正直に言うと「このて」のものは苦手である。
たぶん読み終えると感動していると思うからである。
新潮文庫のブックカバー欲しさに、この「黄色い目の魚」と「夏の庭」を買ったのだが、買うときには「情緒系」がいいなあ、と思っていたのである。
しかし、徐々に重荷になってきた。
どうしようかなあ、読まずにおくかなあ、とか思っているうちに、つい手にとってしまったのである。
そして、抜けられなくなり、感動したのである。
実に、思ったとおりの反応で、我ながら・・・なのである。
佐藤多佳子の小説は「しゃべれども しゃべれども」を読み、その後小説雑誌などで短編を読んでいるのだが、「達者」というイメージである。
話のスジ、がいいのである。乗せる、のがうまいのである。
ちょいと話は変わるが、近頃の女流作家はこのへんが優れている、と思う。
話のスジがいい。
で、感動させられる。
しかし、重厚、ということではない。
あっさりとしてうまい。というカンジ。
その「あっさり」としている部分に相当の手間ひまがかかっている、ということは感じ取れる。
つまり今の時代はそんなんだろうと思うのである。
さて、この「黄色い目の魚」の主人公「みのり」と「悟」はへんなヤツであるが、魅力的で、素直で、感情移入しやすい。
で、彼らは「自分をもてあましている」のである。
このカンジ、つまり「もてあましている」というのは青春である。そして青春時代はもてあましている自分をどうしていいかわからずに行動する。
大人になると「じっとしている」
その二人の行動が、無茶でなくて周囲にも気兼ねをして行われていて、なおかつ真っ直ぐなもんだから、こっちとしては応援をしたくなる。
そう、この小説を読み続けるという気持ちは「応援」なんだろうなあ。
こういう若い者に出会いたい、そんな気持ちになるのである。
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たぶん読み終えると感動していると思うからである。
新潮文庫のブックカバー欲しさに、この「黄色い目の魚」と「夏の庭」を買ったのだが、買うときには「情緒系」がいいなあ、と思っていたのである。
しかし、徐々に重荷になってきた。
どうしようかなあ、読まずにおくかなあ、とか思っているうちに、つい手にとってしまったのである。
そして、抜けられなくなり、感動したのである。
実に、思ったとおりの反応で、我ながら・・・なのである。
佐藤多佳子の小説は「しゃべれども しゃべれども」を読み、その後小説雑誌などで短編を読んでいるのだが、「達者」というイメージである。
話のスジ、がいいのである。乗せる、のがうまいのである。
ちょいと話は変わるが、近頃の女流作家はこのへんが優れている、と思う。
話のスジがいい。
で、感動させられる。
しかし、重厚、ということではない。
あっさりとしてうまい。というカンジ。
その「あっさり」としている部分に相当の手間ひまがかかっている、ということは感じ取れる。
つまり今の時代はそんなんだろうと思うのである。
さて、この「黄色い目の魚」の主人公「みのり」と「悟」はへんなヤツであるが、魅力的で、素直で、感情移入しやすい。
で、彼らは「自分をもてあましている」のである。
このカンジ、つまり「もてあましている」というのは青春である。そして青春時代はもてあましている自分をどうしていいかわからずに行動する。
大人になると「じっとしている」
その二人の行動が、無茶でなくて周囲にも気兼ねをして行われていて、なおかつ真っ直ぐなもんだから、こっちとしては応援をしたくなる。
そう、この小説を読み続けるという気持ちは「応援」なんだろうなあ。
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