読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

異聞 太平洋戦記 柴田哲孝 講談社文庫

2013-08-17 09:28:40 | 読んだ
8月15日は、仙台育英が常総学院に負け、なんだかなあ、という落ち込んだ気分であった。
昨日16日は、東北楽天ゴールデンイーグルスの田中投手が、今季無傷の17連勝、そして昨季からは21連勝と、日本新記録を作り、興奮していた。
というわけで、本来、15日に予定していた、「異聞 太平洋戦記」が本日まで延びてしまった。
別に、予告をしていたわけではないので、どうということもないのだが、なんとなく気分の昂揚が激しい日々であった。

さて、「異聞 太平洋戦記」である。
この文庫には5つの物語が掲載されている。

1.超空の要塞 -異聞 東京大空襲-
2.目ン無い千鳥の群れ -異聞 真珠湾攻撃-
3.ブーゲンビル日記 -異聞 海軍甲事件-
4.鬼の棲む山 -異聞 久米島事件-
5.草原に咲く一輪の花 -異聞 ノモンハン事件-

このうち、「超空の要塞」と「ブーゲンビル日記」は、オール読物に掲載されたときに読んでいる。
その感想は、本ブログで検索するか、あるいは嘉壽家堂本店で検索していただきたい。
(超空の要塞は2009年4月12日、ブーゲンビル日記は2008年7月17日であります)

「超空の要塞」は、東京大空襲について、時の政府は知っていたのではないか、日米合作の空襲ではないか、という物語である。
「目ン無い千鳥の群れ」は、真珠湾攻撃も、日米合作の攻撃であったのではないか、という物語である。
そして「ブーゲンビル日記」も、海軍甲事件つまり山本五十六連合艦隊司令官の乗った飛行機が撃墜されたのも、日米合作であるという物語である。

つまり、この3作は、これらのことが謀略によって行われたものであるということが書かれてある。
いわゆる陰謀史観・謀略史観という部類に入るものと思われる。

こういうものは、おもしろい、のである。
そういう見方もあるのか、という『おもしろさ』である。だからそれを全部信じてはいけない。いわゆる「まっとうな」(歴史の中で何がまっとうなのか判別できないという声もあるが・・・)歴史を大きな柱としていて、陰謀論に耳を傾ける姿勢がないと、どうも自分の中に「ひずみ」とか「ゆがみ」が発生するような気がするのである。

というわけで、この3作は「ふーん、なるほどね」という具合に流して読むことに努めた。というのは、そちら側に引きずり込まれそうだったから、である。引きずり込まれてなるものか、という意思を強く持たないと、「なるほど、そういうこうだったのか」となってしまう。それほど見事に誘惑の罠がいっぱいあるのだ。

ところが「鬼の棲む山」は全然テイストが変わる。
沖縄戦争の久米島で起きた事件のことであるが、戦争というのはやっぱり「狂気」が支配するのか、ということを思い知らされるのである。

大局的にみて「戦争やむなし」と指導者層が判断としたとしても、戦地では「狂気」が発生し伝播し支配するのである。

人と人が争うということは、そもそも醜いものである。それが対等的に争うのではなく身体的或いは立場的に強いものが弱いものと対するのは、もう争いとは言えない。
武器と武器をもった軍隊が争うのが戦争であるとすれば、この事件は、戦争ではない。
指導者は、戦争というものが軍隊同士の争いだということではないことを肝に銘じなければならない。

「草原に咲く一輪の花」は、ノモンハン事件を扱ったものであるが、なぜノモンハンという土地に陸軍(関東軍)がこだわったのか、という謎を追っていく。
その謎が明かされるのであるが、そんなことで双方合わせて約4万人の戦死戦傷戦病者をだし、結果的に日本もロシアも何の益を得ることがなかった戦いをしたのかと、読んでいるこちら側が腹を立ててしまう。
まあ、そもそもノモンハン事件は、非常に腹立たしい戦いであったのだが・・・

というわけで、戦争とはなんと愚かなことなんだろうと、改めて思わされる物語がこの「異聞 太平洋戦争」に収められている。
読み終わると、ものすごく「がっかり」するのである。
何故、人は人と争うのか?

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