが、この方の眼力は確かでした。由来、私は、この方の名前を採って「N岡の顔理論」と称して、折に触れ活用させて貰いました。
また、更に私の若いころに、前の会社の創業家の方は「何某は生まれが卑しい」とか「顔が卑しい」と仰っていらしたことを覚えております。旧 男爵家のこの方は、別に出自を指して「生まれが卑しい」と仰ったのではありません。私のような三重の田舎の馬の骨にも「そこの中学生」とか「お兄さん」とか呼んでくださいましたが、卑しいというニュアンスではなかったと思います。寧ろ、相応の家の出で、会社でも高位に立った人を卑しいとかそうでないとか人物月旦をされていました。これも一種の「顔理論」と言いますか、品性を論じられていたのだと思います。

そして、私の50有余年の人生の中でも3位以下を格段に離して二番目に品性の無い顔を、本日テレビを通してみました。テレビで見ただけで評価してはイカンとは思いつつ、余りにインパクトが強かったものですから。それは、「(東京電力向けの銀行の融資について)債権放棄がなくても国民の理解は得られるか」と質問され、得たりとばかりに「3月11日以前からの融資について理解を得られるかといったら、到底得られないだろうと思う」と答え始めるE野・赤ン坊長官のニヤリと口元の歪んだ顔(恐らく、この質問をした者の顔が、私の人生で3位につけてくれると思いますけど…)。発想も拙劣極まりないが、顔も酷い、いや、顔の酷さに内容の無さも現れているのです。少し前に、ランボ―とかと一緒になって「必殺仕訳人」を演じている時の傲岸な顔の方が、遥かにマシでしたね。ただ単に、「物事を知らないんので傲慢になった、間抜け顔」でしたから。その後、選挙で大敗して少しは練れたかと思ったのに、今回は、本当に卑しい。ニュースの総集編等でご覧になる機会があれば、人間の顔はここまで下卑てしまうかの例として、是非ご覧あれ。漫画化していえば、(悪代官役なのに)「お主も悪よのぉ」と言われてしまう強欲商人まで演じてしまった顔ですね。
あー、また、掟破りのテーマでした(自爆)

処で、私の言う二番目の酷い顔は納得したけれども、では品性の一番無い顔は誰か? って。
そんなものは、毎朝うんざりするほど見てきた、私が髭を剃るときの、鏡の向こうの男の顔ですけど、何か・・・
コメント
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