いしかわじゅんは、こちらから勝手に親近感を持っている人である。
なんとなく「あいそう」な人だと思っているのである。
それは彼の作品をみて思ったのである。
もっとも彼のえがく世界は、私の住んでいる世界とはまったく違った「都会」のなかのけだるい世界なのである。
だから、いくぶん「けだるい人」なんだと思っていたら、この「鉄槌!」である。
事件は、その「けだるい世界」でおきたのである。
1989年彼は友人たちと志賀にスキーに出かけた。
アルファロメオ社制のアルフェッタという車で出かけた。
どういう車かは知らないがスキーに行くのには適当ではないらしい、おまけにその持ち主とあいまって、安全性と信頼性にかけていた車だった。
案の定行く途中から故障し、そして帰る日、完全にいかれてしまったのである。
このぶぶんまではまあ仲間内のいい加減さが充満しているのだが・・・
仕方がないからバスで帰ろうとする4人。
そして事件が起きた。
出発して次の停留所で、乗務員にトイレにいってくると3人が降り、戻ってきたら吹雪の中に置き去りにされていた。
次にきたバスを停めて、前のバスを追いかけ、戻ったとき、乗務員が笑っていて、謝らなかった。
「いしかわ」はもうれつに怒った。しかし、相手にされなかった。
で、彼はこのことを漫画に書いたのである。
そうしたら、相手側「ビックホリデー」という会社から名誉毀損で100万の損害賠償をせよという訴えを起こされたのである。
「いしかわ」は再度、怒った。そして徹底的に戦うことを決意した。
「いしかわ」と出版社とビックホリデー、そしていずれもの弁護士たちの長い戦いが始まったのである。
裁判という手続きの複雑難解さ、そして弁護士たちの文章の酷さ、相手方の居丈高の態度、そういうものと「いしかわ」は怒りとともに楽しみをもってつきあうのである。
この「楽しみをもつ」ということが、この戦いの特徴である。
そして「勝因」でもあるとおもうのである。
それにしても、いつどのような形でこのようなことがおきるのか分からない時代である。
今、裁判制度が変わっていく中で、我々はもっと裁判というものや制度というものに眼を向けて、変えていかなければならないものは変えていかなければならないのではないかと思うのである。
特に、今は「事実起きたこと」ことより、「何故その事件をおこしたのか」というほうに、裁判の焦点が移っていて、事実に至る経緯とか起こした者の精神障害の証明とかが重要になっている。
問題は「起きた事実」に対する処分なのである。
この「鉄槌!」でも起きた事実を違う方向に持っていったり、弁護士たちでなんとなく和解しようというムードになったりと、なんだか違うのである。
そうこの本を読んでいちばん感じたのは、日本はなんだか違う方向に進んでいるのではないか、ということなのである。
昨日と今日、青森に出張してきたのであるが、その旅の友として本書を購入したのであるが、前夜に読み始めてしまってあまりの面白さに、なんとその晩のうちに読み終えてしまった。
という、面白さなのであった。
「ブログ村」というところにこのブログを登録しています。読書日記を探しているかた、下のバナーをクリックするとリンクされていますので、どうぞご覧ください。
なんとなく「あいそう」な人だと思っているのである。
それは彼の作品をみて思ったのである。
もっとも彼のえがく世界は、私の住んでいる世界とはまったく違った「都会」のなかのけだるい世界なのである。
だから、いくぶん「けだるい人」なんだと思っていたら、この「鉄槌!」である。
事件は、その「けだるい世界」でおきたのである。
1989年彼は友人たちと志賀にスキーに出かけた。
アルファロメオ社制のアルフェッタという車で出かけた。
どういう車かは知らないがスキーに行くのには適当ではないらしい、おまけにその持ち主とあいまって、安全性と信頼性にかけていた車だった。
案の定行く途中から故障し、そして帰る日、完全にいかれてしまったのである。
このぶぶんまではまあ仲間内のいい加減さが充満しているのだが・・・
仕方がないからバスで帰ろうとする4人。
そして事件が起きた。
出発して次の停留所で、乗務員にトイレにいってくると3人が降り、戻ってきたら吹雪の中に置き去りにされていた。
次にきたバスを停めて、前のバスを追いかけ、戻ったとき、乗務員が笑っていて、謝らなかった。
「いしかわ」はもうれつに怒った。しかし、相手にされなかった。
で、彼はこのことを漫画に書いたのである。
そうしたら、相手側「ビックホリデー」という会社から名誉毀損で100万の損害賠償をせよという訴えを起こされたのである。
「いしかわ」は再度、怒った。そして徹底的に戦うことを決意した。
「いしかわ」と出版社とビックホリデー、そしていずれもの弁護士たちの長い戦いが始まったのである。
裁判という手続きの複雑難解さ、そして弁護士たちの文章の酷さ、相手方の居丈高の態度、そういうものと「いしかわ」は怒りとともに楽しみをもってつきあうのである。
この「楽しみをもつ」ということが、この戦いの特徴である。
そして「勝因」でもあるとおもうのである。
それにしても、いつどのような形でこのようなことがおきるのか分からない時代である。
今、裁判制度が変わっていく中で、我々はもっと裁判というものや制度というものに眼を向けて、変えていかなければならないものは変えていかなければならないのではないかと思うのである。
特に、今は「事実起きたこと」ことより、「何故その事件をおこしたのか」というほうに、裁判の焦点が移っていて、事実に至る経緯とか起こした者の精神障害の証明とかが重要になっている。
問題は「起きた事実」に対する処分なのである。
この「鉄槌!」でも起きた事実を違う方向に持っていったり、弁護士たちでなんとなく和解しようというムードになったりと、なんだか違うのである。
そうこの本を読んでいちばん感じたのは、日本はなんだか違う方向に進んでいるのではないか、ということなのである。
昨日と今日、青森に出張してきたのであるが、その旅の友として本書を購入したのであるが、前夜に読み始めてしまってあまりの面白さに、なんとその晩のうちに読み終えてしまった。
という、面白さなのであった。
「ブログ村」というところにこのブログを登録しています。読書日記を探しているかた、下のバナーをクリックするとリンクされていますので、どうぞご覧ください。