読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

青春のうた 第29巻 1970年代前期⑨

2007-03-10 17:35:21 | 読んだ
1.ケンとメリー~愛と風のように~/BUZZ 1972年11月

ああいい歌だなあ、というより、
ああいい声だなあ、きれいだなあ、
と思うのである。

そして目に浮かぶのは「日産スカイライン」
ケン・メリのスカイラインというやつである。
いつかは乗りたいカッコイイ車であった。
で、同じスカイラインであってもGTでなくてはならなかった。
そのうちGT-Rもでてきたがこれは特別車であった。

♪愛と風のように♪
とうたっているところが
♪愛のスカイライン♪となってCMで流れていたのである。

というわけでこの歌、どちらかといえばCMソングとしての認識度が強い。

2.珈琲不演唱(コーヒーブルース)/高田渡 1971年5月

聞いたことのあるような、ないような・・・
ともかくジックリと聴いたのは今回がはじめてである。

高田渡の歌は好きなのであるが、好きになったのはこの頃なので、若い時分にはあまり聞いていなかったのである。

飄々としている、というのが高田渡の印象である。
が、そうばかりでもないことに気づいたのはこの頃、つまり年をとってからなのである。

いいなあ、と思ってはいたが、コンサートで実物をみて聴いたとき、
「ああ、いいなあ」
としみじみ思ったのである。

高田渡はナマが一番である。

もう、いなくなってしまったのがホントに残念である。

3.赤色エレジー/あがた森魚 1972年4月

3拍子の淡々とした歌、なのに、なんだかすごく強い「情」が感じられ、なんというか気持ちが不安定になってしまう、というカンジであった。

まだ高校生の頃であったので
♪愛は愛とて何になる♪
と歌われても、どう受け取ればいいのか、戸惑ってしまう。

さらにこんな、つまり一郎と幸子のような恋愛は、想像がつかないし、こういう恋愛はしたいとも思わなかった。
だから、この歌がラジオから流れてきたりすると
「長い歌だなあ」
と、
「いつまで続くのかなあ」
と、イライラしたものであった。

とはいえ、なんだか心に強く響く歌であって、久しぶりに聴いたら、やっぱりヒットしただけあって「いいんじゃないか」と思うのであった。

ところで、当時「あがた森魚はすごい」みたいなムードで、拓郎や陽水なみに時代を引っ張るのではないか、というカンジであったが、この歌以外はよく知られていない。
あの「ムード」はなんだったんだろうか?
と今でも思うのである。

4.あしたはきっと/いとうたかお 1972年7月

これは今回はじめて聞いた。
知っているのは、相当の「通」であると思う。

いとうたかお、という名前には記憶がないのだけれど、彼が所属していたという「武蔵野たんぽぽ団」というのは聞いたことがある。
当時は、どちらかといえば趣味が違う、ということで積極的に関与しなかったのであまりわからないのだが・・・

さて今回この歌を聴いて、当時の気分というのを感じられたのであった。

5.出発の歌~失われた時を求めて~/上条恒彦と六文銭 1971年12月

うわーすごいなあー
というのがはじめて聞いたときの印象で、フォークソングというものの広がりの大きさに驚き、胸が躍ったのである。

上条恒彦のダイナミックというか「プロ」を感じさせる歌手が、素人っぽいフォークソングというのにも合うんだなあ、というカンジと、
フォークソングだってスケールが大きいことを歌ってもいいんだ、というカンジと、
「世界歌謡祭」にこういう人たちがでてグランプリをとってもいいんだ、というカンジが、なんだか「時代が変わる」予感みたいなものになったのである。

出発と書いて「たびだち」と読む、というのもなんだかすごく新鮮で、今まで決められていたことを壊して新しいものを作る、という「我々の時代」みたいなものを感じさせられた。

結局は、体制みたいなものに、徐々に取り込まれていった、というか、当時感じた「新しさ」みたいなものが体制になっていって、今になれば「幻想」だったのかな、と思うのであるが・・・

そういう新しいパワーみたいなものが強く感じられた歌である。

ところで、六文銭の女性ボーカル「四角佳子」さんがとっても好みだったのだが、吉田拓郎の「結婚しようよ」のモデルであり、とうとう結婚してしまったときには、なんだかすごくガッカリしたのであった。

今は「まるで六文銭のように」というグループとかソロで活動しているとのこと、そのうちいってみたいと思うのである。

6.雨が空から降れば/小室等 1971年4月

なんだかんだいっても、この歌は「名曲」である。

舞台の歌として作られた、ということであるが、この歌に歌われていることは誰もが感じることではないか、と思うのである。

これといった決められた場面を思い浮かべるのではなく、この歌を聴いたり歌ったりしたときのそのときの自分が、それぞれそのときの場面にいるような、そんな気分になるのである。

♪しょうがない 雨の日は しょうがない♪
という繰り返しが、しょうがない、とあきらめているようでそうでもないような「強さ」みたいなものがあって、それを自分に言い聞かせている、そういう気分にさせてくれるのである。

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