わたくし、こう見えても「仁義なき戦い」のファンです。
映画も観た、本も読んだ。関連する雑誌や本も読んだ。
で、飽きません。
その都度、新しい発見があったり、違う角度からの物語があったりして、新鮮である。
本書は、仁義なき戦いの舞台となった広島のヤクザ抗争について、著者いわくクロニクル(編年式)に記述している。
最初は、登場する人物たちの「被爆体験」から始まる。
私は「仁義なき戦い」から広島のヤクザ抗争を知ったために、どうしても美能幸三(映画や小説では『広能昌三』)のほうに味方してしまうが、抗争にはそれぞれの言い分があり、それを取り巻く大きな社会環境がある、ということを本書から学べる。
ここに記述してある事件は本当にあったことで、多くの人がこの抗争で死に傷ついていった、悲惨な歴史でもある、そして繰り返してはならない歴史である。
従って『面白い』ということばで感想を述べるのはいかがなものか、とは思うのだが、一言で表現すると「面白い」のである。
何しろ、登場人物が多いので、何度もページを遡って確認をして読まなければならないが、登場する人たちは「人間の持っている欲望」を正直に表現する。
そして、個人の欲望に振り回されながら、なんとか生きようとする。
「人間」というものの正体をみたように思うのである。
ちょっとした衝突が、殺るか殺られるか、に変換していく様は、人類がこの世に現れて以来繰り返されてきたことではないか。
著者は抗争に関わった人たちに直接インタビューをしているので「生の声」が伝わってくる。
社会は「法」或いは長い間に築いてきた「倫理」によって、人の生き方を規制している。
ヤクザの世界だって「仁義」で規制をされている。
しかし、人はどうしても対人関係に「好き嫌い」「ウマがあう」を優先してしまう。
そして、そのことが「環境」に変わってしまって「敵」とか「味方」という区分になり、ついには「不倶戴天の敵」になったりする。
そんな理由から敵対関係になるのはまあ自然ということになるが、個人対個人の敵対関係が、組織対組織となると、そこには感情がなくなってしまう。
そこが「怖い」と思うのだ。
しかし、本書で紹介されていることが我々を救う。
著者が取材中に、
『わしら本当に恩讐を超えたんじゃけえの』
と、抗争を乗り越えてきた幹部が叫ぶように言った、ということである。
人は恩讐を超えることができる。
そのことが、大きな救いである。
そして、その言葉を引き出した著者の長年の取材に感謝するのである。
時々思い出したように読みたいものがある。そんな一冊になりそうである。
だから、読書はやめられない。
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で、飽きません。
その都度、新しい発見があったり、違う角度からの物語があったりして、新鮮である。
本書は、仁義なき戦いの舞台となった広島のヤクザ抗争について、著者いわくクロニクル(編年式)に記述している。
最初は、登場する人物たちの「被爆体験」から始まる。
私は「仁義なき戦い」から広島のヤクザ抗争を知ったために、どうしても美能幸三(映画や小説では『広能昌三』)のほうに味方してしまうが、抗争にはそれぞれの言い分があり、それを取り巻く大きな社会環境がある、ということを本書から学べる。
ここに記述してある事件は本当にあったことで、多くの人がこの抗争で死に傷ついていった、悲惨な歴史でもある、そして繰り返してはならない歴史である。
従って『面白い』ということばで感想を述べるのはいかがなものか、とは思うのだが、一言で表現すると「面白い」のである。
何しろ、登場人物が多いので、何度もページを遡って確認をして読まなければならないが、登場する人たちは「人間の持っている欲望」を正直に表現する。
そして、個人の欲望に振り回されながら、なんとか生きようとする。
「人間」というものの正体をみたように思うのである。
ちょっとした衝突が、殺るか殺られるか、に変換していく様は、人類がこの世に現れて以来繰り返されてきたことではないか。
著者は抗争に関わった人たちに直接インタビューをしているので「生の声」が伝わってくる。
社会は「法」或いは長い間に築いてきた「倫理」によって、人の生き方を規制している。
ヤクザの世界だって「仁義」で規制をされている。
しかし、人はどうしても対人関係に「好き嫌い」「ウマがあう」を優先してしまう。
そして、そのことが「環境」に変わってしまって「敵」とか「味方」という区分になり、ついには「不倶戴天の敵」になったりする。
そんな理由から敵対関係になるのはまあ自然ということになるが、個人対個人の敵対関係が、組織対組織となると、そこには感情がなくなってしまう。
そこが「怖い」と思うのだ。
しかし、本書で紹介されていることが我々を救う。
著者が取材中に、
『わしら本当に恩讐を超えたんじゃけえの』
と、抗争を乗り越えてきた幹部が叫ぶように言った、ということである。
人は恩讐を超えることができる。
そのことが、大きな救いである。
そして、その言葉を引き出した著者の長年の取材に感謝するのである。
時々思い出したように読みたいものがある。そんな一冊になりそうである。
だから、読書はやめられない。
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