1.明日に向かって走れ/吉田拓郎 1976年3月
この歌が出た頃の私は「どん底」だったような気がする。
何をしてもうまくいかない状態だった。
今にして思えば、それはすべて「身から出たさび」なのだが、当時はただ不運なんだと思っていた。
この歌を聞いてなんだかホッとしたような気がした。
「こぶしを握りしめて、明日に向かって走ろう」とは思わなかった。
『この歌はなんだかさびしいな』と感じていたのである。
どこにもやり場のない寂しさや怒りや苦しさを「明日に向かって走れ」という言葉で表しているように感じていたのである。
拓郎は「金沢の事件」で勢いが失墜したがその後フォーライフの設立やつま恋のコンサートで盛り返しを見せていたので、またまたすごい勢いになるんだろう、と思っていた。ところがこの歌で複雑な心境を知らされたような気がした。
だから、この本に書いてあるような「『明日に向かって走れ』とは、まさに自分の会社を設立し、将来への希望に燃える彼の気持ちを素直に表したタイトルだった」とは思えないのである。
この歌は、自分を奮い立たせようとするときに歌う。
2.水無し川/かまやつひろし 1975年11月
この歌の作詞は「松本隆」である。
テーマは「木綿のハンカチーフ」と同じだと思う。
この当時はまだまだ「東京」は憧れの地であり「東京に行けば・・・」という気持ちがあふれていた。
田舎にいては何もできない、とまでも思っていた。
しかし、そう思う心の片隅で「東京に行っても埋もれるだけだ」という気持ちもあった。
だから
♪ いちかばちかが男の賭けさ ♪
と歌われるのである。
そして、田舎に残してきた恋人と田舎を思い、田舎は変わらないという思いを描くのである。
だが、田舎も変わってしまうのである。
若さというのは前に進むことに長けている。
それがこの時代のそして日本の原動力となったのだが、その若さが30年を経ると「あれは失敗だったかなあ」なんて思ったりするのである。
そう思っても、今の日本には失敗を認めてやり直す若さも残っていないのである。日本は旧態依然である。
3.あいつ/風 1975年6月
かぐや姫が解散した後、伊勢正三は「風」というグループで、その叙情性を更に煮詰めていった。
煮詰めすぎてしまったきらいもあるが、この当時はまだまだ伊勢正三の歌は新鮮であった。
というものの、この歌は今回はじめて聞いたのである。
いかにも伊勢正三のうたである。
当時聞けば心に残る歌になったと思うが、今聞くとノスタルジアのみである。
4.うちのお父さん/かぐや姫 1974年3月
かぐや姫の最高のアルバムといえる「三階建ての詩」の中の一曲である。
初めて聞いたときは「なんじゃこりゃ」と思ったものだ。
しかし、何度も聞いているうちに心に響くものがあった。
こういう風に「父」を歌えるなんて、南こうせつは幸福だなあと思ったのである。
「ニッコリ笑う」お父さんが目に浮かぶようである。
そしてお父さんのためにも「明日天気になあれ!!」と思うのだ。
ちなみに
「汗をかいたので ひと休み」の後の<チャカチャカチャ>というリズムのところ、当時高校生だった我々はリングノートのリング部分をギターのピッグで<チャカチャカチャ>とやっていたのである。
5.風の街/山田ぱんだ 1975年7月
喜多条忠の作詞、吉田拓郎の作曲である。
この歌は、テレビドラマの主題歌だったらしい。
しかし、当時私はテレビのない生活をしていた。
テレビも冷蔵庫も洗濯機もなかったが、それなりに面白く生きていた、と思う。
面白く生きてはいた、と思うのは今だからで、「明日に向かって走れ」の稿でも書いたが「不運だ」と思っていたのである。
この歌に登場する
♪ 道の向こうで 手を振った ♪ 「あいつ」や
♪ 白い仔犬を抱き上げる ♪ 「君」
♪ 僕の名前を呼ぶ ♪ ちょっぴり大人びた「君」
のような友達が当時はいなかった私には、すごくうらやましい歌であった。
そして、表参道・原宿 は、すごくまぶしくて、東京にいる間行ったこともなく、とうとう今まで行ったことがないのである。
6.アザミ嬢のララバイ/中島みゆき 1975年9月
中島みゆきのデビュー曲である。
この本では、次の曲「時代」(第6回世界歌謡祭グランプリ曲)で、中島みゆきは大きなスポットライトを浴びることになる。とあるが、私としては、この歌のほうが好きである。
『時代』はよく言えばスケールが大きい、悪く言えば大向こうを狙ったような歌である。
それに比べてこの「アザミ嬢のララバイ」はなんというか「同感度」が高い歌である。
3拍子のリズムが「哀愁」を感じさせる。
サビの部分の
♪ 春は菜の花 秋には桔梗 そして あたしは いつも 夜咲く アザミ ♪が、なんともいいカンジなのである。
追伸
今回の41号は、昨年のつま恋のコンサートに出演したメンバーを集めたのだそうである。
つまりは、吉田拓郎、かぐや姫(南こうせつ、伊勢正三、山田パンダ)、かまやつひろし、中島みゆきである。
ちょいと感心したのである。
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この歌が出た頃の私は「どん底」だったような気がする。
何をしてもうまくいかない状態だった。
今にして思えば、それはすべて「身から出たさび」なのだが、当時はただ不運なんだと思っていた。
この歌を聞いてなんだかホッとしたような気がした。
「こぶしを握りしめて、明日に向かって走ろう」とは思わなかった。
『この歌はなんだかさびしいな』と感じていたのである。
どこにもやり場のない寂しさや怒りや苦しさを「明日に向かって走れ」という言葉で表しているように感じていたのである。
拓郎は「金沢の事件」で勢いが失墜したがその後フォーライフの設立やつま恋のコンサートで盛り返しを見せていたので、またまたすごい勢いになるんだろう、と思っていた。ところがこの歌で複雑な心境を知らされたような気がした。
だから、この本に書いてあるような「『明日に向かって走れ』とは、まさに自分の会社を設立し、将来への希望に燃える彼の気持ちを素直に表したタイトルだった」とは思えないのである。
この歌は、自分を奮い立たせようとするときに歌う。
2.水無し川/かまやつひろし 1975年11月
この歌の作詞は「松本隆」である。
テーマは「木綿のハンカチーフ」と同じだと思う。
この当時はまだまだ「東京」は憧れの地であり「東京に行けば・・・」という気持ちがあふれていた。
田舎にいては何もできない、とまでも思っていた。
しかし、そう思う心の片隅で「東京に行っても埋もれるだけだ」という気持ちもあった。
だから
♪ いちかばちかが男の賭けさ ♪
と歌われるのである。
そして、田舎に残してきた恋人と田舎を思い、田舎は変わらないという思いを描くのである。
だが、田舎も変わってしまうのである。
若さというのは前に進むことに長けている。
それがこの時代のそして日本の原動力となったのだが、その若さが30年を経ると「あれは失敗だったかなあ」なんて思ったりするのである。
そう思っても、今の日本には失敗を認めてやり直す若さも残っていないのである。日本は旧態依然である。
3.あいつ/風 1975年6月
かぐや姫が解散した後、伊勢正三は「風」というグループで、その叙情性を更に煮詰めていった。
煮詰めすぎてしまったきらいもあるが、この当時はまだまだ伊勢正三の歌は新鮮であった。
というものの、この歌は今回はじめて聞いたのである。
いかにも伊勢正三のうたである。
当時聞けば心に残る歌になったと思うが、今聞くとノスタルジアのみである。
4.うちのお父さん/かぐや姫 1974年3月
かぐや姫の最高のアルバムといえる「三階建ての詩」の中の一曲である。
初めて聞いたときは「なんじゃこりゃ」と思ったものだ。
しかし、何度も聞いているうちに心に響くものがあった。
こういう風に「父」を歌えるなんて、南こうせつは幸福だなあと思ったのである。
「ニッコリ笑う」お父さんが目に浮かぶようである。
そしてお父さんのためにも「明日天気になあれ!!」と思うのだ。
ちなみに
「汗をかいたので ひと休み」の後の<チャカチャカチャ>というリズムのところ、当時高校生だった我々はリングノートのリング部分をギターのピッグで<チャカチャカチャ>とやっていたのである。
5.風の街/山田ぱんだ 1975年7月
喜多条忠の作詞、吉田拓郎の作曲である。
この歌は、テレビドラマの主題歌だったらしい。
しかし、当時私はテレビのない生活をしていた。
テレビも冷蔵庫も洗濯機もなかったが、それなりに面白く生きていた、と思う。
面白く生きてはいた、と思うのは今だからで、「明日に向かって走れ」の稿でも書いたが「不運だ」と思っていたのである。
この歌に登場する
♪ 道の向こうで 手を振った ♪ 「あいつ」や
♪ 白い仔犬を抱き上げる ♪ 「君」
♪ 僕の名前を呼ぶ ♪ ちょっぴり大人びた「君」
のような友達が当時はいなかった私には、すごくうらやましい歌であった。
そして、表参道・原宿 は、すごくまぶしくて、東京にいる間行ったこともなく、とうとう今まで行ったことがないのである。
6.アザミ嬢のララバイ/中島みゆき 1975年9月
中島みゆきのデビュー曲である。
この本では、次の曲「時代」(第6回世界歌謡祭グランプリ曲)で、中島みゆきは大きなスポットライトを浴びることになる。とあるが、私としては、この歌のほうが好きである。
『時代』はよく言えばスケールが大きい、悪く言えば大向こうを狙ったような歌である。
それに比べてこの「アザミ嬢のララバイ」はなんというか「同感度」が高い歌である。
3拍子のリズムが「哀愁」を感じさせる。
サビの部分の
♪ 春は菜の花 秋には桔梗 そして あたしは いつも 夜咲く アザミ ♪が、なんともいいカンジなのである。
追伸
今回の41号は、昨年のつま恋のコンサートに出演したメンバーを集めたのだそうである。
つまりは、吉田拓郎、かぐや姫(南こうせつ、伊勢正三、山田パンダ)、かまやつひろし、中島みゆきである。
ちょいと感心したのである。
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