ああ、本当に惜しい人を失ったなあ!
と、つくづく思うのである。
米原さんが生きていたら、この大震災についてどのような感想を持っただろうか?
そして、為政者達を小気味よくそして理路整然と叱咤し、被災者達をどのように慰めただろうか?
そんなことを想像してしまうのだ。
米原さんは、ロシア語通訳として、ロシア人も日本人も等しく客観的に観察した。
この「客観的」というのが、大きな特徴である。
日本人であって日本人ではない。
もしくは日本人にはなりきれない。
そういうところがあったと思う。
そして、そういう自分の立場を余裕を持って楽しんでいたんだろう。
だから、日本人にとってグサっと来るような発言や文章があっても、その「グサッ」がどこかやさしい。
そして、シモネタ好きで駄洒落が好きで、それがいやみではない程度に披露される。
でも、その裏には痛烈な批判が隠れていたりする。
痛快!
というのが米原さんの文章を読んだときの大きな感想である。
ちょいとこの震災で落ち込み気味のときに開いて、
そうだよなあ!と感心し、
そうそうと、心から頷き、
へっへ、と薄く笑い、
どうしてでしょうね、と一緒に不思議がった。
こういう感覚で、意表をついたコースに真っ向ストレートで勝負されたのではかなわない。
もう二度と現れないような「感覚」だと思う。
本当に惜しい人を亡くした、と思うのである。
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と、つくづく思うのである。
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そして、為政者達を小気味よくそして理路整然と叱咤し、被災者達をどのように慰めただろうか?
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この「客観的」というのが、大きな特徴である。
日本人であって日本人ではない。
もしくは日本人にはなりきれない。
そういうところがあったと思う。
そして、そういう自分の立場を余裕を持って楽しんでいたんだろう。
だから、日本人にとってグサっと来るような発言や文章があっても、その「グサッ」がどこかやさしい。
そして、シモネタ好きで駄洒落が好きで、それがいやみではない程度に披露される。
でも、その裏には痛烈な批判が隠れていたりする。
痛快!
というのが米原さんの文章を読んだときの大きな感想である。
ちょいとこの震災で落ち込み気味のときに開いて、
そうだよなあ!と感心し、
そうそうと、心から頷き、
へっへ、と薄く笑い、
どうしてでしょうね、と一緒に不思議がった。
こういう感覚で、意表をついたコースに真っ向ストレートで勝負されたのではかなわない。
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