読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

環境保護運動はどこが間違っているのか? 槌田敦 宝島新書

2007-06-18 21:49:19 | 読んだ
どうしてこういう本を選び読むのかというと、環境保護には興味を持っているし、環境保護にはつとめなければならないと思っているのだが、今の環境保護運動にはなんとなく疑問を感じているからである。

リデュース(Reduce)、リユース(Reuse)、リサイクル(Recycle)、というう3R運動とか、関心を持っているのだが、なんだかどこか「アヤシイ」という思いがある。

そんなときに、週刊誌か新聞の書評欄かなんかでこの本が取り上げられていたので、読んでみようと思ったのである。

この本の帯には
「ウソを信じていては、あなたの善意がムダになる」
だとか
「牛乳パックは焼却場で燃やそう」
「リサイクルも環境を汚染する」
とか
「分別収集運動でゴミの捨て場が枯渇する」
などという<挑発的>な文が並んでいる。

筆者は「槌田エントロピー理論」で世界的に有名、なのだそうである。
その「エントロピー」とは、
『簡単に言ってしまえば、汚染の量』
だそうで、エントロピーの法則というのは
『何かが変化したり、何かが活動したりすると、エントロピーができてしまう』ことだそうである。
つまり、何かをしたら必ず汚染が発生する。ということらしい。

その根本的なことをわかっていないと、本当のリサイクルやエコロジー運動はできないというのが、筆者の主張である。

確かに、根源的な問題を避けて、これをやっていれば地球は救われるという運動が行われ、その活動家たちの中には「狂信的」とも思われる人がいるのは確かである。だから「ひいて」しまうのである。

あなたのできることから少しだけでいいからやってみませんか?
なんてことはあまりなく、
絶対これだけのことをしないと、あなたは地球を汚している、地球に優しくない!
といわれると、
「いいもんね」
とすねてしまいたくなる。

それから、リサイクル運動と経済とのつながりを、筆者は説いている。
非常に大雑把に意訳すると、
現代は「金」の世の中であり、「金」のことを考えずに「善意」だけで何かをしようとしても成功はしないというものである。

私思うのだが、筆者のエントロピーの法則を引用すれは、善意という行動を起こせはそこに汚染が発生する、と思うのである。
ならば人間社会の最も汚染されたもの「金」を使い、エコロジーを行おうと、筆者は言っているのではないだろうか。

つまり、たとえばゴミが発生するからリサイクルをリユースを徹底させるのではなくて、ゴミ(汚染)を発生させないためにその源や経路に「税」をかけて値段を高くしよう、というのである。

もっともな一面がある。現実的である。
今まで読んだ環境対策の中では、最も具体性のある効果的な手法であると思う。

しかし、それでは人の「善」という部分が置き去りにされているのではないか、とも思うのである。

環境問題は、避けて通れぬ問題であり、環境について何も思わずに生きている人が多いなかで、環境運動を進めるのはある意味「狂信的」でなければならないと思うのであるが、革命者が革命の理論を追い詰めるあまり社会から逸脱していくようなことになったり、現実だけに目を向けて、人を法と欲だけで動かそうとするのもナンだと思うのである。

この本は、ある程度私を満足させてくれた。
つまり、環境保護運動というのは、

地球が持っている自然の循環に従うことが肝心であること、人の善意と欲をうまく利用しなければならないこと、つまり、人が生きていくうえでの経済活動にも反映するような活動でなければならないこと

なんだろうと思うのである。

ネットで検索すると本書は「トンデモ本」筆者は「トンデモナイ人」という説もあるようだ。
しかし、読んだ限り、そんなに興奮して反論するものでもなく、わりと常識的であると思う。


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