読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

新・野性の証明 森村誠一 角川文庫

2012-11-10 23:30:17 | 読んだ
久しぶりの「森村誠一」
そして、これまた久しぶりの「棟居刑事」である。
というか、いつまで棟居は現役なのか?

本書は『新』とあるので『新』のつかない「野性の証明」もあるわけで、これは相当昔読み、そして映画を見た。
映画の封切が1978年10月、ということは昭和53年。
その前年の昭和52年は「見てから読むか、読んでから見るか」というCMの角川映画第1作『人間の証明』であった。

森村誠一はこの人間の証明でブレイクしたのであるが、私は高校時代に図書館から借りて読んだ『高層の死角』以来ファンで、やっと森村誠一が認められた!と感激したものであった。

ただ『人間の証明』は素晴らしい作品であったが、『野性の証明』はどちらかといえば「なんだかなあ」という感想であった。
なんというか、ちょっと『突飛』すぎるのではないかということが、いわゆる「推理小説」としては異端であったように思う。
今思うと、『野性の証明』は推理小説ではないんだろう。

本書の解説(池上冬樹)でも『アマゾンの書評やインターネットの感想を拾うと(中略)苦い結末だけはもうひとつ共感を抱かれていない』と紹介されている。
なんだか、解決されていないのではないか?というのが私の印象であった。

さて、『新』である。
この設定も、いわば「荒唐無稽」といえる。
こんなのあるわけないじゃん。という突っ込みを入れたくなる。

まあいろいろあるのだが、つまりは、国際的な戦争請負・暗殺請負業者と、小説家を志す「小説教室」の塾長と塾生が対決する。
プロとアマの対決なのに、アマの塾生たちが徐々に『野性』を甦らせていき遂には勝つという。

ラストで戦うところなどは大スペクタルといってもいいのだが、そこに警察が絡んだりするので、なんだか無能な警察の印象が残る。せっかく、棟居刑事も登場しているのに。

サービス過剰というか、エンターテイメントということで読めばいいのだろうが、なんだか「違和感」が残る。

しかし、読んで物語の中に入り込んでしまえば、そういう構成とか設定に関する違和感は薄れて、どうなるんだろう?誰なんだろう?ということでグイグイといってしまうので、安心してください。

人間の中にある「野性」とは何か、それは何かあれば覚醒するものなのか、ということが主題であると思うのだが、このようにうまく覚醒するのは、やっぱり小説であるからなのだろう。

物語の端々で小説教室について描かれていて、小説とは何か、みたいなことも多く語られているが、解説の最後で『本書は、小説を書きたいと思っている人々にはとくにお薦めだろう』とあるのは、それはちょっと言い過ぎじゃない、と思った。

まあ何やかやと言ってはきたが、物語は面白い。
で、ここで「違和感」に思い当るところが出てきた。
つまり、この物語が「大藪春彦」によって書かれたのであれば、わりとすんなり行ったと思うのだが、森村誠一の小説、ということで、私のほうがちょっと構えたため、違和感が生じたのだと思う。
したがって、そのあたりあまり気にしないで読んでいただければと思う。

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