読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

タモリ論 樋口毅宏 新潮社新書

2013-08-12 22:41:38 | 読んだ
「タモリ」という人は不思議な人だと思っていた。
だから、この本を見たときすぐに読んでみようと思ったし、ちょうど、甲子園へ行く旅に持っていく本を探していたので『ハイヨ』とばかりに買ったのである。

で、新幹線で読み始めたらあっという間に読み終えてしまった。

筆者は昭和46年生まれ、ということは、私と15歳の差がある。
15の違いは、全く接点がないように思える。そして考え方や受け取り方も違うように思える。

読んでみたら、まあ予想どうりだったのであるが、いわゆる「おタク」風な、理屈が強いような、それでいてどことなく用心深い、つまり他の人からあまり批判されたくない、それもつまらないことでとやかく言われたくない、というような姿勢が出ているものであった。

で、そういうものはあまり嫌いでない私なので、そういう部分を読むと思わずにやにやしてしまうのである。
なんというか『やってる、やってる』というカンジ。
なにしろ、「はじめに」が25ページまであって、なお「お断り」なるエクスキューズが付されているのである。
この「お断り」を見たとき、心の中で「ヒューヒュー!」と思いましたよ、ええ。
なにしろ、このお断りは、タモリを「タモさん」と、ビートたけしは「殿」と、明石家さんまは「さんま師匠」と呼ぶべきか、ということを書いているのである。どっちでもいいことをこのようにウジウジとお断りする姿勢、それが嫌いではないのだなあ。

さて、著者は自らの小説でタモリを『絶望大王』と評している。
まあ、なんとなくわかるような気がするが、それほどでもないのではないだろうか。

で、いろいろとタモリについて著者は語っていきます。
「いいとも」の中のタモリ、別の番組のタモリ、ビートたけしと比べ、明石家さんまと比べ語られている。んーまあそうかな、とは思うけれど、どことなくしっくりこないまま読み終えてしまった。
そういう見方もあるんだ、と思うけれど・・・

タモリって何か一つをトコトン突き詰めていきたい人なんだと思う。
だけど「笑っていいとも」では、そんなに深く突き詰められない、それゆえに長く続いているのではないか。
著者も言っているが、笑っていいともを休みなしでやるには、他のものをあきらめなければならない。
でも、タモリはあきらめているのだろうか。もし「俺どうでもいいのよ」ということがあきらめていることであれば、それはそうだと思うけれど・・・

笑っていいともは身にならない、と吉田修一が語ったことに著者は全くそのとおりと大賛辞を送っているが、別にそんなこと日本中のだれもが知っていることで、もっと言えば、テレビをみて身になることなんてどれくらいあるのだろう。
また、笑っていいともをやめられないのは、多くの人が職を失うことになるから、ということも言っているのだが、そんなこともあまりないだろう。

この本は、読んだものにタモリについて考えさせてくれる。
普段当たり前のように見ているタモリについて何かを考えるなんてないことだ。
それがこの本の特徴ではないだろうか。

ちょっとタモリについて考えたいと思った人だけでなく、何か読んでみようかな、と思った人にお薦めである。
タモリってそういう魅力があることがわかる。

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