読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

ブッダ6<永遠の出発> 手塚治虫 潮出版

2006-06-11 21:48:30 | 読んだ
第6巻は「永遠の出発(たびだち)」ということからもわかるように、完結篇である。

1月から毎月1回出版され半年を経て読み終えたのである。
その間、父が亡くなる、ということがあり、なんとなく余計に心にしみたのであった。

ブッダ(お釈迦様)の一生を描いた漫画であるが、手塚治虫自身があとがきで述べているが「正確な仏典の漫画化」ではなく「お釈迦様の伝記をかりた、まったくのフィクション」なのだそうである。

したがって、手塚治虫の精神というか哲学が反映されているといえるし、発表誌が少年雑誌「希望の友」ということから子供たちへ向けたメッセージともいえる。
つまり、この漫画を読んで、仏教の教えから外れているとか、本当のお釈迦様ではない、といった批判や感想、あるいは大人が大人の考え方で今読んだ感想を述べるのも的外れ、のように思える。

これは連載されたものであるし少年向きであることを考えれば、すばらしい、といえる。12年間も続いた、ということは読者の支持が続いていたといえる。
そして、途中で読み始めた読者にもわかるような設定がされている、というか、その号だけを読んでもおもしろかったのではないだろうか。

とはいえ、私にとってはいい時期に読むことができ、ブッダの思想(手塚治虫の思想?)も、平易に示されているが実は深いものであるということを感じとれ、少年向きとはいえ大人の鑑賞にも充分堪えうるものでと思った。

ブッダの時代、というかつい最近まで、人間の周りには「死」が日常的に存在していた。常に「死」というものを感じながら生きていた。
近年「死」は非日常化し、さらに忌み嫌われるものとなり、それに比例して「生きる」ということが安易なものになってきたように思われる。

「生きる」ということを追い求め、それは「死」を受け容れることなのではないか、死を受け容れたときこそ幸せとは何なのであるかを実感できる。

そんなことを手塚ブッダは教えているように思え、それは今生きている自分にとってこれからどう生きるべきかを問うているように思えたのであった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水滸伝4<大宋国平定> 横山光輝 KIBO COMICS 潮出版

2006-06-10 23:30:19 | 読んだ
第4巻で完結版であります。

水滸伝のイメージは「ラストが悲惨」というのがあって、本格的に読もうという気持ちがわかないでいた。

このイメージは何で得たんだろうか?
蔵書の中には水滸伝関係がないので、何かをチラッとみたんだろうか?

そして、水滸伝は「長い」「登場人物が多すぎる」というのもあって、読んでいなかった。

まあ今回は「漫画」であるし、ダイジェスト版と思って読み始めたのである。
毎月10日の発売なので、ゆっくりと読むこともできる。

で、今回完結篇を読んでいくつか思うことがあった。

1.やっぱり登場人物が多すぎる。漫画で顔かたちが違うのに、まだよくわからな い。(これは横山光輝が描く人物の顔が似ているということもある)

2.だからなんだっていうの?という思いがでる。
  英雄譚であれば、英雄への憧憬とかがあるが、この物語に登場する人物たちに は同情はするが、同化したいと思わないのである。
  で、この物語は何を言いたいんだろう?なんて、ふつう思わないことまで思っ てしまう。
  人間こうあるべきなのか、それともこうならないようにすべきなのか、迷って しまうのである。

3.それでいておもしろい。
  とはいいつつも、おもしろい。
  それは勧善懲悪という単純形。しかも悪は「政治」「行政」であることなどが ある。

ということで、漫画を読んで次は機会と出会いがあれば小説を読んでみようかと思っている。

追伸
 同じく10日発売の「ブッダ(手塚治虫)」も購入読破。そして、「小説十八史略」(全6巻:陳舜臣:講談社文庫)を何度目になるだろうかまた読み始めている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

短編小説

2006-06-08 22:38:35 | 読んだ
なぜか、小説新潮の1月号なぞを読んだ。
短編小説を読んだ。
このごろはあまり短編小説を読むことがないので、ちょいと新鮮な気分であった。

つまり、大きな仕掛けやどんでん返しもなく、小説の中で起こることは特殊ではあるが大げさなものではなく、あっさりとしていてそれでいて心に残るものであったりする。

櫻の家 曽野綾子

70代半ばの「私」が、散歩中に、一本の桜の老樹から、若い頃、東京大空襲のさなかの出来事を思い出す。

その桜のある家に住んでいた一家は、エリートの一家。特に奥さんは英国育ちで英語を話せる上品な人。
しかし、その結婚はあまり幸せではないらしい、と私は思っていたが、空襲の夜に起きたある出来事から、その夫婦の恋が始まったと気づく・・・

なんといいますか、それは空襲というという大事件ではあるのですが、その空襲と夫婦の恋とのからみが、ゆったりとしていてそれなのにスピーディーに語られていきます。

1950年のバックトス 北村薫

鮎子の息子翔太は地元の少年野球チームに入っている。
あまりスポーツが得意ではない彼だったが野球は性にあったらしく二塁手のポジションを得る。
そのチームの遊撃手は4年生ながら水際立ったプレーを見せる山城剣人である。

ある日、翔太の野球の試合の日に姑の節子がやってくる。
鮎子はお世話係なので節子の相手ができないので野球に誘う。
<家にいる>という返事だろうと思っていたら、なんとうれしそうに行く、という。
しかも、鮎子より野球に詳しい「エンタイトル・ツーベース」なんて知っていたりする。

実は、節子は戦後わずかばかりの期間であったが行われた女子プロ野球の選手だった。そして、山城剣人を見て、ある人を思い出す・・・

ひえー、というほどなんだかうれしくなる物語であった。
野球っていいんじゃない。

夕映え天使 浅田次郎

浅田次郎の小説はつくりが「どうだ!」というカンジ、けれん(外連)がありすぎるというカンジ、なのであまり好きではない。
といい続けてきた。

そうはいいながら、読んだ。この紹介に「新春に贈る感涙の名篇」とある。
嗚呼、またお涙ちょうだいかよーと三村ふうに突っ込みながら読み始める。

80歳と50歳の男やもめの親子が何とかやっている中華料理屋に、純子という40代の女がやってきて、ラーメンを食べ、そして「住み込みで働かせてくれ」という。
なんとなく成り行きで雇ったら、働き者で店の「トウがたった看板娘」になる。
ところが半年で書置きもなくいなくなった。

何故いなくなったのか?を親子で話しているうちに、思い当たるふしが・・・
と、そうこうしているうちに軽井沢の警察から電話が入り、自殺者の風体が純子らしい・・・息子の一郎が駆けつけると・・・

わりと穏やかな作品であります。別に「感涙」には及びませんでしたが、心がちょっと湿ってしまいました。


というわけで「短編」というものにあらためて感心したのでした。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青春のうた 第10号 1980年代前期①

2006-06-07 23:05:49 | 読んだ
今回は、私がやや成長した後の歌が多く、「青春」に疑問符がつくのだが、まあまあということで・・・

1.恋/松山千春 1980年1月発表

好きな歌なのである。しかし、オンタイムで覚えたのではないので、どこかちょっと違うふうに覚えていたりする。
それで、カラオケで歌ったら「違う」といわれ、恥ずかしかった。

松山千春のこういう歌を聞くと非常にナイーブな人柄を思い浮かべてしまう。あまりにも繊細なるがゆえに、逆に振舞ってしまうのかなあ、と考えたりする。

どううたっても松山千春にはかなわない、というのが「恋」の印象です。
(では他の歌ではかなうのか、他の歌手ではかなうのか、というツッコミは勘弁して下れ)

2.ダンスはうまく踊れない/高樹澪 1982年7月発表

これは、やっぱり「石川セリ」(1977年)のほうが印象的である。
初めて高樹澪で聴いたとき、あれ?と思ったものである。

なんだか今度はかわいい娘が歌っているではないの、ケナゲにねえ。
という印象。石川セリのほうはどっかけだるい感じがして、それはそれでよかったのだが、こちらもそれはそれなりによかった。

3.待つわ/あみん 1982年7月発表

♬わたし まーつわ いつまでも まーつわ♬
という部分が非常に印象的であります。
と同時に、ちょっとコワサみたいなのを感じましたですねえ。
まあ1回ぐらい言われてみたい、というのはありますが、こう繰り返して「待つわ」といわれますと・・・

それと出だしの「かわいいふりしてあの子 わりとやるもんだねと」という部分が引っかかっていまして、そういう女の子だったの?と変なツッコミ入れていたんです、心の中で。

どちらかというと岡村さんより加藤さんがお気に入りでしたね。

4.いまのキミはピカピカに光って/斉藤哲夫 1980年6月発表

斉藤哲夫という人は、吉田拓郎がうたった「されど私の人生」を作った人、という印象が強くて、この歌を歌っている人が斉藤哲夫だと知ったとき、ショックでした。

あなたもコマーシャリズムに身を売ったのか?!
と強くは思わなかったにしろ、若干軽蔑したりしたのです。

このころから、フォークソングやニューミュージックだからテレビに出ないとか、コマーシャルおことわりなんてことがなくなってきたのではないか、と思う。

宮崎美子は屈託なくジーパンを脱ぐし、斉藤哲夫はこんな歌を歌う。
私の中では、何かが変わっているということを実感した歌でもあります。

なお、斉藤哲夫さんとはその後自分自身の中で和解をしております。(笑)
♬サンマ焼けたか、粋な親父の声がする♬
なんて最高ですね。

5.探偵物語/薬師丸ひろ子 1983年5月発表

薬師丸ひろ子の歌は透明感があって好きだった。
レンタルレコード(ふるいねえ)を借りてテープに録ったような気がする。

探偵物語はあまりにも「大人」を意識しすぎていて、好みではなかったなあ。
どちらかといえば「メインテーマ」が好きでしたねえ。

♬笑っちゃう 涙の止め方も知らない 20年も生きてきたのにね♬
という部分が等身大でよかった。

この探偵物語は
♬好きよ・・・ でもね・・・
 たぶん・・・ きっと・・・♬
という部分がいいのだろうけど、ちょっと「小ざかしい」感じがしてます。

6.ルビーの指環/寺尾聰 1981年2月発表

ベスト10という番組で、いつまで続くのか1位。あきれるほど売れましたね。
で、飽きない歌なんですよね。

何がいいのか、よくわからないのですが、なんとなくいいんですよ。

♪くもり硝子の向こうは 見えないよ♪
なんてうたったりもしましたが・・・

この頃から流行の歌をギターで弾くこともなくなったので、曲の構成とか、コード進行がわからなくなり、歌は歌うものではなく聴くものになっていったような気がする。



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

謎のホームページ サラリーマンNEO  毎週火曜23:00NHK総合

2006-06-06 23:07:54 | 観た、聴いた
毎週火曜日の楽しみなのである。

不合理、意味不明、不真面目、ナンセンス、アンニュイ、ばかばかしい、度が過ぎたパロディ・・・
なんて表現したらいいのだろうか?

それで、ともかく面白いのである。

複数のコントからなる、といっていいのか、コントではなくドラマなのか?

ともかくつかみどころのないものなのだが・・・おもしろい。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無言歌 赤川次郎 小説新潮

2006-06-05 22:17:01 | 読んだ
小説新潮6月号、連載17回で完結。

小説新潮に連載される赤川次郎の小説は「ヨクワカラナイ」というのが感想である。
赤川次郎を多く読んでいる訳ではないが、ユーモラスな推理小説、というのが印象にある。
しかし、小説新潮に連載されているものはどっか違うように思える。

この「無言歌」の前に連載されていたのも、なんだかよくわからなかったような気がする。

で、この「無言歌」であるが、サスペンスというのでもなければ推理というものでもない。
「謎」といえば、登場人物がそれぞれ抱えているようなきがする。

主人公というか中核をなすのは大学教授の柳原一家である。
この一家がかかわる人々が、醒めた目、で描かれている。
この「醒めた目」というのが、これまで抱いていた赤川次郎に対するイメージと大きく違うのかもしれない。

最終回で明かされる秘密というか謎解きというか、ともかく最終回をよんで、納得するわけでもなく「あーそうなんですか」と、ため息混じりにつぶやきたくなる、そんな小説である。
にもかかわらず、最後まで読ませてしまう、というのがスゴイといえばスゴイ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

後北條龍虎伝 海道龍一朗 小説新潮

2006-06-04 21:30:08 | 読んだ
小説新潮で連載(といっても毎月ではないが)されていた「後北條龍虎伝」が6月号で最終回を迎えた。

後北條とは、北條早雲からはじまる小田原北條氏である。
その後北條の3代目氏康が主人公の物語である。

後北條氏をテーマにした小説は私にとってははじめてである。なにしろ、豊臣秀吉に最後まで抵抗した一族であり、彼らを倒さねば関東を制することができないほどであったのだから、その基礎はかなりしっかりしていたのではないか、と思うのだが・・・いずれ滅ぼされる、しかもあまり格好のいい形ではなく滅ぼされたので、だれも書く気がわかなかったのか、読んだことがないのであった。

その滅ぼされた時の4代目氏政の父、そして5代目の氏直の祖父に当たるのが氏康である。
これが龍虎の「龍」ならば「虎」とはだれか。
それは、氏康の幼少期から付き従っていた福島綱成である。

氏康の幼少期からこの物語は始まり、北條家の家臣団とは別に嫡男氏康の親衛隊というか次期家臣団が形成され、北條早雲以来の関東経営に乗り出すのであった。

「戦」というのは勝つべくして勝つように、日ごろからの情報収集と、自らの鍛錬を重ね、そして戦場ではそれらを結集して勇をふるい家臣を鼓して戦う。
そんなことを氏康は学び実践をしていく。

風間小太郎、も絡んで、なかなかに血わき肉おどる物語になっています。

最終回では、龍虎が力をあわせ、8千の軍勢で8万の敵方(上杉家)を破るという、有名な河越城の戦いが描かれ、終了している。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美味んぼ95 焼酎革命 雁屋哲+花咲アキラ

2006-06-03 22:03:46 | 読んだ
さて、いつまで続くか?というのが一番の興味である「美味んぼ」の95巻であります。

第1話”蒸し”の意義
第2話焼酎革命(1)~(6)
第3話ゴボウの教え(前・後編)
となっています。

メインは焼酎革命です。

焼酎は私も「偏見」を持っていまして、まあお酒を飲まなくなった時期と焼酎ブームの時期が重なったこともあって、偏見を持ったまますごしていました。

偏見とは、美味んぼにもあるように「まずい」「いやな匂い」「にごった汚らしい味」という特徴と、そして手っ取り早く酔うための道具であって飲み物ではないという印象。

それが、あるとき一杯だけ飲むことになって、カウンターの目の前にあった「佐藤」というお酒を頼んだ。この時点で「日本酒」と思っていたわけであります。そうしたら「焼酎」なので、何で割りますか?ときた。
で、どうせ焼酎ならば、という気持ちで「ストレート」でと頼んだ。

そうしたら、「えっ!これが焼酎?」というくらいおいしかった。それで、焼酎を見直したのであった。

私の体験と同じようなことの出だしから、焼酎について語られていく。
しかも、山岡の後を継ぐ人間としての「飛沢」の能力を試しながら・・・
これ結構面白かったし、焼酎がなぜおいしくなってきたか、ということと、日本が変わることのひとつの道筋みたいなものを暗示していてるようで。

それからこの95巻では飛沢が正式に山岡の後を継いで「究極のメニュー」つくりに取り組むことになったようで、チョイト今後の成り行きに注目してみたい。

いつまでもいつまでも、海原雄山と山岡の対決だけでは面白くないし、それに究極とか至高とか贅沢なものではない「美味」を考えてほしい、と思っていたので、すこーしだけ飛沢に期待し、栗田さんの安産を祈るのであった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

うそうそ <しゃばけシリーズ> 畠中恵 小説新潮連載

2006-06-02 21:02:22 | 読んだ
小説新潮の2005年12月号から2006年5月号まで連載されたもの。
先日単行本化した。

完結するまで読んでいなくて、完結して読み始めた。
性格的に「つづき・・・」というのが好きではない、というかガマンできない。に加えて近頃1ヶ月前の話を覚えられなくなってきたので・・・

さて、例によって「一太郎」を中心に妖(あやかし)が活躍する物語である。

今回は、江戸一番の繁華な道「通町」にある廻船問屋兼薬種問屋「長崎屋」の若だんな一太郎が、箱根に湯治に行くこととなる、というところから始まる。
一太郎の祖母は「皮衣」という大妖で、一太郎は通常の人には見えない妖が見える。しかし、一太郎は病弱で、父母は大甘に育て彼の世話を二人の手代(実は妖)負かせ、この二人がさらに大事に育てている。

さて、一太郎が箱根に行く途中、いつもそばを離れたことがない二人の手代、仁吉・実は白沢(はくたく)という妖と、佐吉・犬神という妖が、いなくなってしまう。
案の定、病弱な一太郎ともう一人のおつき松之助(一太郎の母違いの兄)は、事件に巻き込まれて・・・

今回は、神と妖と人間の三つ巴のお話となり、実は人間がもっとも始末に終えないものであることがわかる。
さらに、神も妖も人もそれぞれの立場で悩みを抱えており、その悩みがぶつかり重なるところに事件がおきる。

いずれも「我が正義」と思い込んでいるところに、争いが起きる。
さてその結末は・・・・

一気に読んでよかった。
これで「しゃばけ」シリーズも1・2と5を読んだのだが、これはこちらの気分が乗っているときにはとても面白く、これからどう続いていくのか楽しみである。

追伸
 本日病院に行ってきたところ、花粉症と風邪の合併症ということで、世の中「合併」が流行っているからといって、病まで合併することはないだろう、と思ったのでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

風邪

2006-06-01 22:38:39 | 日々雑感
どうも風邪をひいたらしい。
最初は、花粉症かと思っていたら、のどが痛く、せきが出る。
今流行しているらしい。

この季節に「風邪」というと、なぜか吉田拓郎の歌を思い浮かべる。

♬何もかもが なんでこんなに うっとしいんだろう
人とあってても 話すことさえ ああ ああ おっくうだ♬


という出だしの「風邪」という歌である。

♬考えるということから 逃げ出したくてしかたない♬

そのとおりなのである。

♬僕はどこの誰なんだろう みそっかすになっちゃった♬

風邪の原因は「心の油断」と考えている私は、なぜか今忙しい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする